カエルのおすすめ:『オーメン:ザ・ファースト』『ラストナイト・イン・ソーホー』

国際女性デーに女ふたりでホラー映画を語る音声配信をしたので、その時に話題にした映画から、今回は洋ホラー2本をおすすめ!
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2025.03.21
誰でも

 前回に引き続き、今年(2025年)の国際女性デーにゆるりさん(@1zzxf2iwqDqwdGM)とツイッター(現X)のスペースで話題にした映画の中から、今回は『オーメン:ザ・ファースト』と『ラストナイト・イン・ソーホー』をおすすめ。ネタバレするのと、ちょっと性暴力の話もするのでご注意ください!

『オーメン:ザ・ファースト』

 1976年のホラー映画『オーメン』の前日譚として、2024年に公開された映画が『オーメン:ザ・ファースト』(以下、『ファースト』と略す)で、かなり意識的に「人間が一番怖い」話として撮られている。ホラー映画好きなら、様々なホラー映画の根底には「でも、結局は人間が一番怖いよね」があることを知っていると思うのだが、ホラー初心者の私にとっては『ファースト』は想像以上に「人間やべぇ」系だった。

 大元の『オーメン』は、多くの人にとって「観たことがなくてもタイトルは知ってる」系のホラー映画の代表格の一つなのではないかと思う。私もまだ観たことがなかったため、今回、『ファースト』を観るにあたって、先にこちらを観た。簡単に言うと、悪魔の子どもが誕生し、周囲の大人たちを巻き込みながら成長し(その間に邪魔者は排除されていき)、やがて世界を支配するようになるであろうことを予感させて終わる話だ。666が悪魔の数字であることを世に知らしめた映画とも言える。
 身も蓋もないことを言ってしまうと、悪魔は神と対になっているので、神を信じていない私には「悪魔が勝ってしまうのだ~」みたいな話は、「はぁそうですか」というところがある。悪魔の子であるダミアンが時にはニコニコし、時には無表情で、邪魔な大人を死に至らしめていく様子や使い魔たちの挙動が不気味で怖いのは確かなのだが、おそらく、キリスト教を信仰するひとの方が、この映画には恐ろしさを感じるのだろうと思った。
 そして、日本のホラー映画で「呪いの方向」が無差別になっていったのは、キリスト教のような一神教の信者が少ない社会においては、誰にとっても他人事ではない恐怖をエンタメとして描くには、無差別呪殺の方向に向かう必要があったのかもしれない、と思ったりもした。神を信じる社会においては、「悪魔の勝利」は無差別呪殺に近い機能を持つのではないか、と。

(この先、完全ネタバレするので注意)

 さて、『オーメン』では、悪魔の子=ダミアンの母親は「山犬(ジャッカル)」であるという情報はもたらされるが、なぜ、犬が“人間“の姿の子を産んだのか、その赤子はどこで取り上げられ、どのようにして教会が世話をするようになったのか、といったことは謎のままだ。ただ、ダミアンの傍には時々黒い犬が現れるし、ダミアンにとって邪魔となる人物は自殺や事故でいなくなっていく。ダミアン自身がそのすべてを司っているわけではなさそうで、もっと大きな悪魔がバックに存在しているかのようでもあり、しかし、ラストシーンではダミアンの意思によってすべてが引き起こされたようにも見える。いずれにしても、『オーメン』は「悪魔が怖い」話として作られているように見える。
 しかし、その前日譚である『ファースト』は、それを「でも、本当に怖いのは人間だよ」と書き変える物語になっていた。というのも、悪魔の子は教会の人間たちによって意図的に計画的に生み出されたことが明かされるからだ。それも、女性を、その人の意思を無視して、「子を産む袋」として扱いながら。

 第2次世界大戦後、人々は信仰心を失い、教会の権威はどんどん失われていた。そのことを憂いた一部の急進派は、「反キリスト」を誕生させることによって、人々を再び信仰に立ち返らせる計画を立てる。具体的には、人間の女性をジャッカル(悪魔の獣)に交尾させて「悪魔の子の母体」となる女性を誕生させ、その女性が妊娠出産できるようになったら、その女性もジャッカルに交尾させることで悪魔の子(男児)を産ませるというもの。

