フェミ鑑定士するよりも小説を読もう

インフルエンサー文化の功罪
雨宮処凛さんの記事を読んで、「ああ、こんなにわかりやすく言葉にできる人がいた!」と思ったところなのだが、「言葉を通じさせる」ことは本当に難しい。それでも、私たちは言葉を使ってコミュニケーションをするしかない。通じないかもしれない言葉を駆使して、少しでも誤解の幅を小さくするように努力するしかない。
「宇宙は膨張しているのではなく、物質の方が縮小しているらしい」という記事を最近読んで、意味がわからなすぎて気が遠くなりそうになったのだが、言葉の通じなさへの絶望感って割とそれに近い気がしなくもない。そもそも宇宙が膨張しているというのもだいぶ意味がわからなくて、わからなすぎて考えるととても怖い。宇宙について考えることと死について考えることは、私の中では同じジャンルのことで、どちらもものすごく怖いのだが、言葉の通じなさについてもよくよく考えるとまあまあ怖いよね。
話を元に戻そう。人間は抽象的な議論よりも具体的な話の方が理解しやすいし、理屈よりも感情に引っ張られがちなものだとは思う。だから、言葉を通じさせるためには、具体例を挙げたり、相手の経験に寄せて話した方が良いだろうし、理屈でねじ伏せるような話し方よりも相手の感情にも共感を示す話し方をした方が有効だ。理論書や学術研究であるならば、抽象論でも理屈の積み重ねでも何も問題はないのだろうが、私が「味方になってほしい」と思っている「まだフェミニズムに出会っていない女性たち」に届く言葉はそれではないということは、自分がノンポリでフェミニズムに出会ってなかった頃のことを思い出せばある程度は想像できる。
田嶋陽子さんのような、「うるさいフェミ」をやり続けてくれた先人がいたことの意味は大きいし、正しいことを正しく主張することも大事なのは間違いないのだが、私が田嶋さんに見習いたいことは、「一般の女性たちを馬鹿にしない」態度だ。田嶋さんは男性が女性を差別して支配してきた構造を指摘し、男性たちを批判していたが、女性差別を「差別」だと認識せずに田嶋さんを目の敵にするような女性のことでさえ、見下してはいなかった。フェミニストではない女性を糾弾したり、フェミニストでない女性を「フェミニズムが救う対象」から除外したりするような物言いはしていなかった。
21世紀の「インフルエンサー」文化は、フェミニズムを流行らせるのにも一役買っているものの、インフルエンサーが影響力を持ち続けるためには「自分こそが正しいフェミニストである」と言い続ける必要がある。一度でも「間違え」れば、他のインフルエンサーに取って代わられる可能性があるからだ。昨今のSNSの息苦しさの原因はその辺にあるのかもなぁ〜と思う。
「本物のフェミニスト鑑定士」を始める男たちは以前から多かったが、最近は女性鑑定士も増えていると思う。それも、「アンチフェミニスト」っぽい立場からではなく、むしろ自分がフェミニストを自認しているからこそ、「フェミニストはこうあらねば」と条件を箇条書きにして自分のことも他人のこともぎゅうぎゅうに縛ってしまうような発言をする「フェミ鑑定士」が。
しかし、人間は間違えるものだ。常に「正しい」人間はそうそういない。そして、「間違えない」一番の方策は「何もしないこと」だ。SNSであれば、垢分けして「フェミニズム用アカウント」では実生活や趣味の話はしないでおく方が安全だ。身バレを防ぐという防犯の観点からも垢分けが必要なのはわからなくもない。垢分けしていないせいで、実はそこそこ個人情報を垂れ流している私の防犯意識の低さの方が問題なのかも、と思うこともある。そして、新しいアカウントは「探られる過去の問題発言」も人間関係も全てリセットして作ることができてしまう。「何もしていない」まっさらなアカウントが「間違ったことがない」のは、当たり前のことだ。
だが、本当に大事なことは、人間は間違えてもそれを自ら正すことはできるということで、むしろ、それこそが必要なことなのだろうと最近はよく考えている。
