カエルのおすすめ:『小説 琉球処分』

今月は久しぶりのおすすめコンテンツ紹介記事です。おすすめ記事と言いながら、小説の話をしている部分が少ないのですが、私が紹介することの意味を考えると、まぁこうなるよねってことで。
珈音 2026.09.24
誰でも

 この夏は母と娘をテーマにした小説も読みたい、などと先月書いたのだが、諸事情あって(だいぶ前に図書館に予約した本の順番が回ってきた、とか)それは果たせず、健康診断ではC判定を食らい、寝不足でカップスープを飲もうとして熱湯を自分にぶっかけて火傷するなど、なかなかに踏んだり蹴ったりの1ヶ月で、気づけば今年はもう「秋!」という気候だ。

 さて、沖縄県知事選も終わり、「オール沖縄」という枠組みの限界を私たちは目撃することになった。しかし、「本土」の人間に見えていることは、沖縄の人たちの生活実感とはどうしてもズレてしまうのだろうと思うし、兎にも角にも、沖縄は新しいフェーズに入ったのだと思う。

 私は、恥ずかしながら、沖縄のことをあまり知らない。10歳くらいの頃(1990年前後)に2、3泊したことがあって、その時に米軍のジープがそこらを走っていたり、フェンスの向こうに広大な基地が広がったりしている様子を見て、「沖縄は自分の知っている“日本“とはすごく違う」と感じたことを覚えているが、事前に沖縄の歴史について調べるとかそういったこともせず、ただ、海で泳いだり、浜辺でナマコを投げ合ったりして遊んで帰っただけだった。
 ちょっと追記しておくと、私が参加したのは通っていたスイミングスクール(のあるジム)主催の子ども向けの団体旅行で、旅行代理店の人ひとりと水泳の先生たち数名が引率で一緒にくる「サイパン10日間」みたいなやつだったのだが、なんせ相手が子どもだから旅行代理店も舐めていたのだろう。旅程がギリギリで変更になって最後の3日間が沖縄滞在になったのだ(もちろん別に返金とかはされてないと思う)。そんなわけで、当然、沖縄戦に関連する旧跡の見学などもなく、ナマコを投げてたわけである。ナマコが威嚇のために内臓を飛び出させるということを知らなかったので、内臓が出ちゃった時は「殺してしまったぁぁぁ〜」って思ってびっくりしたよね。

 話を戻す。私は、学校の授業はきちんと聞いていたし、社会科は好きだった。高2では「日本史」を選択していたのだが、1年間の授業は江戸時代半ばくらいで終わってしまった。なお、新撰組の話とかは冬休みの補講でやってたらしいのだが、補講はサボってたので記憶になく、新撰組まわりの人物やエピソードもあまり知らない。高3の時は、趣味で倫理を取っていたのと、必修の政治経済はやったものの、元々は大学に行く気さえなかったこともあって、そこまで必死になって勉強してはいなかった。要するに、私は日本の近現代史をよく知らないままで生きてきてしまったわけである。(ノンポリだったしね)

 福島第一原発の事故をきっかけに脱原発運動に関わったことで、私はようやく東京生まれの東京育ちであることの意味を意識するようになった。それは、つまり、「地方差別」の存在を、単に「田舎をバカにする」みたいなマナーの問題ではなく、制度的な「格差」の問題として理解した、ということだ。
 東日本大震災当時、私は30歳である。その歳になるまで、気づいていなかったのかよ?!と驚かれるかもしれないが、父が東北の貧しい農村出身で、「田舎」に行くと色々と東京とは違うことも知っていた分、「私は田舎をバカにしたりしてないからなぁ」くらいの意識もあって、構造的な差別にはめちゃくちゃ鈍感でいられたのだ。(余談だが、そんなわけで、自分が「構造的な女性差別の抑圧者」であることが理解できない男性の気持ちや感覚もある程度はわかっている自信はある。)
 遅くなったものの、気づいたからには、「加害者側の人間」としての責任というものは自覚するように気をつけているつもりだが、それでも「持てる者」には見えないことがあるのは確かだと思う。

 左翼陣営にいることで、戦争の加害責任について考える機会もまあまあ多い方ではあったし、ドイツ好きとして「ナチスの過去との取り組み」について学ぶ機会もかなりあった。しかし、そのことを通じて、沖縄のこと、つまり「沖縄差別」についてきちんと考えてきたかと言えば、全くそれができていなかった。
 つい最近になって、「“最近あった重大な歴史的な出来事”は何かと沖縄でアンケートをとると、今でも10位以内に“沖縄戦”と“琉球処分”が入る」という話を聞いて、当時を生きて経験した人がもういない琉球処分が入ることに驚くと同時に、もっと沖縄の歴史について勉強したいと思った。
 夫は、私と違って日本の現代史に詳しいし、現代史や戦後の政治に関する本なども多く持っている。ちょうど、仕事の繁忙期が一段落したところだったので、何か沖縄のことを知るためにいい本があるかもしれないと思いながら、夫の積読を何気なく見てみたところ、大城立裕『小説 琉球処分』(講談社文庫、上下巻)という本があるではないか!偶然にしては出来過ぎでは?と思いながら、さっそく借りて読み始めたところ、面白くてほぼ一気読みしてしまった。

