カエルのおすすめ:『銀河英雄伝説』

田中芳樹原作、「銀英伝」の略称でお馴染の『銀河英雄伝説』の新作アニメDie Neue These(ディー・ノイエ・テーゼ)の制作・発表を記念して、2018年3月に東京上野にオープンしたコンセプトダイニングカフェ「イゼルローンフォートレス」がこの9月で閉店する。元々は1年間の限定営業ということだったのだが、その後も営業が続き、なんとなくこのままずっと存在するものと思っていたため、閉店が発表されたときはショックを受けたし、「私、まだ将官になってないじゃーん!佐官級で終わりたくない~!」(来店スタンプカードが宇宙軍への入隊証になっており、訪問するごとに階級が上がるシステム)などというオタク的な動機も手伝って、さっそく来店予約の画面を開いたところ、「空きゼロ」。オーマイガー!!!その後、よく見たら翌月の予約はまだ始まっていないことがわかり、予約開始日に正座待機(実際は仕事中だったので、正座はしてません)で予約を取り、なんとか准将までは昇進できました。コロナ禍が始まって5年くらい行っていなかったので、あれがなかったら中将くらいまではいけた気がする…、悔しい。などと、軍隊システムを娯楽として消費してしまうのは、きっと「正しく」はないのだろうが…。
私は、昔から軍服っぽいものが好きだし(学ランが着たかった)、迷彩柄の服も気に入って着ていたのだが、大学院生のときにフェミニストの先生から「ケロちゃんってそういうの着るんだぁ~」と否定的にコメントされて、「むむむ?どうやらフェミニストは軍服とか迷彩柄とかに拒否反応を示すものらしいぞ」と初めて意識させられた。その先生に言われてだったか、シンシア・エンローの本(『策略 女性を軍事化する国際政治』)を読んだし、今はその先生のリアクションもある程度理解できる。それでも、私はやっぱり軍服っぽいデザインがカッコいいと思ってしまうし、迷彩柄は好きなんだが。
さて、前置きが長くなったが、イゼルローン閉店の報を受けて改めてアニメ版を見返した結果、やっぱり面白かったし、分断と対立が世界各地で深まる今の時代にこそ見られるべきだと思ったので、今回は銀河帝国と自由惑星同盟の戦争とそれぞれの国の政治の腐敗などを描く、壮大なスペースオペラ『銀河英雄伝説』をオススメすることにした。
時は宇宙世紀(西暦2801年を元年とする、宇宙歴8世紀)なのだが、物語はさらにその未来の歴史家が「過去の宇宙戦争について書いている」という体裁を取っている。宇宙には、専制君主を頂く銀河帝国とそこからの亡命者たちによって作られた自由惑星同盟という二つの国家が存在しており、両者は150年に渡って戦争を続けているという設定だ。銀河帝国側の最重要キャラクターは、皇帝に最愛の姉を寵姫として奪われたことで、皇位の簒奪と開明的な政治改革を目指す若き英雄ラインハルト・フォン・ローエングラム。自由惑星同盟側の最重要キャラは、歴史家を目指すも紆余曲折あって不本意ながら軍人となり、それなりの功績を挙げてしまっている青年ヤン・ウェンリー。この2人とその周囲の人間関係および両国の戦争が軸になっている群像劇だ。小説は文庫で10巻、1988年~1997年のアニメ版(通称「石黒版」)は110話、ノイエは現在原作小説の半分弱(創元SF文庫版の4巻の内容)までの48話が配信中だ。(その他、コミカライズ版などもある。)
個人的にオススメしたいのは、石黒版を見て、気に入ったら原作小説を読むという順番。ただし、絵柄が石黒版は「古い」感じがあるにはあるので、昨今のアニメ絵に慣れている人はノイエから入るのも悪くはないのだろう。ただ、ノイエだと話が途中になってしまうので、どうせなら完結まで見られる石黒版の方がよい気がする。また、これは完全に趣味の話になるが、私には石黒版の方が人物の描き分けやキャラクターデザインが優れているように思えるし、動きやデッサンなどにも狂いがないところが気に入っている。
