「選択制夫婦別姓に賛成しないならフェミニストじゃない」のか?
高市政権の発足と同時に吹き出したもの
今年もドタバタと終わろうとしている。そして、今年もまた「日本の女性差別は深刻だな…」と思うことが多かったような気がする。本邦初の女性首相が誕生したところで、素直に喜べるものでもなく(女性が首相になったということ自体に意味はあると思うし、気に入らない思想信条の女性だからと言って「名誉男性」認定して「女性」から除外するような言説には問題があると思うが)、旧Twitterは本当に分断と対立ばかりが目に付くようになったし、Meta運営のSNSはどれも広告が多すぎて友だちの投稿がなかなか出てこないという状態。それでも、SNSチェックが習慣化してしまっているので、ついついアプリを開いてしまう。ついでに広告に乗せられて買い物をしたり、新しいアプリをダウンロードしたりすることもたまにはある。しかし、ふと思う、私は一体何を見せられているのだろうか?と。
ということで、今年の反省は「やっぱりまだSNSを見過ぎていた」ということで、来年はもっと本を読んだり映画を観たりすることに時間を使い、ニュースレターを書く時間ももっと確保したい(と言いつつ、SNSの投稿がレターを書く上でのブレインストーミングになっている面もあるので…なかなかネット廃人から立ち直れないのである)。
さて、本題に入ろう。
高市早苗氏を「女性首相」として歓迎できない理由というのを、けっこう著名なフェミニストの方々がそちこちで書いていて、中には「なるほど」と思うこともあるが、正直なところ、結局、みんな女性にばかり高いハードルを課すんだなぁ~という気持ちの方が強い。そして、個人的に賛同できないなと思うことの一つが、「○○に賛成していないからフェミニストじゃない」といった語りだ。
高市がフェミニストではないのは、まぁ、そうなんだろうと思うし、当人もフェミニストと呼ばれたいとは思っていないだろう。そして、女性政治家がすべて「フェミニスト」ではないということも当たり前のことだし、女性政治家がフェミニズム的な政策を支持しないことは「男性政治家がフェミニズム的な政策を支持しないこと」以上に悪いことなのだろうか?誤解されないように明記しておくが、私は男性であろうと女性であろうと、政治家が女性差別の解消に消極的なことに批判的だ。女性差別を放置したり助長したりするのは、首相の性別にかかわらず、同じくらい悪いことだと思っている。
しかし、高市政権発足からの左派やフェミニストたちの発言は、まるで「女なんだからフェミニズム的な政策を取るべきなのに、それをしないなんて!」と言わんばかりなのだ。
私は女性同士の連帯を信じているし、仲良くできなくてもそれぞれに女性差別と闘っていけばいいと思っているが、すべての女性が女性差別を自分と同じように認識しているわけでもなければ、すべての女性が「男女平等」を私と同じように望んでいるわけでもないことくらいは知っている。
この「私と同じように」という部分をもう少し詳しく言うと、同じことを「女性差別案件」と認識しているかどうか、何をもって「男女平等」と考えるか、といったことに個人差があるということだ。この数年で痛いほど思い知らされたことは、同じ言語を使っていても、同じ単語を使っていても、その意味するところは必ずしも一致しないことがあるし、文脈から切り離された言葉は意味をなさなくなるということだ。
くどくどと長い文章を書いてしまうのは、できる限り自分の考えを正確に伝えたいからなのだが、それでも言葉は受取られた時点でいつも少しずつズレてしまうものなんだろうと思う。
「フェミニストの条件」
さて、今回は、分かりやすい具体例として、「夫婦別姓」の話をしてみたいと思う。
私は選択制夫婦別姓の導入に賛成だ。自分の経験からも改姓の手間についてはよく分かるし、姓が変わることによる不便さなども分かっている。「選択制」であれば同じ姓を名乗りたい人は名乗ればよいだけなので、同姓にしたい人の権利は侵害されないのだから、すぐにでも導入すればいいのに…と思ってきた。
でも、同時に、そもそも「婚姻制度」というものを解体すべきだという考え方もある。そういうフェミニストからすれば、別姓での婚姻は結果として「婚姻制度」の延命に手を貸すものでもあるので、選択的夫婦別姓に反対するフェミニストがいてもおかしくはない。
だから、識者たちが高市首相を歓迎できない理由として、「夫婦別姓に反対している」ことを挙げ、それが「女性のためにならない」からと結論するのをなんだかモヤモヤした気持ちで眺めていた。それは、フェミニストであれば夫婦別姓に賛成すべきであるという前提で話が進んでいる感じがするからだ。
ところで、前から言っていることなのだが、夫婦別姓を求めている人たちは同性婚にも賛成している人が多いはずなのに、「別姓婚」ではなくて、「夫婦別姓」という言葉が使われているのは、やはり「夫婦」という言い方の方が乗りやすい人が多いということなのだろうか。単に「セイ」という音だと「姓」なのか「性」なのかが分かりにくいからということもあるだろうが、「同性」の対義語は「異性」なので、やっぱり「今ある婚姻制度」を前提に「夫婦で別の姓を名乗る」という話にした方が通りやすいという判断があるのではないかと思う。
高市が首相になったことで、当面は「夫婦別姓」の導入は望めなそうに思うが、旧姓使用の拡大が「実質的には別姓」の夫婦の存在を可視化することになれば、むしろ選択制夫婦別姓への導入の前段階としては機能するかもしれない。
「今すぐ別姓で婚姻できるようにしてほしい」という切実な願いを持つ人にとっては、そんな「将来への布石になるかも」などという分析はなんの慰めにもならないだろうし、これは私がその当事者ではないからこそ言えることだという自覚はある。しかし、残念ながら、それが現実でもあるし、新しい制度によって不便や不利益が解消される部分もゼロではないはずだ。そして、それは主に「女性の」被っている不便や不利益の解消なのだ。それは「女性のためにならない」ことだろうか?