 「面白い」という表現には語弊があるかもしれないが、日本(ヤマト)の強引さや傲慢さだけでなく、小さな島国である沖縄だからこその外交のあり方(考え方)も描かれているところが面白かった。また、沖縄における身分制・世襲制などの問題にも触れており、時代の流れというか歴史の流れというものに翻弄されつつ、その中で抵抗する者、時流に乗ってのし上がろうとする者などが生き生きと描かれているところも魅力的だ。
 「お前ら、今日から天皇の臣民だから」っていうヤマトのやり方は酷いのだが、それ以前の薩摩藩もだいぶ酷いので、そりゃヤマト民族は嫌われますって…という気持ち。とはいえ、琉球の人たちも一筋縄ではいかない。繰り返される話し合いと嘆願で時間稼ぎをする様子にヤマトの役人がイラつかされる様子もちょっと面白い。
 琉球独特の言葉や漢字の読みなど、馴染みがないことも多くて、ページを時々戻って確認しながら読まなければならなかったが、最初に「物語の背景」という章があり、そこで琉球王国の政治・社会について一通りの説明をしてくれているという親切設計で、私のような初心者には大変ありがたかった。
 この作品を読んだだけで、「沖縄のことがわかった」つもりは全くないが、これまでとは少し見え方が変わったようには思うし、単に「歴史年表」として勉強する知識とはまた別の形で琉球処分について知ることができたと思う。
 最初に出てきた女性キャラクターの描写に「やっぱり男性作家の描く女性はどうもピンとこない」と思ったのだが、下巻で描かれるとある相思相愛の男女の「悩み(の質?種類?)」の違いが「そうですよね!」という感じだった。これがわからん男性は多いので、「侮ってすみませんでした、大城先生」みたいな気持ちになった。

 沖縄は美しい海や美味しい料理のイメージと結びつけて語られることが多く、その貧困率の高さなどが注目されるのは、ごく限られた界隈でだけな気がする。一時期は沖縄のアクターズスクール出身のタレントを「エキゾチック」なものとして消費する空気もあったと思う。
 「SNSフェミニズムの終焉の兆し」という記事でも書いたのだが、日本の左派は「日本のどこにも米軍基地は要らない」と言ってしまうことで、「沖縄県外への移設」つまり「沖縄の負担軽減」を放棄してしまっているところがある。本土の人間として、非常に申し訳ないと思う。最終的には減らす(なくす)ことを目指すにしても、「今、沖縄にだけ負担が集中している」という問題を放置してしまうことになる標語を掲げることに、私はためらいを覚える。
 琉球王国が薩摩藩や日本帝国に対して圧倒的に不利だった理由には、琉球が軍隊・軍備を持たない国だったから、というのもある。兵力を保持しない王国だった沖縄の地に、今では日本で一番たくさんの基地がある。それも、自国の軍ではなく、アメリカの軍隊の基地が。
 日本が、沖縄を勝手に自国の領土に組み入れておいて、沖縄を戦場にして、沖縄の人たちを盾にした。そのことの重さを改めて感じる。私がやったことではないが、その横暴の上に今の沖縄の苦難がある。そのことを忘れてはいけないし、本土の左派から見て「正しい選択」を沖縄の人々に押し付けるようなことがあってはいけないと思う。
 そういったことを考える上でも読んで損はないし、何よりも小説として面白いのでおすすめです。

***

 今月は久々の「カエルのおすすめ」記事の配信です。
 150年前の社会を舞台にした物語なので、女性は政治に関われないこともあって、この小説にはあまり目立った女性キャラは出てきません。内容としても、直接的にはフェミニズムとあまり関係がないので、当ニュースレターでおすすめする対象なのか、少し迷いもありましたが、現在も続く「沖縄問題」を考える上でも必読なのではないかと思ったので、今回取り上げることにしました。
 米軍基地があることで、沖縄では米兵によるレイプ事件は絶えないし、貧困率が高いということは「女性の貧困」の問題も深刻であるということなので、過去の歴史だけでなく、今の問題にも関心を持ち続けたいです。小説の中にも貧困ゆえに「身売り」をせざるを得ない女性が出てきます。女性が性売買に取り込まれる最大の理由は、時代を超えて「貧困」なのだと思います。
 「過去の物語において、身売りが悲劇として成立するのは、家父長制が強い社会だったから(女性の性的純潔が重要視される社会だったから)であって、今は違う」かのように主張する人たちがいますが、上間陽子さんの当事者研究などを見ても、「他に選択肢がない」からこそ、性売買を「選ばされる」女性たちがいることがわかります。「性を買いたい男性たち」の存在が、女性を経済的困窮に追い込む仕組みを作り出し続けていることに目を向けなければならないと主張したいです。

 ホルガ村カエル通信は私が気になる話題を拾ってお届けるす個人ニュースレターで、おすすめのコンテンツを紹介するやや短め(3000文字〜5000文字くらい)の「カエルのおすすめ」記事と1万字ほどの長文の記事を不定期で配信しています。配信後の記事は全てweb公開しているので、「購読登録」しなくても読めますが、登録をしていただくと、長文レターの方には「購読者限定パラグラフ」が付きますので、よろしければメアドを登録してみてください。

 今年は夏前から台風などの自然災害が多く、どうにも落ち着かないですね。被災された方に適切な支援が迅速に行われることを願っています。
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 では、また次回の配信でお会いしましょう。

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