なお、断っておくと、田中芳樹は「女性」は全然描けてないので、フェミニズム的には「んぁぁああああ?????」となる個所が…まぁ控えめに言って50個くらいあると思うので、そういうのが全く無理です!という人には厳しいとは思う。私も毎回、「キャゼルヌ、てめぇー。自分で産んだわけでもないくせに子持ちだからって独身者のヤンに対して威張ってんじゃねぇぞ!」とか思いながら見る(読む)し、シェーンコップやポプランの「プレイボーイ」っぷりの描き方にも疑問を感じる。
さらに、記憶力抜群で有能な士官であるフレデリカ・グリーンヒルが「料理だけは苦手」という設定もあまりにリアリティに欠ける。「家庭人」としては抜けているところがある、というキャラ設定にすることで「完璧な才女」ではないように描こうとしているのだろうが、「食材が一回分無駄になる」レベルで料理が下手というのはどういうことなのかさっぱりわからん。しかも、サンドイッチやハンバーガー、クレープは得意だというのだ。えーっと、ハンバーガーが得意ってのは…それは出来合いのハンバーグを買ってきてパンに挟むということなのかな???でも、それなら別にパンに挟まずに出来合いの肉料理を買ってきて野菜と一緒に盛りつければいいんでは???みたいな疑問がですね…。クレープを焼くのは出来るのにシチューは作れないとか、そんなことある???絶対に煮込み系の方が楽じゃないか?私は「料理面倒くさいなー」という時は、とりあえず玉ねぎとニンニクを炒めて、肉とか野菜とか適当にあるものを放り込んでカレーかシチューかトマト煮にすることが多い。よほどのことがない限り失敗しないし、楽だから。私にできるのにフレデリカさんに出来ないはずないじゃん!!
私は食いしん坊なので、食事に関する描写で適当なことをやられると気になって仕方がないというのもあるが、とにかく恋愛観・結婚観というか、女性が絡むことになると、それ以外の事柄とは雲泥の差の「描けてなさ」になるので、まぁ、それはそれで興味深くはある。
以前、Twitterで「フレデリカさんがヤンさんに“閣下、お茶をお持ちしましょうか?“ってやるのはおかしくない?だったら、バイエルラインはミッターマイヤーにコーヒーを淹れるべき」と呟いたときに、「昔の作品に今の常識で文句をつけるなんて~」とか「あの当時の作品にしては女性キャラが多い方なんですよ」みたいなリプライが来たと記憶している。ちなみに、私の言いたかったこととしては、「士官の仕事に上官のお茶汲みがあるなら、バイエルラインもやれよ」(&フレデリカさんのヤンさんへの気持ちとバイエルラインのミッターマイヤーへの気持ちには共通項があるよね?という話)だったので、別に「だから作品自体がダメだ」と断罪はしてないんだが、人気作品に否定的に(?)言及すると普段やりとりがないひとからもリプライが来るんだな、と感じたのを覚えている。
そんな感じで女性に関わる部分でのツッコミどころは大量にあるものの、それでも、今の時代にこそ読まれるべき(見られるべき)だなと感じるのは、民主主義という制度の利点も欠陥もきちんと描かれているし、独裁制と比較した場合の、それでもベターな制度であるということが説得力を持って描かれていると思うからだ。さらに、「戦っている相手国の民衆なんてどうなってもいい、などという考えかただけはしないでくれ」という台詞など、意見が違う(国家体制が違う)相手とも話し合うこと、共存の道を探ることについて考えさせてくれる内容になっている。そして、「英雄伝説」というタイトル通り“英雄“を描きつつ、それだけではなく、戦争で消耗品として扱われる兵士たちのことを描こうとしていることも重要だと思う。極限状態に置かれた兵士たちの半狂乱であったり、無残な最期であったり、自分は安全なところにいながら他人に命をかけさせる連中の卑劣さであったり。
敵将同士であっても敬意を払い合う“英雄“たちをカッコよく描いてしまうことで、軍隊という暴力装置や戦争という愚行をただ美化してしまうことがないように気をつけている感じがある。そして、それでいながら、戦闘行為にある種の「美しさ」を感じたり、高揚してしまったりする人間の愚かしさにも田中芳樹は自覚的であるように思う。
