フェムテックに潜む欺瞞

女の手間や労力はいくら使っても無料だし無尽蔵だと思われている社会で、生理中にまでメンテナンスに手間がかかるものを推奨されてもこっちの生活が持続不可能になるよ。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2021.11.05
誰でも

 サステイナブル(sustainable)という単語が一般にも浸透してきている。「持続可能な」と訳されたりするが、「環境を破壊せずに持続的にできる」という意味で、環境に負担を与えない取り組みや製品などとともに出てくる単語だ。それ自体はとても重要なことで、もっと早くから取り組まれるべきことであったと思うが、最近、この単語を生理(月経)に関する話題で目にする機会が急激に増えた気がしてならない。100円ショップでなんでも買える社会、ファストファッションのブランドがいくつもある社会、使い捨ての商材や過剰包装もまだまだいくらでもある社会において、ピンポイントで生理用品が「サステイナブル」であることを推奨されるのは何故なのか。

経験しながら折り合っていく煩わしさ

 私は10年ほど前に布ナプキンをメインに使っていたことがある。というのも、紙のナプキンがどうも肌に合わないような感覚があったからだ。偶然、知人が「自分はここで買っている」と勧めてくれたメーカーがあったので、試しに購入してみた。思った以上に分厚くて最初はごろごろするように感じたが、肌に触れる部分が布になったことの快適さはあった。物珍しさも手伝って、かわいい柄のものをいくつも集めてみたり、専用の浸け置き用の蓋のあるバケツを用意したり、専用の洗剤を買ってみたりしていたが、徐々に使わなくなってしまった。その理由は、やはり経血をたっぷり含んだ使用後の布ナプキンを持ち帰ることの面倒くささと洗う作業の面倒くささだ。まずは外出時の使用をやめたが、一日中在宅している日というのもそこまで多くないので、生理期間が外出する日にばかりかぶれば全く使わないし、その程度の使用頻度になると、そのためのバケツも洗剤もなんとなく邪魔なものになってくる。

 布ナプキンを販売しているサイトなどには「浸け置きしておけば簡単に洗える」と書いてあり、確かに表面についている経血は意外に早く落ちる(ただし、割とサラサラ度が高い時に限るので、終わり頃とかのアレは物理的にゴリゴリこすらないとダメだったぞ)。しかし、問題は吸水パッド内に溜まった血を含む水を絞り出して「完全に血が落ちた」となるまでにはかなりの水を使って濯ぐ必要があるということだった。その作業を、私は風呂に入ったときに洗い場で行なっていたのだが、なにせ登山をやっていた時代に腰をやってしまって以来、すぐに腰にくるので…まぁ、なかなか腰にくるんだわ。洗面台で洗っていたこともあるがそれも腰にくる。もう、これは腰痛持ちじゃないひとにはわからないと思うので、「洗うのそんなに大変じゃないですよ」とかリプして来ないでくれ!

私は腰痛になるんだよ!!!!大変なんだ!!!

 さらに、そうまでして洗っても、太陽にガンガンあたる場所って…ベランダとか外からも見えることが多いので、あんまりおおっぴらに干したくないからとちょっと隠す感じで干すと…乾きにくい…。布ナプキンは吸水パッドの下に防水シートが入っているからだ。かと言って天気がいいときまで使用済みを放置するわけにもいかず…と、そういったことを生理で怠いときにまで考えなければならないのが嫌になった。

 私の利用していたメーカーは、生理用品だけでなく様々な地球環境に優しい商品を扱っているので今でも時々利用するけれども、もともとの動機が「環境問題」ではなく、肌ストレスの軽減だったため、生理用品については、可能な限り不買運動の対象ではないメーカーのものから比較的自分の肌に合うものを見つけて使っている。と、好きでこの身体に生まれたわけでもないし子を産むつもりもないのに、毎月の月経のために金と時間と労力をかけて「ああでもない」「こうでもない」とやっているうちに、そろそろ更年期障害に突入しそうなわけである。