 修道女になるためにローマにやってきた主人公のマーガレットは、子どもの頃から幻覚や悪夢に悩まされているようなのだが、物語が進むにつれて、彼女が反キリスト誕生計画の犠牲者の一人であることがわかってくる。
 ジャッカルとの交尾によって生まれた赤子には、もれなく「666」のアザがある設定とか、ジャッカルはどこで捕まえたの?みたいなツッコミどころはあるものの、「神のために善きことを行っている」と信じている人たちの恍惚とした表情やダミアン誕生時の歓喜の様子が、異様と言えば異様なのだが、それ以上にリアルだな、と思った。ある意味で、彼らは「狂信者」なのだが、あまりに狂信者に描き過ぎていないというか、人間誰しも自分が「善きことのため」だと思って恐ろしいことをやりかねない、と思わせる匙加減だったと思う。目の前で身体的にも苦しみ、苦悩する女性の存在は、悪魔の子の誕生という「偉業」の前に霞み、最終的には隠滅すべき証拠として処理される。
 そして、マーガレットは男女の双子を(帝王切開で)産むのだが、急進派が欲しているのは男児のみなので、女児の方はほぼ放ったらかし。なお、マーガレットのお腹はきちんと縫合されるのだが、これは映画的な事情であって、たぶん、実際にあいつらが存在したらマーガレットは腹切られて放置じゃないかなぁ~と思うなど。マーガレット自身もジャッカルの子なのだが、女性は「反キリスト」運動の中心にはなれないらしく、悪魔界も家父長制か~と思うなどしたが、よく考えてみたら、悪魔界の事情というよりも教会急進派がそう考えているということなので、やはり宗教には男尊女卑の要素が含まれているし、その辺りも意識的に批判的に描いているのだろう。また、この映画が「女性身体の蹂躙」を(批判的に)描いているということは監督自身が語っているので、私が繰り返すまでもないと思う。
 そして、基本的に男はあまり役に立ってないところも、76年の『オーメン』からの社会(およびホラー映画界)の変化を感じさせると思う。

 また、急進派たちの計画が明らかになっていく前の修道院(孤児院)での日常生活の場面は、なかなかのどかで楽しそうである。修道女たちが煙草を吸いまくるし、下ネタっぽい話で盛り上がっていたりもするし、トランポリン飛ぶし…。そういう場面がちょっと長めになっているのだけど、これは「その裏では…」という対比として必要なシーンだったのね、と後から思った。
 『オーメン』を先に観た方が、オマージュになっている場面とかがわかってニヤっとできるけれど、いきなり『ファースト』観ても、まぁ、大丈夫かなと思うので、是非。

 ただし、私がここでは「交尾」と表現したシーンは、性的な被害経験のある人にとってはキツい可能性もあるので、その点は注意喚起しておきたい。あえて「レイプ」と書かなかったのは、ジャッカルの意思というのはよくわからないからだ。ラストの方で、ジャッカルは教会の地下に鎖でつながれていて自由を奪われていることがわかるため、急進派の人間たちによって、種付け犬として利用されていただけの可能性もある。キリストが「無原罪のお宿り」によって誕生したのと対を成すように、悪魔は獣との交配、血縁関係内での交配によって誕生させられるわけだが、それを強要するのが教会の人間なのである。やはり人間は一番怖い。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

 前回、女性の幽霊・怨霊が女性に取り憑くパターンの場合、時空を超えたある種のシスターフッドのようなものが求められているのではないか、という話に言及しているのだが、ややそれに近い「時間を超えたシスターフッド」が描かれているのが、『ラストナイト・イン・ソーホー』だ。

 主人公のエリーはファッションを学ぶために田舎からロンドンに出てくる。元々第六感が強いのだが、下宿先で眠る度に憧れの1960年代にタイムスリップし、サンディという歌手志望の華やかな女性を眺め、時には彼女と一体化してその経験を追体験するようになる。最初は楽しい夢だったのが、徐々に様子が変わっていき、ついには目覚めているときにも亡霊を見るようになるのだが…。亡霊たちは誰なのか?何を訴えているのか? 

