B'zと〈男らしさ〉のままならなさ

「"別れた女"のことを歌える=女がいた=not 非モテ=陽キャ=マッチョ」くらいの感じでB'zをマッチョ呼ばわりしてるひともいたりして…
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2021.05.21
誰でも

 大海蛙さんという方が書いたB'zの歌詞をフェミニズム的な視点で丁寧に読み解く記事が私のTLでも話題だ。とは言っても、このニュースレターが配信される頃には、また別のことが「話題」になっているような気もするが、それはそれとして、この記事を読んで色んなひとが「B'zと私」の話をしているので、私も便乗して少しその辺りの話をしてみたい。

B'zとわたし

 まず、この記事を読んで、私が真っ先に思ったのは、「え?!B'zってマッチョだと思われてたの?!」だった。ここで、念のために確認しておくが、私は「自分は以前からB'zのことをよく知ってたんだぞ」と言いたいわけではない。というのも、私はB'zに関しては完全に「にわか」の方だからである。

 高校のまあまあ仲良しだった友人がB'zファンだったり、家によく遊びにきていた姉の友人から「B'zのこの曲がエアロスミスだから聴いて!」と聴かされておぉーとなったことがあったり、スキー場でB'zの曲がかかっていた記憶があったり…私の(当時の)推しであった宝塚トップスター(当時)の真琴つばささんがB'zと共演して〈ultra soul〉を歌ったことがあったり、邦楽をほぼ聴かない私にしては、B'zの曲は「知ってる方」ではあるし、譜割が英語歌詞っぽくてカッコいいなぁとは思っていたのだけれど、きちんと「B'zを聴くぞ」という姿勢で聴くようになったのは、長年B'zファンをしてきたD氏とつき合い始めてからである。

 D氏はB'zの比較的古い曲の方をよく聴いているので、私のB'z知識はだいたい90年代なのだと思われる。上記記事で言及されている曲の中にはあまり馴染みがない曲もあるし、歌詞を暗記しているのはベスト盤PleasureとTreasureの収録曲くらいだったりする。その頃のB'zはダンサブルな曲が多いので、近年の曲とはまたイメージが違うのかもしれないが、歌詞はけっこう情けなくて、でも、なんか「かわいい男性」な感じがあるし、B'zの歌詞については家でもよく話していたので、世間一般では「マッチョ」「陽キャ」というイメージがあるということに逆にけっこう驚いた。(そもそも「陽キャ」とか「陰キャ」という言葉を知ったのがここ5年くらいなんだが…)

 繰り返すが、私は「自分は前から知ってたぞ」と言いたいわけではない。むしろ、以前からB'zのそういった側面を評価していたのはD氏だし、基本的に私は日本の音楽評論をあまりよく知らないので世間一般のそうした評価を知ったことで、なぜB'zはそのような評価をされてきたのか、を勝手に考えているわけだ。

「雄々しい陽キャ」イメージの正体

 すでに記事でも丁寧に言及されているように、B'zの歌詞には「脱・有害な男性性」なメッセージがたくさんあるし、男性の視点で「男らしくあらねばと思っていたせいで失敗した」的な反省文(笑)もちりばめられている。それにもかかわらず、マッチョと思われていた理由について、D氏にも訊いてみたが、そもそもB'zの歌詞が音楽評論の場において「まともに論評する対象」とされてこなかったから、そのイメージは「スタジアムライブが似合いそうな雰囲気」や「ハードロック調の曲」といったフィジカルな側面からもきているのではないか、というようなことも言っていた。

 私の知っているB'zは(ヘビメタを愛聴している人間からすると)あまり「うるさい」というイメージがないのだが、そもそもハードロックという音楽ジャンルが「うるさい」と思われがちだし、「男性性」と結びつけて捉えられがちなのは事実と言ってよかろう。ギターの聴かせどころがあり、ハイトーンでシャウトの混ざるヴォーカルという組み合わせは、「コード4つしか知らないけど音楽で等身大の自分を表現します」「ステージ衣装は普段着っぽいTシャツにジーンズ、スニーカー」みたいなタイプの内省的ロックの対局にある。そんな、派手なステージパフォーマンが映えるスタジアムロックっぽいB'zの歌詞が実は「うじうじしている」というのわかりにくいのかもしれない。また、90年代の曲はダンサブルなものも多いので、「踊れる曲」という時点でリア充感があるにはある。
 そういうフィジカルに受容される部分とCMやイベントのテーマソングとして採用される華やかさなどが全体として「陽キャ」イメージになっているだろうし、稲葉と松本というふたりのルックスのカッコよさも相まって、全体として「マッチョなバンド」「男らしい硬派なバンド」として感受されてきたのかもしれない。