善意の馬鹿は厄介である

 布ナプキンのメンテナンスについて、男性は何も考えたことがないということを知ったのは、震災のときに避難所で男性リーダーが支援物資として届いた生理用品を不要なものとして送り返してしまった、という話に関連して、「繰り返し使える布ナプキンというものがあるようですね!」と男性が言っているのを見た時だ。まず、「お前ごときが知っている布ナプキンを女性が知らないと思ったのもすごいな!」と言いたいが、震災時と言えば断水や停電も起っているケースが多く、飲み水の確保でさえ場合によってはそれなりに苦労するのだ。大量の清潔な水で洗い流して日光消毒しながら乾かす必要がある布ナプキンなど使えるはずもない。きっと経血量についても何も知らないし、そういったメンテナンスのことも何も考えないで、でも、善意で自分が得たばかりの情報をつぶやいたのだろう。善意で。
 また、「妻の布ナプキンを洗う担当になって生理の大変さを理解した」という記事が一時期話題になったのだが、経血の量と「生理の辛さ」って重なる部分と全然関係ない部分と両方あるので、血の量が少なけりゃ大変じゃないと思うなよ…と思った。その夫も完全に善意で「妻が生理でツライって言ってるのを聞いてたけど、本当にこんなに血が出るんだ!みんなもっとこのことを知ろう」と発信しているんだけど、なんというか「そこ?!」という気持ちが拭えなかった。
 さらに生理の貧困が話題になった際には、生理に関連したことを発信している女性に片っ端から「月経カップというのがある。数千円で一回買えばずっと使える」とリプしまくるという超絶気持ち悪い男も現れた。しかも、「生理の貧困に関連してその情報は頓珍漢ですよ」「初潮を迎えたばかりの少女には月経カップは勧められませんよ」と諭されても「自分は善意で情報をリプしたんだ!女性でも勧めているひとがいる!」とキレ散らかす始末…。
真面目に、男性は生理のことで女性に「教えてあげよう」をしないでください。邪魔です。

社会から見ないふりをされる「女性の労力」

 いつの頃からだろう、やたらと「使用済み生理ナプキンの量」を問題視するような言説が出てくるようになったのは。コロナ禍で時間感覚も狂っている気がするが、ここ1年くらいでとても盛んになったように感じている。最初は女性の「快適さ」を重視するような調子だったフェムテック関連の情報が、いつのまにか持続可能性(sustainability)という観点から語られがちになっていった。ナプキン交換の煩わしさ(頻度や他者の目を気にしてトイレに行かなければいけないこと)からの解放だったり、肌ストレスの軽減だったり、女性が少しでも不快感から解放されるための製品だと思っていたのに、「紙ナプキンを使い捨てにするのは環境に優しくない」「環境保護のために女性は月経カップや布ナプキンを使うべき」といった空気が醸成されつつあるように感じる。
 これまで、社会は女性たちの身体的な不快感や苦痛を軽視して、なんなら「女は大袈裟」扱いしてないもののように扱ってきたのに、女性の身体にまつわるものがある程度商売になるとなった途端、今度は突然「最新のフェムテック!」「環境のためにも」と女性に新しい製品を買うように勧めてくる。ただでも、女性は平均的に賃金が男性よりも安い上に、化粧やストッキングをマナーとされ、防犯のためにオートロックなどのある家賃が高めの物件を借りざるを得ないというのに。何かがおかしくはないか?
 たしかに、毎月、ナプキンやタンポンを買うよりも、最初に月経カップや布ナプキン、吸水ショーツを買う方が「買う」という部分に限定して考えると経済的ではあるかもしれない。しかし、すでに述べたように、ここには「メンテナンス」の部分の手間ひまと費用という視点が抜けている。「水と安全はタダ」などと言われることがあるが、実際は水道料金はそれなりにかかるし、安全については女性はすでに防犯にお金や時間をかけているのだ。
 また、基本的には衛生用品は使い捨てが一番安全だ。生理用品が手に入りにくい貧困地域(海外)の女性に月経カップを贈るという支援を見かけたことがあるが、それは支援される女性たちの健康と安全に充分に留意した上でなのだろうか。