 まず、個人的な趣味の話をすると、映画に出てくるファッションが観ていて楽しい。エリーが自分用に作って着ている服も、夢の中でサンディが纏う服も素敵で、アニャ・テイラー=ジョイにこの服を着せたくて撮った映画ですね?と思うくらい。ホラー映画だし、物語の展開からして「楽しい」とばかり言っていられないのだが、まぁ、それでも、ビジュアル的にとてもワクワクする部分があった。
 そして、夢の中(なのかどうかは曖昧?)の出来事は朝の目覚ましと同時に終わり、サンディの生活をエリーも観客もずっと見ていられるわけではない。観客は「で?どうなるの?」「サンディはどうしてるのか?」と気にしながら、エリーの日常を追い、エリーと共にサンディが救われることを願う。
 ショービジネスの世界に入ろうとする女性には、もれなく「そういう男」が寄ってくるというのは、おそらく今も変わらない。そして、それを「やり過ごす」ことで心身を守ろうとする心理も想像に難くない。

 さて、ここからはもう少し内容に踏み込むので、ネタバレ回避派の方はざーっと読み飛ばしてください。

 この映画がまだ映画館で公開中だった頃、映画好きの男性がSNSで「この映画はトリガー警告を入れた方がいいのではないか?途中で退席する女性を見かけたし、決して安くはない映画鑑賞料金を思えば、(予告編や宣伝で全く言及されていないが)性暴力シーンがあることを事前に伝えるべきだと思う」といった内容の発信をしているのを見かけた。「そうなのか」と思って、私はリツイートしたのだが、その直後に「物語の根幹に関わるものでネタバレに当たることを、親切ぶってツイートしている男がいてサイテーである」と割と厳しい言葉で批判している女性のツイートも流れてきた。
 映画を観た感想としては、どちらの言い分もわからないではないが、警告を入れた方がいいと言ったことをそこまで批判されるのも気の毒だな…といったところ。そして、男性があのシーンに警告が必要だと感じた理由は、おそらくカメラが被害者視点になっていると関係がある。性被害を第三者の視点で眺めるのではなく、被害者視点で加害男性たちを見る経験をしたことで、彼は人生で初めて被害者(女性)側の気持ち悪さや怖さを実感として理解したのではないか、と感じた。
 性暴力シーンは、かつては一種のサービスショットとして機能してしまうような撮られ方をしていた。中には「性暴力の現場を写している」としか言いようのない撮影の仕方をしている映画もあるくらいだ。それらと比べても仕方がないとは思うものの、男性の監督が撮ったもので、こういう形で性暴力加害者の男達の気持ち悪さを観客に追体験させるものは珍しいのではないかと思う。顔のない男達は、多少の身長や体形の違いはあれど、みんな同じように、台本でもあるかのように、サンディの名前を褒めてベルトを外す。その繰り返しは、サンディが心を殺して「やり過ごし」た時間の長さを思わせる。

 男性たちは、時にびっくりするほど女性の生きている現実を知らないので、あの表現は「性的物体として扱われる気持ち悪さ」のビジュアル化の一つとして秀逸なのではないかと思う。だからこそ、男性映画ファンは狼狽し、女性映画ファンはむしろ「ネタバレ」の方を気にしたのかもしれない。女性にとって、あの気持ち悪さは「知っている」ものだったり、想像できるものだから。

 エリーはずっとサンディを救おうとするが、過去を変えることはできない。それでも、エリーは決してサンディを見捨てない。最後に真相が明らかになって、亡霊の男達から「助けて」と言われても、エリーは「嫌だ」と言ってサンディを抱きしめる。
 自分たちのやっていることが「暴力」であるという自覚もなかった男達は、おそらく自分たちを一方的な被害者だと思っている。この映画ほどの劇的なものでないにしても、女性に加害行為を働き続けた男性が、女性からの一度の反撃をもって被害者ヅラをするというのはよくあることだ。サンディの心を何度も何度も殺しておきながら、それを追体験しているエリーに助けを求める図々しさがまた「ありそう…」という感じで嫌過ぎる。そして、多くの女性が、こういう場合、それでも男性を助けてしまうこともあるのではないか、と思う。
 だからこそ、エリーの「No!」はすごく良かった。ガッツポーズが出そうなほど良かった。すべてを知っても、それでもなお、サンディに「生きて」と言うエリーの存在はサンディを救うし、だからこそ、エリーは助かって先に進むことができる。最初の方で、いかにも「覚えておいてね~」とばかりに出てくる固定電話によって助けが外からやってくるのではなく、エリー自身の選択と行動が救済に繋がるというところも21世紀のホラー映画らしさだと思う。