しかし、銀英伝のキャラをアイコンにしているネトウヨとか、銀英伝を引用して参政党支持している人もいるので、私の感想と彼らのそれが同じだとは思えないのだけどね…。さらに言えば、どう考えても過去の歴史を参照して描いている作品なのに、そういった歴史や文脈には全く関心を持たずに、単に「イケメン士官がたくさん出てくるアニメ」として消費している層も確実にいるとも思う。勿体ないことだなぁと思う。
そして、私の最大の疑問は…銀英伝好きなのになんでドイツ語やらないの?!?!だ。みんな、ドイツ語をやろう!そして、“シュワルツランツェンレイター“って発音はちょっと変…とかそういう話をしようよ笑
まぁ、そのような私のドイツ偏愛はどうでもいいとして、先日、イゼルローンで隣のテーブルにいた若い女性2人組の会話が聞こえてきたことで思ったのは、アニメファンたちの多くは「西洋風の名前」のキャラに慣れてもいるけれど、海外文学や洋画などにはあまり関心がないせいなのか、その名前がフランス風なのかドイツ風なのかロシア風なのか…といったことがあまりわからないのではないか、ということだ。銀英伝の場合、銀河帝国に関しては、初代皇帝のルドルフが自分の親族や親しい者たちに「ドイツ風の名前」と貴族の称号を与えたという設定があるので、帝国の人々がドイツ風の名前を持っていることはわかるはずなのだが、隣の女性たちは「ヨーロッパっぽい名前」とだけ言っていたし、自由惑星同盟の士官たちの名前に関しても「もう地球は辺境になっている時代だから、アジアとかそういうのはあまり関係ないのかね」などと言っていて、田中芳樹が銀河帝国へのアンチテーゼとして、あえて様々なルーツを思わせる名前をつけていることが伝わっていないようなのだ。ヤンは中華系だし、パトリチェフはロシア系だろうし、ムライはどう考えても日系だ。
確かに、西暦2800年からさらに800年ほど経っている設定なわけだから、人種という概念がどれほど有効なものなのかは分からない。それでも、銀河帝国が明らかにドイツ帝国(というかナチス時代のドイツ)を意識したアーリア人至上主義的な社会として描き出されていることを考えれば、流刑地からの逃亡者たちが建国した自由惑星同盟側には、それとは違う多様性を持たせることが企図されているのは言うまでもないはずだ。
“劣悪遺伝子排除法“という優生思想も、現実に人類社会が経験してきた(現在進行形で主張する人たちさえいる)問題であって、単なる「ラインハルトが目指す正義」を引き立てる設定ではない。軍人による民間人への暴行・強姦・略奪も、今もガザで、ウクライナで、その他の紛争地域で、実際に起きていることだからこそ、それを禁止するという軍規を守らぬ者への制裁が正しくなされることで(現実には黙認されていることも多いし、強姦などは“民族浄化“の方法として当然視されることもある)、読者(視聴者)はラインハルトの「簒奪」を応援できる。私は歴史にめちゃくちゃ詳しいタイプではないので、もっと歴史が好きな人であれば、あの作品に出てくる設定や戦闘などが過去の何を参照しているのかがわかるのではないかと思うし、ググればその辺りにも詳しいファンによるブログなりnoteなりが出てくると思うので、このくらいにしておこう。
なお、“人種“の描写に関連して、ひとつ難点を言えば、アフリカ系の人が少なすぎるというのが挙げられるだろう。これは原作が書かれた1980年代におけるアフリカ全般への偏見であったり、当時のアフリカ諸国の経済的影響力や文化的プレゼンスの低さが影響していると思う。また、長らく日本のアニメ・漫画界には、白人と黄色人種は“肌色“(今は「うす橙色」と呼ぶようになっている)で着色するという悪癖がある。つまり、黒人だけを「我々とは違う人種」として描き分ける一方で、自分たち黄色人種のことは白人枠に入れてしまうことで、黄色人種が被差別属性だという感覚が希薄になりがち。それは、日本人だけは「他のアジア人」とは違うという変な優越意識にも繋がっているのではないかと思ってしまう。そして、このことは、今の日本における排外主義的な言説にも影響を与えているのではないかと感じる。