 環境への負担はできる限り減らすべきだと思う。そのために出来るところから再利用できるものの再利用は始めるべきだし、時間や手間をかけられるひと、メンテナンスをさほど手間だと思わないというひとは、布ナプキンや月経カップを使っていけばいいと思う。しかし、その「環境への負担を減らすこと」が、例えば缶入り飲料やペットボトル飲料の瓶への切り替えのようなものからではなく(缶やペットボトルもリサイクル=再利用はできるが、瓶のリユース=再使用と比べると再生率は低いので環境先進国と呼ばれるドイツではペットボトルよりも圧倒的に瓶入り飲料が多い)、なぜ、女性(だけ)の労力が増える生理用品なのか?

 答えは、まさに「それだから」こそ、なのではないかと思えてしまう。ドリンク類などをペットボトルから瓶に切り替えるには生産現場での機械の切り替えが必要だし、男性も瓶の返却に協力しなければならない。ペットボトルと比べると瓶は重いし不便でもある。瓶の返却や回収のシステムを作ることも必要になる。しかし、生理用品なら、女性が自分で洗ったり干したり煮沸消毒する「だけ」でいいし、そうした女性の手間は社会からは見えない。見えないところで誰かが時間や労力を余分に割いたところで心も財布も痛まない。なんなら、女性はもともとそういう仕事(掃除や洗濯のようなこと)が向いているから、その程度のことは大した手間だと思わないだろうと考えているのかもしれない。

 社会において「女の仕事」と見なされるものは過小評価されてきたし、女性の本能であるかのように刷込まれてきた。「母性本能」という言葉がその代表だと思うが、ケア労働をすることが女性の本能であるかのように錯覚させられているひとは多い。「父性本能」という言葉はほぼ存在しないに等しく、男性の「本能」とされるのは「勃起と射精」だけなのと対照的である(「男性の本能」については、それはそれでだいぶ屈辱的だと思うのだが、そう思わない男性が多いらしい…というのはまた別の話)。
 女性の労力は「無料」で「無尽蔵」だと、この社会は(たぶん無意識に)思い込んでいる。それが社会のあらゆる層の女性に理不尽な思いをさせている。本来は有償であるはずのケア労働を無償で押し付けられ、「気遣い」「愛想」を求められ、自己犠牲を強いられる。

 社会に女性の労力は無料でも無尽蔵でもないということを理解させるにはまだ時間がかかりそうだが、諦めずに訴えていきたい。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
衆院選が終わり、色々と思うこともあるのですが、政治家はもっと私たちと同じ言葉で話して欲しいと切実に思います。理想を語るのは悪いことではないのですが、やはり求められているのは「現実に根ざした政策」であり、「市井の人々に届く言葉」なのだろうと感じます。そのことを書くか迷いましたが…「使い捨てナプキン廃止」なんて言葉が目についてしまったので、最近流行りのフェムテックへの疑念を書くことに。
 生理について啓発する漫画だのなんのもあって、最近は「生理についてオープンに話そう!」みたいなのも増えましたが、なんか微妙にズレているというか、オープンに話すのはいいけど、おっさんから生理について「教えてあげよう」されたくないんだが?ということが多くて…。あと、嫌いすぎて名前出しませんが、漫画の方は「ふざけんな!」と思ってます。描写が雑な上に、なんか女性を罰したい欲みたいなものを感じて不快なだけでなく、描いている人間がセクハラを面白ネタだと思っているので、そんなヤツが生理に関連して金を稼いでいるという理不尽に腹が立ちます。その金を女性クリエイターに回せ!

 ところで…sustainableをサスティナブルと表記しているのをまあまあ見るのですが、発音的に「ティ」じゃなくない?というどうでもいいことが気になる面倒くさい語学クラスタです。

 今週は新規講読の方が増えているので、改めまして、
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では、また次回お会いしましょう〜!

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