未来の「歴史」よりも今この瞬間の自分の「良心」という基準
ここ最近、「自分が歴史の正しい側にいることを誇りに思う」みたいな物言いをSNSで見かけることが何度かあったが、歴史は誰が書くかによって変わってしまうものなので、私は自分が「歴史」の正しい側にいるかどうかわからない。そもそも私の生きているこの時代が歴史になる頃、私はもうこの世にいない可能性の方が高い。
ナチスも日本も敗戦した今の世界においては、ナチスは悪だし、大日本帝国も悪だ。そして、私はその歴史的評価を「正しい」と思っている。なぜ正しいと思うのかも説明できる(長くなるのでここでは書かないが)。
しかし、もし、ナチスがあの世界大戦に勝っていたなら、「歴史」はどうなっていたか?ノルマンディー上陸作戦は「ナチスによる世界(ヨーロッパ)統一の達成を遅らせた愚行」とされていたかもしれないし、「ユダヤ人や有色人種に人権を認めたことが間違い」とされていたかもしれない。「歴史」はいつも勝者によって書かれるのだから。
2021年にタリバンに奪還されたアフガニスタンが今現在どうなっているか、情報が途切れ途切れにしか入ってこないので全体像は掴みにくいが、「女性の権利」が大幅に後退していることは確かだ。そういった「欧米の価値観」や「民主主義」に則った判断に疑問を投げかけるような記事はタリバン復権当時からあったし、中にはアフガニスタンの女性自身が「被害者である女性」という枠組みで語られることへの違和感を述べているインタビューもある。ただ、その記事で取り上げられている「私は以前から自分の意思でブルカを着用していた」という女性は、「以前は着用しないで済んでいた女性にも着用が強制されている」現状の方が選択肢がない、ということの意味を軽く考えすぎにも思えるし、あるいは、彼女は自分や家族の身の安全を考えて、そのように言っている部分もあるかもしれないと感じる。人間の「内心」は他人にはわからないのだから。
取材に入った外国人記者に「現地の女性は多様だ」と見えたとしても(事実、多様なのは間違いないだろうし)、それが「その社会において女性が抑圧されていない」ことの証明にはならない、という視点も忘れてはいけないと思う。
2025年9月のBBCの記事によれば、タリバンは人権やセクハラについての教育を禁止し、女性の書いた書物は大学から排除することを決定したそうだ。タリバンの書く「歴史」においては20年に及ぶ女子教育(特に中等・高等教育)は「間違い」であったし、欧米的な「人権」を教えたことも「間違い」であったということになる。
もちろん、私たちはそれを外から批判することはできるし、「世界史」においては、タリバンの行いは「間違っている」ものとして記述される。だから、やはり歴史に「正しい側」はある、と言うことも可能かもしれない。
しかし、今後の世界秩序が今のままである保証はどこにもないし、それこそ第3次世界大戦で『マッドマックス』のような世界が来たとしたら、歴史はまた書き変えられる。
だから、私は「歴史の正しい側にいる」かどうかではなく、「今、自分の良心に恥じることがないか」を指針に行動したいと思っている。自分で考えて自分の良心に恥じない選択をしても、それが正しいという保証はない。しかし、結果として、それが間違いだったとしても、それが歴史の流れを停滞させたり逆行させたりするものだったとしても、自分の良心を裏切った結果、間違った選択をするよりはマシだ。自分の良心よりも「周りからどう見られるか」を気にして間違った選択をしたり、「歴史の正しい側はこっちだとみんなが言っているから」という理由で間違った選択をした場合、私は自分のことが許せないだろうと思う。
なんだかんだ言いながら、私は自分のことが大好きなので、自分が許せないという事態には陥りたくない。他人からどう思われようと、それは私にはコントロールできないものだが、自分が自分をどう評価するかは、自分の言動次第だ。