また、私がいつも違和感を覚える語りは「姓は“誰にとっても“大事なアイデンティティ」というやつだ。ここで、“誰にとっても“と言うのは、「(改姓することが少ない)男性にとってだけでなく、(改姓することが多い)女性にとっても」という意味合いが強いのではないかと思うが、字面だけ見れば、「すべての人にとって」ということになり、そうなると改姓している人は自分のアイデンティティを簡単に放棄している(ことにさえ気づいていない)人と言っているように聞こえる。
もう少しわかりやすく言えば「フェミニストなら当然“自分の姓“のままで生きたいはず」と言われている感じがある。
しかし、私にとって“自分の姓“は、とりあえず便宜上必要なので使っている記号くらいものだ。生まれた時の姓は、もう25年以上連絡も取っていない父親の姓であり、私をその「家」に縛りつけようとする楔のようなものだった。だからこそ、私は自分の姓を「記号」と認識することでやり過ごしてきたと言えるかもしれない。35年間使った姓だったし、使い慣れていたので、変えてからしばらくは落ち着かない感じがしたし、古い知人たちの中には今でも私を旧姓で呼ぶ人はいる。そのことも特に嫌だとは思わないが、それは“姓“が私にとってはアイデンティティとはあまり関係ないものだからだ。
だからといって、「姓なんて単なる記号なんだから、みんな気にしなくていいんじゃない?」とは思わない。私の知人や友人の中にも、姓を変えたくないという人たちはいるし、その気持ちは尊重されるべきだと心から思う。
夫婦別姓を望む活動をしている人たちが集まれば、その場においては、姓は「誰にとっても」大事なものだよね、というコンセンサスが生まれるだろうし、個人の選択を「ワガママ」と見なしがちな日本社会においては、世間一般に訴える際に「誰にとっても」と「みんなの問題」として扱わざるを得ないという側面もあるかもしれない。
なお、数年前に結婚したドイツ人の友だちは姓を変えた。とりたててフェミニストを名乗ってはいないが、「男ってなんであんなに威張ってんのかね?ちんこが付いてるから?」とか言う程度には女性差別を意識してはいるし、普通にフルタイムで働いてもいる女性だ。別姓での婚姻が可能な社会であっても姓を変える女性もいるという例だろう。「選択制夫婦別姓」に慌てている反対派にも伝えたい話だ。
婚姻制度と私有財産の相続
ところで、婚姻制度には「再生産」と「財産相続」の二つの役割があると思う。前者について言及する人は多いが、意外に後者の問題についてはあまり言及されない印象がある。政府や各自治体が打ち出してくる「少子化対策」が「婚姻の奨励」の形を取りがちな(というか、政策決定に関わる男性たちがそういう意識でいる)ことも、婚姻と再生産の結びつきを強く意識させる。
SNSでも「子ども産む気がないのに結婚する意味がわからない」的なことを言う人がいるし、私自身も結婚したときに「次は早くお母さんに孫の顔を見せてあげないと~」的なことを言われて、21世紀になってもこれか~と実感したものだ。
「子どもを作ること」は、未来の納税者を作ることと結びつけて語られることも多く、お国や社会のためのように言われることも多い。もちろん、国家にとってはそういう面があるのは間違いない。戦中であれば、兵士の供給源でもあった。しかし、婚姻制度は「私有財産相続」の制度でもある。それを思い出させてくれる格好の事例は、上野千鶴子氏の結婚だと思う。
故小倉千賀子氏らと「嫌いなものは結婚しているフェミニスト」などと言っていた彼女が、土壇場になって、財産相続のために婚姻制度を利用したことは、アンチフェミからはそれなりにネタにされた気がするが、多くの女性たちからは「したたかな上野さん」のエピソードと捉えられたような気がしている。もちろん私の印象に過ぎないので、「当時からめっちゃ批判してました!」という人もいるとは思う。ただ、上野氏は未だに「フェミニスト界の重鎮」として扱われているという事実から、彼女の婚姻における、私有財産の相続という資本主義的なその動機そのものについてはほとんど問われないというのが現状なんだろうと思っている。
めちゃくちゃ個人的なことを言うと、私と夫は、お互いに特に相続してもらうような財産もなく、子どもも持たないけれど、家計を分けることもできない程度には相互に依存して生きている。そういう「既婚フェミ」を嫌いだと断罪してきた人が、婚姻によって莫大な財産を相続したことについてはあまり追及されないというのも、どうにもバランスが悪いなぁ~と思う。昨今の家父長制批判において資本主義への批判だけが抜け落ちてしまっているのではないかということを思わざるを得ない。
