「性嫌悪」と呼ばれるもの

「性嫌悪批判」を6年以上観察してきて思うことをつらつらと書いてみたけど、とりあえず「〜フォビア」って別に必ずしもいけないものではないってところから始める?
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2022.02.11
誰でも

フォビアと呼ばれることへの恐怖

 「セックスフォビア」、和訳すると「性嫌悪」という言葉が、相手を非難する文脈で発せられるのを最初に目にしたのは、2015年の年末頃のTwitterだったと思う。私はいわゆる「左翼市民運動界隈」あたりからTwitterでのフォロー関係が増えていった人間なのだが、あの界隈において「〜フォビア」という言葉でもっともよく知られており当然非難の対象とされるのは「ホモフォビア」であった。
 これは私の推測に過ぎないのだが、男性たちの多くはホモフォビックな「ネタ」で遊んだ経験が少なからずあるのではないかと思う。左翼の男性たちは過去の自分(なんならごくごく最近までの自分)のそうした「ホモフォビア」を反省させられた経験から、「〜フォビア」を自動的に「悪いもの」「差別的なもの」と思い込んでいそうな印象が少しある。だから、セックスフォビアという単語が出てきたときに、自分が差別者であると糾弾されることに恐れをなして「自分はセックスフォビアじゃありませぇぇぇぇぇーんっっっ!女性がセックスワークする権利を守れ!」って一気になだれていったのではないかなぁ、と。その後、「ペニスフォビア」という単語を、あまり接点がなさそうな男性二人が、それぞれに別のタイミングで、やはり非難がましく使っていたこともあったのだが、ペニスが嫌いなひとの何がいけないのかさっぱり分からないし、これにはさすがに笑ってしまった。やっぱり「つい最近までフェミニズムとか全く考えたこともなかったです」系の男性は「〜フォビア」認定をものすごく恐れているんではないかという気がしてしまう。そして、自分が恐れているからこそ、「〜フォビア」認定を出せば相手がひるむと思っているのだろう。しかし、「〜フォビア」は「〜恐怖症」と言う意味で使われる単語であって、別に「〜フォビア」そのものに差別者を名指す意味はない。ホモフォビアが非難されるのは、それが同性愛者への差別と排除に基づくものであり、差別と排除を助長するものだからである。

 念のために確認しておこうと思うが、左翼側が「性嫌悪」を批判する理由は、ザックリと以下の2点ではないかと思われる。
 ①家父長制的な一対一のパートナー関係を規範とする保守的な思想に基づいているから
 ②性的な事柄をタブー視することは女性の性的自己決定権やリプロダクティブ・ヘルス・ライツを侵害する危険があるから
 問題は、彼らが「性嫌悪」のレッテルを貼っているひとたちの大半は①に当てはまらず、②についてもむしろ性的な事柄をタブー視しないからこそ発言している場合の方が多いということだ。そのため、議論が全くかみ合っていないというより、単なるレッテル貼りにしかなっておらず、何一つ建設的な話にならないのである。

 話を最初に戻すが、初めて「性嫌悪」認定を受けてからというもの、私はなんだかんだで毎年のように「性嫌悪」「家父長制フェミ」などと呼ばれてきているのだが、そう呼ばれるのは何に言及したときかと言えば、性風俗産業である。
(※このニュースレターでは、日本においてはもっとも市場が大きい「男性向けの女性による性サービスの提供」に絞って話をしていくこととする。)

みんな弱い立場の女性の存在にうっすら気付いているはず

 私はリベラル・フェミニズムの影響もかなり受けていたこともあり、2012年頃には「売春の非犯罪化」に賛同する立場をとっていた。というのも、日本では「売春行為を行なっていませんよ」という建前はあるものの、実質的には売春が行われている。それを「ないもの」のようにしておくことには弊害が大きいと考えていたからだ。性産業に従事するひとが「働く者の権利」をきちんと要求するためにも、非犯罪化して組合を作ったりすることなどがプラスになるのではないか、とナイーブにも考えていたわけである。
 私は、ドイツに2年間だけ住んでいたのだが、その街にも「飾り窓の通り」があり、別の街では飾り窓の通りも含む歓楽街がちょっとした観光スポットにさえなっている。大きな街の「中央駅」(長距離列車が停車する駅)の前や駅構内には必ずセックストイなどを扱うショップがあり、夜10時を過ぎるとテレビでもコールガールのCMが流れる(といっても私はテレビを持っていなかったのであまり見る機会はなかった)。売春が禁止されていない国なんだなぁ〜と実感したし、中央駅周辺では少し緊張した(ヤク中やアル中もたむろしてるから)が、まずなにより「アジア人」である私は、「アジア人差別」や「外国人扱い」の方に気を取られていたこともあり、女性差別についてはあまり覚えていないのだ。道端で通りすがりのおっさんに「まんこー」と日本語で言われたことはあるが、あとは覚えがない。
 しかし、今になって振り返ってみると、それは自分が2年間の留学という腰掛けのお客様であったことと無関係ではないように思う。私が大学や語学学校、その周辺で知り合った人たちには性産業に従事しているひとはおらず、私はその産業のあり方について考える機会もあまりないままに過ごしていたし、性産業が「隠されて」いないことが社会にどんな影響を与えているかについても、気にする必要も感じずに生活していただけだったのではないか。
 とは言っても、私もどこかで実は薄々気付いてはいたように思う。あの飾り窓の通りで働いている女性の多くは、ドイツ生まれではなかったり、他国にルーツを持っていたりするのではないか、ということに。ドイツの性産業が、弱みを持った女性を搾取することで成立している可能性に。

