ミサンドリーの効能
ミサンドリーとはなんなのか(復習)
ミサンドリーはミソジニーの結果であり、言い換えるなら《有害な男性性への嫌悪》である。それは必然であり、「よーし!ミサンドリーになるぞぉ!」と選択したわけではない。まぁ、それを言うならミソジニーもある意味では必然なのだが、しかし、ミソジニーは「社会構造」に組み込まれた差別の原因であり結果でもある。《女性を嫌うこと》の根拠は「女性だから(男性ではないから)」なので、なぜ女性だから嫌うのかは女性だから…と永遠に循環するしかなくなる。「男性から加害されたから」「男性から差別されたから」という明確な根拠があるミサンドリーとは、やはり、等価にはなり得ない。
そんなことはない!俺は女から加害された!と言い出す男が挙げてくるのは、レディースデーと女性専用車両と「ATM扱い」「女は下方婚しない」と…あと何かな?まぁ、どれも男社会が女性を差別した結果なので、大本の原因を一緒になんとかしよう!と言ってるんだが、「いやだ!俺にも女奴隷をよこせ!」みたいなかんじなので、🐻に入れて🔥しようかな…みたいな気持ちに。
社会はミソジニーには寛容で(なんせ社会の構成要素になっちゃってるから)ミサンドリーには厳しい。「ミソジニーもミサンドリーもよくない」と言うひとでさえ、蔓延するミソジニー発言よりも時折爆発するミサンドリー発言の方を批判しがち。ミソジニーはある意味で標準装備なので、装備していることに気付かないでもいられる。もちろん、気付いたことで解放されるひともいるし、気付いたことで逆に「以前よりも気楽に楽しめるコンテンツが減った」なんて経験をしている女性も多いと思う。
一方のミサンドリーは、《有害な男性性へのカウンター》なので、まずは有害な男性性(ミソジニーの有害さ)というものを認識してからでないと身につけにくい。また、言語の成り立ち自体はミソジニーの対義語なので、等価だと勘違いされがちでもある。しかし、当ニュースレターで何度も繰り返し主張してきたように、ミサンドリーはアンチミソジニーであり、原因に対する結果であり、無意識に装備されているミソジニーを暴き、それを解消する武器でもある。
マジョリティの理解と協力
マジョリティに理解してもらわないと改革は進まない。それは一理あるのだけど、一人の女性が一人の男性を説得するのに必要な時間と労力というのはものすごく大きい。ましてや男性側が2人や3人だったら?彼らは次々と、質問という体で揚げ足取りをして話をまともに聞こうとさえしないだろう。そういう場で何かを主張するとき、多くの女性は相手に受け入れられる程度のことしか言えない。その結果、本当に言いたいことの20%くらいしか主張できていなくても、それを受け入れた男性は自分たちの100%の寛容さに満足して「女は俺たちに感謝すべき」だとさえ思うだろう。実現すべき平等の20%で「あのとき〜してやった」「〜を実現したのは俺」だと"男女平等を実現した"功績を盾にその男性(たち)の評価だけが上がるかもしれない。
だからこそ、クウォーター制の導入には意味がある。「数だけ増やしても…」という意見があるが、多くの組織で男が権力を握って男に都合の良い決定をしているのはまさに「男の数が多いから」なのだから。
それぞれの組織において女性比率が増えて、女性が意思決定に参加できるようになると同時に「世間」「世論」というものも大事だ。「男性に理解してもらうように…」と男の顔色をうかがって発信する女性が《男性の理解と協力》を得ていくことにも意味はあると思うが、一方で女性の怒りと共感を喚起するのも大事だ。仮に男性が理解できなくとも、協力したいと思えなくとも、社会を構成する女性の半分、つまり全体の25%くらいが女性差別に毎度毎度めちゃくちゃキレまくっていたら、彼らは「めんどうくさいな」と差別を表出しにくくなるだろう。内心では「女はヒステリー」とか「女は感情的」と非常に感情的になってはいても、表面的には冷静に「女性差別はいけないので女性の意見をききます」とせざるを得なくなるし、そういった制度や法整備もするようになるだろう。
丁寧に対話を重ねて、己のミソジニーと向き合ってもらい、それを反省してもらって、人間として成長してもらう…というのは個々人の関係においては意味のあることだろう。しかし、社会改革とは「差別心を矯正する」ことではなく、「差別をできない仕組みをつくる」ことを目標とすべきだ。ひとの心を変えることは難しいし、本当に変わったのかどうか確かめることもできない。だからこそ、制度や法を変えることでマイノリティの権利を守ることが大事になる。