とはいえ、私にも仕事があり、家族があり、生活がある。必ずしも自分が思うときに思うように行動できないこともある。だからこそ、他人が周囲の雰囲気に流されたり、言うべきことを言えないままになったりすることも理解はできる。時には同情さえする。
しかし、他人には二者択一を迫り、踏み絵を踏ませようとし、意見を表明しない人を卑怯だと責め立てておいて、自分は都合が悪くなったら頬被りして息を潜めているような人間を、この10年くらいの間に、男女問わず結構な数見てきたので、そういうダサい生き方はしたくないなぁ〜と。
フィクションの力
昨年の誕生月に、読者の方から、小野不由美の十二国記シリーズのエピソード0『魔性の子』を贈っていただいた。その後、少しずつ続きを買い揃え、つい先日、今年の1月に現時点で刊行されている最終巻を読み終えた。
私はとても素直に母の影響を受けて育ったので、母が「ファンタジーはあんまり〜」みたいな人だったこともあって、十二国記に触れることもなく、どういった話なのか事前情報がほぼゼロの状態で読んだのだが、個人的にはそれがすごく幸いであったと思っている。
だから、未読の人のために具体的な話は一切しないでおきたいのだが、物語の構成やさまざまな設定の巧妙さはもちろんのこと、人物の造形も素晴らしく、現実の社会のことを考える上でも非常に参考になる小説だと思うので、まだ読んでいない人にも全力でお勧めしたい。
本当は「カエルのおすすめ」記事を書きたいのだが、ネタバレせずに書けることがない…。「読んで!」以外に何も言えないので、流石にそんなニュースレターはだめだろ、と思って諦めた。
私が十二国記に関心を持ったのは、割とフェミニストっぽい女性たちにファンが多いらしいことを観測していたからなのだが、前に「カエルのおすすめ」記事で紹介もしている『残穢―住んではいけない部屋』という映画の原作が、同じく小野不由美だということも「面白そうだな」と思った理由だ。それに加えて、昨年の秋にミュージカルが上演されるということで、フォロイーの中にミュージカルクラスタも多いので、「うかうかしているとネタバレを喰らってしまうぞ!」と、少なくともミュージカルの原作部分(エピソード1)までは読み切ってしまわないと…と読み始めた。はじめは、十二国記と他の本を交互に読むような感じで割とのんびり進めていたのだが、途中で各エピソードが交錯し始めたあたりで完全にハマってしまって、昨年末あたりは十二国記のことしか考えたくないレベルになってしまった。
舞台こそ東洋(っぽい世界)だが、『銀河英雄伝説』っぽさもあるし、洋ドラマ好きなら『ゲースロ』こと『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなテイストもある。そして、その両者よりも女性の描写が遥かに優れているのと、無駄な恋愛描写がないので、その辺りがノイズになりがちな人にもおすすめできる。
人間の弱さも強さも、人間の卑怯さも優しさも、どちらかに偏ることなく、それでいてあまりに非現実的になることもなく描かれている。フェミニズムや左翼っぽいものに20年くらいコミットしてきて、何度も「もう人類はダメですね、はい、諦めて終了終了!」みたいな気持ちになりかけたことがあるのだが、十二国記を読んでいると、諦めてはダメだなという気持ちになるし、人間は愚かでどうしようもないものかもしれないが、それでも人間の善意が少しずつ受け継がれて、どうにもならない事態を打開することもあると信じたくもなる。罪のあるものが正しく裁かれるとは言い難いし、「なんて理不尽な!」と思うこともあるが、それでも自分の生き様だけは自分で納得できるものにしたいものだ、と強く感じる。
文庫本全15冊のうち、2冊が短編集なのだが、短編も含めて全てが素晴らしいし、色々なことを考えるためにも良い補助線になってくれると思うので、日本語話者で日本語を読める=十二国記を原語で読めるという喜びを噛み締めて読んでもらいたい!