一応、言っておくと、「婚姻制度を利用していることが家父長制への加担である」という批判については、そういう批判はされても仕方がないかなとは思っている。私としては、可能な限り「家父長制的でない婚姻の内実」を実践しているつもりではあるが、「内実」など外側からは見えないものだし、それが制度そのものへのダメージになるかと言われると心もとない。
そもそもの制度自体に問題があるという認識はあるし、最終的には婚姻制度は解体されるべきだと思ってもいるが、制度そのものが家父長制の維持に繋がらないようにしてしまえないものか…ということは考える。それも「家父長制を内側から解体派w」と小馬鹿にされているのは知っているが、別になんの後ろ盾もない一個人にできることなどたかが知れているわけで、自分にできる範囲でできることをやることで、社会に何かを還元できれば良いなと思う。
資本主義に取り込まれるフェミニズム
再生産と私有財産の相続は絡み合っている。せっかく稼いだ財産を、見ず知らずの他人に分配したいという人も国庫にまるごと納めたいという人もあまりいないだろう。どうせなら自分の家族に独占的に相続させたい、そのためにこそ自分は一生懸命働いているのだ、と思う人の方が多数派なのではないかと思う。それをうまく利用して「家族」の形を国家が利用しているという共犯関係がそこにはあるんじゃないかと思う。だからこそ、反家父長制を唱えるのであれば、そこには資本主義批判の視点も必要になるのではないか。
と、気づけば風呂敷を広げすぎて畳み方がわからない状態になってきたが、簡単にまとめると、過去にも書いてきた通り、ここ10年ほどのフェミニズム・ブームはフェミニズムが資本主義に取り込まれたからこその産物なのだろうということだ。そして、それは女性差別の解消に役立つ部分もあれば、むしろ女性差別解消を阻む効果も持っているように思うのだ。資本主義社会は、男性身体に有利なようにできているからだ。だからこそ、お金のある女性たちは「妊娠・出産」を外注する。しかし、当然のことながら、全ての女性が等しく「妊娠・出産」を外注することはできない。むしろ、外注先(代理母)の存在が必要になるため、外注できる立場の女性たちは、女性間の格差の是正には消極的(あるいは無関心)になることさえあり得る。
女性間の格差と言えば、少し前に、旧Twitterで、フェミニストを自認している女性が当たり前のように「家事などを外注して男並みに働く女性が増えないと女性の地位は向上しない」というようなことを言って批判されていた。資本主義社会においては、どうしたって「女性であること」は、身体的に不利なのだと思う。男性身体を基準として「一人前の社会人」像ができ上がっているのだから、そちらに合わせようと考えると、自然とそうなる。
男性がもっと家事や育児に関わるように推奨したり、日本社会においては、そもそもの「家事」の要求水準が高すぎることなどを問題にしたりするよりも、「女がもっと頑張らないと」と女性個人の努力の話にした方が、「社会」にとっては都合がよい。
また、批判されていた女性は、自分の家のお手伝いさんに要らなくなった古着をあげて喜ばれた話なども懐かしい思い出として書いていたのだが、むしろ「お手伝いさん」と「私」の経済格差を披露していることに気づかないようだったのが印象に残った。彼女は、お手伝いさんにすごく感謝もしていただろうし、服を喜んでもらったことも素直に嬉しかったに違いないと思うのだが、そこに「持てる者」ゆえの「見えなさ」があると思ったし、自分も同じような「見えてなさ」ゆえの発言をしていることはあるのだろうな、と改めて思う。
なお、私は、家事や育児に関しては、家庭内で抱え込むことの弊害も大きいと思うし、つらい時に外注できる仕組みは絶対に必要だろうと思う。請け負う側がきちんと(搾取にならないレベルの)報酬を受取ることができるように、国や自治体で支援をすることは、“少子化対策“の一貫としても有効だと考えるが、代理母に関しては、どう頑張っても搾取になるという考えなので、全面的に禁止すべきだという意見だ。
「私のフェミニズム」を生きる