現状、決定権を握っているのは圧倒的に男なので、「男を説得して女性を意思決定の場に増やしてもらう」という方法では時間がかかりすぎると思う。《心ある男性》《フェミニズムに理解のある男性》を増やして、積極的に男に向けて発信してもらうことの効果はあるし、それはそれでいいんだけど、やはり社会の空気を変えるには、「私は女性だからって差別されたことないなぁ…」と差別されていることが当たり前になってしまっている女性や「モヤモヤするけど我慢するしかないのか、自分が気にしすぎなだけなのかも」と思っている女性に、「この社会には根深い女性蔑視があり、女性は女性であることを理由に行動を制限されている」こととその理不尽さを共有して一緒に怒ってもらう必要がある。
先日、半年ぶりに担当の美容師さんと会話をしてて、オリンピックやらコロナ対策やらについては見解が違うなぁと思ったが、#生理の貧困 の話になった途端、多くを語らずに通じることがたくさんあった。フェミニズムという思想についても彼女と私は見解が異なるように思うが、リアルな困り事である生理については共有できる。女性の数が増えるだけで、意思決定組織で共有される女性の困り事は増えるし、困り事が共有されれば「ひとりの女のお気持ち」ではなくて、「社会の中で女性が置かれた状況」としての対策が可能になるだろうと希望が持てる。
ミサンドリーのすすめ
さて、こういったこととミサンドリーの何が関係あるのか?と思われるかもしれないが、「フェミニストは自分の主張が正しいと思うなら男の俺が納得できるように説明すべき」だと思っている男は多い。そのくせ女性が具体的な経験の話をすれば「男だって…」と自分の経験をかぶせてくるし、「そんな言い方では共感されない」「主語がデカい」と言い出す。ミサンドリストの私に言わせれば、「自分を説得してみろ」という態度がそもそもミソジニーの発露のことが多いのだ。ほとんどの男は男に対しては「俺を説得してみろ」という態度はとらない。女性に対してだけ「説得してみろ」という気持ちになるのなら、その原因は女性の側ではなく自分の側にあるんではないか?と一度くらいは疑った方がいい。しかし、女性は「うまく説明できなかった自分の理論武装が足りなかった」と考えがちなのだ。ミサンドリーという防具をまとえば、「説得してみろよw」男など最初から相手にしないという時間と労力の節約ができる。これはくだらないことのようで結構大きな効能だと思う。
もちろん論戦大好きで言い負かせる!というひとはやり合うのもいいと思うが、そこで言い負かされた男がどんな反応を示すかと言えば、「私が間違っていました。あなたの言う通りですね」となることはまずない。場合によっては「女(フェミ)こわっ!」と被害者ヅラまでされるので、マイナスの方が大きい。
私は何でも損得で考えることには反対の立場だが、日本の根が深〜いミソジニーに対抗するには、多少は効率も重視せざるを得ない。
最初に書いたように「よーし!ミサンドリストになるぞ!」と決意してなったわけではないが、ミサンドリーを推してこうというのは意識的にやっている。そうでないと、長年の刷込みで男社会でわきまえた言動をとってしまう可能性は0ではないと思うから。「フェミニストじゃなくて、ただのミサンドリスト」と言われるが、それがどうした?と。
私個人が男から好かれても女性差別はなくせないが、ミサンドリストが増えたら女性差別しにくい仕組みは整っていくと思うんだよね。
つまり、ミサンドリーは女性差別解消に役立つ。
女性差別は「騒いでもらえて」羨ましいと言った男性がいるが、「騒いでもらえて」などいないから、自分たちで騒ぎにしていくのだ🔥
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
毎週毎週、「またかよぉぉぉぉぉ」と思うのに飽きるくらいに男のミソジニー大爆発が発生してますが、研究者界隈のミソジニーのなかなかの深刻さには予想を超えるものがあって、この件についてもいつか掘り下げて考えてみたいようなみたくないような…。
次回配信は4月となるので、ミサンドリー特集は今回で一応はラストですが、たぶん、今後もなんだかんだでミサンドリーはいいぞ!みたいな話はちょこちょこしていくと思います。
感想などをシェアしてくださっている方、エゴサ下手クソ選手権で優勝できそうレベルにエゴサうまくできてないので、#ホルガ村カエル通信 をつけてもらえるとありがたいです〜。例によってマシュマロに投げてくれてもOKです。
では、また次回の配信でお会いしましょう〜🐸
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