って、まるで「大事なことはすべて〇〇が教えてくれた」っぽい語りをしてるが、漫画や小説、映画を通して、「人間」について考え、「自分の生き方」について考えることは大事だし、具体的なエピソードがあった方が腑に落ちることも多いのだから、やっぱりみんなもっと本を読んだり映画を見たりした方がいい。
比較的長い期間、左派の市民運動と関わりを持ってきて思うことは、運動にのめり込んでいると左派の言説にばかり触れることになるし、映画なども左派の間で評価が高いものしか観ていないということもよく起こる。いわゆる「意識高い系」のドキュメンタリーなども、最初から「答えがわかっている」人が、「正しい答え(”自分は正しい”ということ)」を確かめるために観るようなところもある。そういう作品もあった方がいいが、そうではないものにも触れることも、今やすっかりマイノリティになっている左派にとっては重要なんじゃないかと思っている。
書き手・作り手にとっては不本意な読まれ方というのも存在しているだろうし、私は自分の読み方を唯一絶対の「正しい読み方」だとは思わない。ただ、自分が心を揺さぶられたところで、他の人は一体何を感じたのか?私が好きだと思う描写を他の人は私と同じように受け取ったのか?そういうことを話してみたいし、政治や軍事に関わる問題についてもフィクションを通じてなら話しやすいこともあると思う。
十二国記には、「世の理(ことわり)」みたいなものを中心にしたエピソードも、統治機構・軍事的戦略などが前面に出てくる話もある。一個人には限界があるものの、それでも成長できるとするなら、それはどういう行動によってなのか、といったことも描かれる。だから、誰にとっても得るものがあるのではないかなぁと思う。
昔読んでいる、という人も、もう一度読み直してみると良いと思う。特にラストエピソードのあの場面とかは、私は選挙結果が出た後に(「大衆は愚かだ」という左派の阿鼻叫喚がTLに並ぶ中で)読んでいたので、色々と考えさせられた。
各新聞などで「なぜ自民党に投票したのか」というインタビューなどを読むとわかるが、ふわ〜っとした理由で「なんとなく」入れたわけではなく、「生活を良くしたい」「将来に希望を持ちたい」という切実な思いを託した人は決して少数派ではない。左派をやっていると、「それでなぜ自民党なのか?」と思ってしまうことは私にもわかる。しかし、ネット中心の社会では、それ以前よりも「偏っていない情報」へのアクセスは難しいのだ。
左派である私のTLも充分に偏っている。私には高市フィーバーの熱気そのものはあまり伝わってこないままだった。熱気を警戒する声から「これは小泉人気以来のことだろうな」などと想像することの方が多かった。
昨日までノンポリだった人たちの情報網に左派の主張が流れないのは仕方がないことだ。その圧倒的に不利な中で戦わざるを得ないこと、それは国民の知る権利を考える上でも望ましいことではない。しかし、この状況下で「左派を選ばない」ことは、そのまま「愚かである」ことを意味しない。その前提を踏まえずに、彼らに何かを伝えることはできないだろうと思う。
そして、私にはこうして「書く」という武器がある。数百名も購読登録をしてくれている人たちがいる。だから、私は自分にできる範囲の責任は果たしたいし、果たすべきだと改めて思う。
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
前回、選挙直前に配信した時は、正直、ここまで自民党が勝つとは思っていなかったので、もう、ふぅ〜って目眩がしそうな感じになりましたが(あと中道改革連合のポシャりっぷりにも…)、落ち込んでいても始まらないので、とりあえず、リアル友達と会ったり、ノンポリな友達と連絡をとって話を聞いてみたり、できるところからやりたいと思っているところです。
あと、やっぱり読書はいいなぁと思います。ただ、小説ばかり読んでいたので、理論書を読むスピードが落ちた気はしていて、今年はそちらももう少し並行して頑張ろうと思います。
ホルガ村カエル通信は、私(珈音・カイン)が個人的に気になるフェミニズム周りの話題を拾ってお届けする完全無料の個人ニュースレターです。おすすめのコンテンツを紹介する「カエルのおすすめ」という短めのレターと今回のような長いレターを不定期で配信しています。長いレターの方には「購読登録者限定パラグラフ」というオマケがつきますので、よろしければメアドを登録して購読してみてください。
では、また次回の配信でお会いしましょう~🐸
告知:
来る2026年3月8日(日)の国際女性デーに「ホルガ村カエルラジオ」と題して、旧Twitter(現X)のspace機能を使った音声配信(録音あり)を予定しています。国際女性デーあたりには、毎年、何かしらやってきたんですが、今回はニュースレターの読者の方やSNSのフォロワーさんから、「国際女性デーに訴えたいこと」を事前に募集して、それを紹介しながらゆるっと一人でおしゃべりをする形式でいきたいと思っています。いわゆる「フェミ」っぽい話でなくても、日々の愚痴とかおすすめのレシピとかでも別に構いませんので、コメント欄、マシュマロなどで送ってください。一応お断りしておきますと、「女性だけでなく、すべての人が生きやすい社会へ」みたいな感じのは、他がやってくれているので、基本的に「女性の人権」に特化して話しますので、「フェミニズムは女性だけでなくて男性も救うと思うんですよね」とか送って来たら、灰になるまで燃やします。
今回のニュースレターと関連のある過去記事へのリンクも以下に貼っておきますね。
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