 唯一、個人的にあまり好きではないところは、ファッション学校の女の子たちがちょっと意地悪過ぎるところ。確かに、我の強い人が多い業界ではあるだろうけど、「女同士って陰険な虐めとか多いんでしょ?」「女同士ってどろどろしてるんでしょ?」というよくあるミソジニーを感じてしまった。寮生活に馴染めないということを描くのに、わざわざ「意地悪な女子」を配置しなくても、チャラい男子に「ノリが悪いな」みたいに扱われるとか、都会の子たちの“当たり前“になんとなくついていけないのがツラいとか、そういう様子を描くことはできるはずだ。にもかかわらず、あえて「意地悪な女の子」を選んでしまうところに、あ~、男って、自分が女に加害してる自覚はないし、指摘されても「気にし過ぎ」扱いするくせに、“女に厳しい女“の存在だけは秒で信じるし、フィクションの中でもそういうキャラを作り出してきたもんね!またかよ!という気持ちが湧いてしまうんである。でも、それ以外はとても良いし、時間と世代を超えた女性同士の連帯が見られるのでおすすめしたい。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 『オーメン』の話をスペースでしたときには、「悪魔憑きもの」繋がりということで、少し『エクソシスト』の話もしたのですが、ゆるりさんが、エクソシストものは(特に『ヴァチカンのエクソシスト』に顕著にみられるとのこと)教会(人間)がやってきた蛮行を「悪魔のせいでした」ということにしてしまう嫌いがあって、そこはモヤるという指摘をしていました。私は、エクソシストものは『エクソシスト』くらいしか観ていないのですが、「悪魔」を便利アイテムにして、人間がやったことの責任を押し付けてしまう語りが広く受け入れられるのであれば、それこそが恐ろしいことだな…と思います。人間の歴史を振り返れば、人間こそが恐ろしいことを繰り返し考え、実行してきたし、現在進行形で実行しているので。

 配信ペースが狂いながらも足掛け4年間やってきている当ニュースレターですが、前回のおすすめの記事がなんと80本目の配信だったことに気付きました。おすすめコンテンツ紹介の短め(短いのか?)レターが14本含まれますが、まぁ、ずいぶんと書いてきたな…と自分でも思います。

 また、国際女性デーに記事を配信した後、お祝いのメッセージや誕生日プレゼントを贈ってくださった読者の方が何人もいて、色々と心労がたまって荒んでいた気持ちが癒されました。ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

 ホルガ村カエル通信は、私(カイン)が気になる話題を拾ってお届けする個人ニュースレターです。おすすめコンテンツ紹介記事(2000〜5000字程度)とフェミニズム周辺の話題をもう少し深く掘り下げる長文の記事が不定期で配信されます。完全無料、web公開ありなので、登録しなくても読めますが、「購読者登録」をしていただくと、長文記事には購読者限定パラグラフがつきます。

 では、また次回の配信でお会いしましょう〜🐸

無料で「ホルガ村カエル通信」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
カエルのおすすめ:『悪魔のいけにえ』『X エックス』『Pearl パー...
誰でも
カエルのおすすめ:『鬼談百景』『東海道四谷怪談』&荒木飛呂彦の映画論
誰でも
同時進行する「フェミニズムの普及」と「女性の資源化」
誰でも
「嫌知らず」な男たち
誰でも
カエルのおすすめ:『エクソシストを堕とせない』
誰でも
カエルのおすすめ:『残穢(ざんえ)―住んではいけない部屋―』
誰でも
何が性奴隷の需要を産みだすのか
誰でも
カエルのおすすめ:『燕は戻ってこない』『夏物語』