多くの識者が「フェミニストの条件」として、選択的夫婦別姓を躊躇なく挙げることができるのは、それが資本主義批判とは切り離せるイシューだからかもしれない。というのも、高市政権発足後に私が目にした「フェミニストの条件」に挙げられていたものには、「ジェンダー平等」などのお題目はあっても、具体的な「男女の賃金格差の是正を求めること」のような文言が見当たらなかった。
別姓婚を女性差別解消の第一歩として重視したい女性がいることはわかるし、その人たちの活動は応援している。職場の同僚なんかと話題にすることもあるし、オンラインの署名などに参加したこともある。しかし、それを掲げないことを理由に「フェミニストではない」とまで言うことではないと思う。
フェミニストかくあるべし、みたいなものをありがたがっていても女性差別はなくせない。男女の賃金格差の是正を真っ先に掲げないフェミニストたちと、私は関心領域が違うんだろうなと思っているが、しかし、彼女たちの主張の全てを否定するつもりはないし、ましてや「フェミニストじゃない」と言おうとも思わない。フェミニストはひとり一派と言われるほど多様だったはずだ。そして、それこそが強さでもあったはずだ。しかし、最近は、多様性を謳いながら、「○○だからフェミニストじゃない」「○○と言わないのはフェミニストじゃない」と自分たちの気に入るフェミニスト像を押し付けるような言葉が、SNSだけでなく、新聞などのメディアにおいてさえ観測される。
新聞で「フェミニズム」が取り上げられるようになったこと自体を喜ぶべきなのかもしれないが、「唯一の正しいフェミニズム」という結論ありきな構成になっている記事もあり、しかも、その記事の署名記者が男性だったりすると、「あぁ~、ね」という名状しがたい気分にさせられる。「みんなのもの」になったフェミニズムには、女性の居場所が少ないのだ。
「“真の男女平等“を求めるのがフェミニズムじゃないのか」「女性を被害者扱いするのは逆に女性差別」などと女性に食って掛かる男性も珍しくはない。しかし、「真の男女平等」とは一体何なのか?という話で平行線になる。
男女には身体差がある。その差は優劣の差ではない。性質の違いなのだ。違う性質を持っているのに、男性の性質が「正しい」「基準」とされていることで、女性は不利になる。だから、性質の違いが不利にならないように補うことが必要なだけで、それは女性を優遇しているわけでも男性を差別しているわけでもない。この前提のもとで、女性の「不利」をなくすように、社会制度の方を調整していくこと、男女差を優劣の差だと考えがちな思考を修正していくこと、それが「真の男女平等」への道だと私は考えている。そして、それこそが私のフェミニズムだ。
ちなみに「真の男女平等~」発言は、アンチフェミっぽい男性から左翼・リベラル男性まで幅広く見られるもので、「女性を被害者扱い~」は左翼・リベラル男性が好む表現である。前者は結局のところ「俺の考える最強の男女平等」みたいな話で、完全に男性のお気持ちベースの「男の邪魔にならない範囲で女の権利を認めてやる」という意味にしかならないし、後者は女性の自主性や主体性を尊重しているように見せかけることができるという小賢しさが悪質である。本当に女性のことを尊重してくれるならいいんだけど、「女性を尊重できる俺」をアピールするのが好きなだけ男は多い。実際には、女性の主体性を尊重できてないし、尊重できてないことにも気づかないし、女性の被害を軽く見積もるし、「被害者」として声を上げていい女性を決めるのも「俺たち」だと思っている左翼・リベラル男の多さには毎度うんざりするのだが、「お前は黙れ」と言われ続けても、私は私のフェミニズムを発信し続けようと決意する2025年末なのであった。
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
ギリギリのところで、8月からは月1本は配信できているペースで2025年を終えられることになりました。講読登録してくれている方々、web公開版を読んでくれている方々があってこそのホルガ村カエル通信です。今年もありがとうございました!
2026年も月1回は更新できるように頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
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