ただし、その一方で、オーバーツーリズムの問題は実際にあるし、地域によってはニューカマーとの軋轢もあるようだから、なんでもかんでも「排外主義者」「差別主義者」とレッテルを貼って断罪だけしていれば解決するものではない、ということは付け加えておきたい。
ところで、私が制作サイドの人間であるなら、せっかく21世紀に新たに銀英伝のアニメを作り直すとなったら、帝国の農奴階級や辺境惑星の平民に有色人種を多めに描いたり、同盟軍の「モブ」の中にももう少し肌の色のバリエーションを加えることはしたかっただろうな、と思う。また、アフリカ系の人たちの間でも肌の色のバリエーションは広い。シトレ元帥もマシュンゴも同じカラーで着色して「黒人です」みたいなのは、2020年の世界を生きる者としては解像度が低すぎる(※下書きの後で確認してみたところ、石黒版でもマシュンゴの方が少し濃いブラウンにはなっていることが判明)。そして、帝国軍が男性のみの組織であるのに対し、同盟軍には女性もいるのだから、もっと上級の士官の中に女性を増やすとか、女性だけ「○○女史」とか「○○婦人」とか呼ぶことがないように台詞を書き変えたりしたい。その辺り、ノイエがどうなっているのか、実はまだちゃんと見ていないので知らないのだが、私に石黒版をすすめられてハマった結果、既にノイエも見終えた友人の感想を聞く限りでは、私の希望はあまり叶っていなそうである。むぅ~。
なお、原作者の田中芳樹は中国文学専攻だったということで、中国の歴史小説に倣っているところも多いらしい(私は中国文学に疎いので…)。とりたててSF好きでなくとも、歴史小説好きにもアピールするものがあるのではないかと思うし、戦記物としての面白さもあると思う(宇宙には上も下もないのだから、宇宙戦争の「陣形」ってそんな感じになるのかな?などとちょっと思ったりもするけど、人間がやることなんて舞台が地上でも宇宙でも大差ないのかもしれないね)。
色々書きましたが、とにかく面白いので、全力でおすすめです!
そして、すでにご存知の方はご唱和ください。
「ロイエンタールの…」
大馬鹿野郎ぉ~〜〜!!!!!
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
私が銀英伝のタイトルを最初に知ったのは、高校の同級生が好きだと言っていた時だったのですが、その子が美少年・美青年キャラBL好きオタク女子だったこともあって、あまり興味が湧かないままでいました。それから10年以上の時を経て、Twitterで面白い発信をしている方が勧めているのを見て、レンタルだったかアニメチャンネルだったかで試しに視聴したところ、見事にハマってしまいました。当時、TSUTAYAのDVDレンタルが100円だったので、28巻まであるDVDを2周か3周借りて見て、結局中古でDVDを買ったのですが、あの頃は、まさか動画配信サービスでネットがあればいつでも見放題!なんて時代が来るとは予想もしていませんでした。ありがたいことです。
でも、そんな時代になったからこそ、エンタメにしてもニュースにしても、自分の偏見や思い込みに寄せて理解してしまっていないか、誤解したままステレオタイプの強化をしてしまっていないか、ということに自覚的でいなければいけないのかもな、と感じます。
私は「大切なことはすべて○○が教えてくれた」という語りがあまり好きではありません。「○○を通じて大切なことを学んだ」の最上級表現というか、一種の比喩表現なんだろうと理解はしているのですが、本当に大切なのは様々なものから学ぶことによって「大切なこと」を自分で考えて体得していくことなのではないか、と思うことが多いからです。「○○さえ知っていればOK」「○○さえ見て・読んで・聞いていれば間違いない」みたいなものは、タイパ・コスパ主義思想と親和性も高く、忙しい現代人には魅力的なのかもしれませんが、物事を別の角度から見ることが重要だし、せめて自分の位置からでは見えない角度があるということは忘れないでいたいものだなと思います。
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