 時と場合によって程度に多少の差があるにしても、性産業が、昔から「その社会における弱者女性」を搾取することで成り立ってきたことは、単なる事実でしかない。
 まだバブル期の(そして、その残滓の残る)東京では、私の生まれ育った零細企業が多い下町でさえ、フィリピンパブがあり、(アジア圏内の)外国人女性たちが「男性にだけビラを渡す"エステ"」が数多く存在していた。彼女たちは「日本で出稼ぎをする」ことを選んでやってきたのかもしれないが、だからといって彼女たちが搾取されていなかったことにはならないだろう。かつて、日本の男性たちが大挙してアジアの国々に「買春ツアー」に行っていたことは周知の事実だが、あれも広い意味での「社会」における弱者女性の搾取だ。しかし、ここ10年ほどは駅前でビラを配る出稼ぎの外国人女性を見かけなくなった。彼女たちはもっと稼げる国に河岸を変えていったのだろうか。いずれにしても、日本という国が貧困化するのと連動して、日本で生まれ育った女性たちの貧困化も進み、それを日本の巨大な性産業が呑み込んでいっているように思える。「短時間で効率良く稼いでいる」と話す風俗嬢がいることは本などで読んだが、それほどに稼ぐことが難しいのが貧困化した日本社会であり、福祉がきちんと機能していないことで女性たちが「自ら搾取されることを選択させられる」ということが、毎日数え切れないほど起こっているのだろうと思わされた。
 お金が唸るほどあって暇を持て余して性風俗で働いている女性というのも実際にはいるのかもしれないが、まずほとんど見かけない(大勢存在するのなら、女性を性的搾取したい人々にとっても都合がいいので、もっとメディアに乗ると思うのだが)。
 女性が、単に性的なことに関心があるのなら、好きな相手と合意を取って好きなように性行為をすればいいわけだし、Twitterでも「暇な女子大生」さんとかその手の有名アカウントもいたくらいだ。お金に困っていないのであれば、セックスが好きだからといって、わざわざ見ず知らずの性病検査もしていない男を相手にピンハネされて働く必要などないからである。

曲解され、捏造される「性嫌悪フェミ」の発言

 性産業のこうした「搾取」の構造を指摘することは、「従事している女性」を批判することではない。それはいわゆる「ブラック企業」批判がその社員や従業員への批判ではないのと同様だ。むしろ従事しているひとは往々にして「搾取」の被害者である。といったことを言うと「被害者扱いするな」「女性の性的主体性を蔑ろにするな」という反発があるのだが、まずは「被害者扱い」をあまりにもマイナスに取りすぎるように思えるし、「性的主体性」の話をしていると言う割には、なぜかその女性自身の快楽は後回しの「客(男性)の射精介助をする権利」の話になってしまっているのが不思議である。
 一般的に、「被害者である=弱者である」ということを認めるのは、場合によっては不愉快なことも不公正なこともあるのだと思う。しかし、私のような主張を「性嫌悪」と呼ぶワーカー当事者さんたちも、現在ワーカーが置かれている状況の改善は求めており、今のままで何も問題がない業界だとは思っていないことは間違いないだろう。ブラック企業と呼ばれる企業を今すぐ魔法のように消し去ることはできないのと同様に、性産業も今すぐなくすことはできないだろう。だからこそ、搾取の構造を指摘しつつ、同時に今現在働くひとの安全と同意が守られること、待遇が改善されることを要求していくことも必要だと私は考えている。(もちろん、それ以上に、望まずに働く必要がないように、貧困や家庭の問題を抱える女性を必要な福祉に繋げていくことも重要だ。)
 また、すでに述べたように、女性の性的主体性の話をしたいのであれば、むしろ「女性向け風俗の充実を」という話にもなりそうなものなのに、なぜか「男性客の射精の手助けをする権利」一辺倒なことに、「性嫌悪批判」をしている(特に左翼の)男性たちは自分たちで気付いているのだろうか。彼らは自分では先進的でリベラルな主張をしているつもりで、実のところ「セックスとは男性が挿入なりして射精することであり、女性とは男性に挿入されると快楽を覚えるものである」という男性中心的なというか…男性向けポルノ的なセックス観に基づいて、「性的主体性」=「男性の射精を促す行為」だと思い込んでしまっているのではないだろうか。