 B'zはハードロック・ヘビメタ好きには「洋楽のパクリ」「ただのポップス」扱いされがちで、内省的なロック好きからは「売れ線」「ウェイウェイした馬鹿っぽいハードロック」扱いされてきたのではないか、という気がするのだけれど、そういう意味ではちょっとボン・ジョヴィと通じるなぁと思う。ボン・ジョヴィは今でこそ世界的に評価されているが、デビュー当時はなまじルックスもよかったものだから、「ミーハー女がキャーキャー言ってるバンド」のように扱われていたわけだし、今でも「ロック好きオヤジ」みたいな男性からは、ボン・ジョヴィが好きだと言うとそこそこの頻度で小馬鹿にされる。私はむしろAlwaysのPVがキモ過ぎてMTVでかかると「うわー!」って逃げてたくらい嫌だったのに、小学生の頃に耳にして「カッコいいな」と思っていた曲がボン・ジョヴィの曲だったことがわかって、そこから反省してボン・ジョヴィを買い集めたくらい「耳で聴いて好きになった」というのに!(脱線した…)

弱さに居直らずに弱音を吐く男の魅力

 B'zの歌詞の面白いところは、それなりにうじうじとしているのにジメジメはしないところだと思う。「男らしくない」とされることを言うこと、吐露することへの忌避感がないのかもしれないが、実に自然に弱音を吐くし、「君だけが僕を癒せる」などの歌詞も「だからお前が俺をケアしろ」という感じに響かないのだが、これはもう天性の才能かもな…。
 そして、歌詞が「男らしくない」と言っておいてなんなんだが、そこで否定されているのは《有害な男性性》であって、B'zの歌詞ってあくまで「男の」歌詞なところがけっこう重要な気がする。昔から日本の歌謡曲には、男性が女性になりきって女性の気持ちを歌うものがある(あと男が女性の歌手のために書いた歌詞もだいぶヤバいよね)。代表的なものが私が虫酸が走るくらい大嫌いな〈神田川〉であるが、女性を一人称にしておきながら有害な男性性がこれでもかとぶち込まれた実に日本らしいああいった曲の、まさに、正反対をいくのがB'zの歌詞だと言える。女性に擬態することや女性的とされる記号を利用することをせずに、男性としてある種の「男性らしさ」を出しながらも有害な男性性との決別を歌っている。しかし、そのせいで「マッチョ」と認識されやすいのかもしれない。そのくらい「男として有害な男性性と決別すること」が多くの男性にとっては至難の業なのだとするなら、それはやはり日本社会にある男女それぞれへの規範のキツさ故なのではないだろうか。

 「男性として魅力的であると見なされる」ことは、そのまま「マッチョさ」と結びつくとは限らない。大海蛙さんの記事、そして、それに触発されて「B'zの歌詞のここが好きだ」というツイートをしている女性たちの意見を見れば、その「マッチョではないところ」こそが魅力だとみなされている。歌詞の中にはなかなかに歯の浮くようなキザな表現も出てくるし、「男らしくあろうと無理をしてる」みたいなのも出てくる。有害な男性性からの脱却を歌うとは言っても、まったく完全に超越しているわけではなくて、その"現実に生きているからこそのままならなさ"みたいなものが歌われているから、共感もできるし少し笑えるし、その哀しさも含めて愛おしさみたいなものになっていると思う。だから、最終的にポジティブな気持ちになれるのだろう。しかし、それも、また「マッチョ」「イケイケ陽キャ」となんとなく思われる理由かもしれない。

***

今回のホルガ村カエル通信は以上です。

 フェミニズム的な音楽評論って、海外の女性歌手を紹介するものはそこそこあるように思うのですが、日本国内についてはどんな感じなのでしょう。なんせ日本人のミュージシャンで子どもの頃から今もずっと聴いているのが鈴木雄大くらいしかいないもので(Twitterでこの名前を出して「知ってます」と言って来たひと一人しかいないんですが…)。
 音楽の話は需要がないような気もしつつ、自分としては書いていて楽しかったので、また機会があれば…というか、実は下書きが1個あるんですよね…〈部屋とYシャツと私〉って曲について書いたやつが…

ということで、次回それになるかはまだ未定ですが、また次のニュースレターでお会いしましょう🐸

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