 左翼による「性嫌悪」批判の論点①に関連した話をすると、家父長制社会において、女性は「家庭内で再生産を行なう(家父長の子孫を産む)女性」と「家庭外で性処理を行なう女性」に二分される。男性たちは、前者をある特定の男性の所有物と見なし、その男性の資産として尊重する一方で、後者のことは誰もがアクセスできる性処理道具として利用しつつ見下すようになっている。私のような性産業を批判する立場の人間が批判しているのは、その分断による統治と搾取そのものなのだが、なぜか「性嫌悪批判」をするひとは、女性同士の対立の話に仕立て上げる。まるで私が家父長制社会を肯定した上で、性産業に従事する「家庭外で性処理を行なう女性」を差別して排除しようとしているかのように、こちらが言ってもいないことを言ったかのように批判してくる。
 論点②についても、望まない妊娠に繋がる行為への注意を促したり、未成年へのグルーミングや性搾取を批判したりすることは、まさに女性の性的自己決定権およびリプロダクティブ・ヘルス・ライツど真ん中だと思うのだが、ここでも「女性の性の主体性」や「未成年の性的関心」を、「家父長制的な価値観で縛ろうとしている性嫌悪フェミニスト」みたいな批判がぶっ飛んでくるのである。

性嫌悪と呼ばれるものの正体

 私が中高生だった頃はネットがなかったので、今の子どもたちがどのくらい簡単に性的な情報にアクセスできてしまうのか、想像し切れていないところはあると思う。そもそも「素股」という単語さえ、私はTwitterを始めてから知った。挿入行為は建前上ご法度だから、違法行為ではないですよ〜という言い逃れのために編み出された風俗用の疑似挿入行為など、中高生が積極的に知る必要があるとも思えない。それでも図らずして知ってしまう環境があるなら、大人がするべきことは「(男性客と)いかに安全な素股を(←そんなものはない)を行なうか」などと指南する18禁サイトへのリンクを貼ることではなく、「コンドームを着けても妊娠の可能性はゼロにはならないこと」「自分と相手の身体を大切にすることの重要性」「望まない行為はしなくてよいこと」「断っても強要してくるようならそれはレイプであること」を伝えることではないだろうか。

 結局、「性嫌悪」と呼ばれるものの正体とは、「男性の射精の邪魔になる言説」であり、「女性の性的快楽に男性(ペニス)は必要不可欠ではないという事実」なんじゃないかな、という気がしている。
 性嫌悪批判の文脈で出てくる発言は、「女性の性的主体性」の話をしているはずなのに、「男性を気持ちよくする権利」「男性の射精の手助けをする権利」の話になってしまっているし、「女性が性行為に積極的になる権利」の話ばかりで「性行為を望まない権利」「性的に扱われない権利」についてはほとんど言及されない。左翼・リベラルを自認している人たちでさえ、そのアンバランスに気付かないほど、「女性の性的自己決定権」はまだまだ尊重されていないのだなぁ〜とつくづく思いますな。

 そもそも別に性的な関心が全然なくたっていいわけだし、性嫌悪だったからって何なの?ということを言うひとがまだまだ少ないので、とりあえず今後も積極的に言っていきたい。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 Twitter民にはある意味でお馴染になっている感じの話題ですが、「性嫌悪」を単に「セックスが嫌い」と捉えたとしても、今回のニュースレターで紐解いたような意味で捉えたとしても、どちらにしてもそれが他人に責められるべきものだとは私には思えません。「とにかく性的なことはすべてタブー!」というのは危険だと思いますが、そのような主張は(私の知る限りでは)見ないので、どうしてあんなに「性嫌悪」批判を頑張っちゃう男性が多いのか…。6年間も「性嫌悪」呼ばわりされてきたので、私なりに色々と考えてみたわけですが、思い出すとけっこうムカつくことが多くて苦労しました(笑)。
 また、性搾取批判をする際に、「私は性嫌悪ではないけれど」などを含め、「自分自身の性的な事柄に言及させられること」がおかしいとずっと思っています。性的な事柄をどの程度オープンにするのか、どこで誰に対してオープンにするのか、それを決めるのは本人であるべきなのに。それをオープンにしないと発言の正当性を疑われるような気持ちにさせられる。それがもうすでに嫌がらせであり、女性の口を塞ぐ行為だと思うので、断固拒否していくつもりです。

 では、また次回のレターでお会いしましょう🐸

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