男性ならではの怠惰と鈍感力

「女性ならではの…」と女性を持ち上げるような言い方をしているとき、男性は気付かないうちに面倒な感情労働を女性に丸投げしてるんだよ、って話と、今後のホルガ村カエル通信について&近況報告です。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2023.09.18
誰でも

女性として社会化され生活してきたから見えることもある

 たった5人、女性が閣僚になっただけで「史上最多タイ」になっちゃう日本だから、まぁ、そんなもんだろうとも思うが、「女性ならではの感性や共感力」なんて表現の仕方をしたら批判されるだろうから別の表現をしておこう、とさえ思わない人物(岸田文雄)が我が国の首相なのだと思うと、なんというか世間(世界?)に対して恥ずかしいような気分になる。私が選んだわけではないものの、彼が選ばれるような土壌がある国に生まれ育ってしまって、私の母語である日本語はマイナー言語(母語話者の人数はそれなりに多い方だけどね)で、外に出るには第2言語を習得しなければならない。
 政情不安定で内戦が絶えないような土地、タリバン政権下のアフガニスタンのような女性差別が厳しく、音楽や芸術が制限される社会に生まれるよりは楽な境遇だと思うが、それでも「なんでこの国に生まれちゃったんだろう」という気分になるなと言われても、たまには愚痴くらい言いたくなる。私は、まだ、(おそらく)何十年かはここで生きていかなければならないのだから。

 岸田の「女性ならではの」発言はさっそく批判を受けているようだが、実際問題として、男性ばかりで固まっていると見えないことや気付かない視点というものはある。それは、男性と女性では、「生きている世界が違う」からだ。
 たいていの男性は、「女性にだけわざとぶつかる男(最近は女性を狙って殴る男も出没しているとか)」にぶつかられた経験がないし、「女性にだけ横柄な態度の男」から嫌な思いをさせられたこともないし、平均的な身長・体重の男性には、大半の女性の感じる男性からの「物理的な圧迫感」はわかりにくい。もっとも、最初から身長170cmで生まれてくるひとはいないので、彼らだって子どもの頃には「まわり(の大人たち)がみんな自分より大きい」状態で過ごした経験があり、小学1年生のときに6年生がすごく大きく見えたり怖く見えたりしたこともあるだろう。しかし、人間は日々経験していないことは忘れていく。特に、それが感覚的なものだと保っておくのは難しいのだろうと思う。

 人間は社会的な生き物だが、やっぱり生き物なので、それなりに危機に対しては直感も働く。私のように平均よりもだいぶ小さい人間は、世の中のたいていの大人には(場合によっては中学生くらいの子どもにも)、腕力では勝てない。別に全てが腕力で決まる修羅の世界に生きているわけではないので、基本的には腕力で勝てないことはさほど問題にはならない。しかし、「いざとなったら腕力で勝てる」と直感的に分かっている相手と対峙するのと、「腕力では絶対勝てない」と分かっている相手と対峙するのでは、後者の方が常に緊張を強いられる、というのも事実だ。女性たちは、よほど筋トレしているとかガタイが良いとかでない限り、基本的には「腕力では勝てない」世界で生きている。

 こういう話をすると、「女性を弱い者扱いするのは逆に差別では?」みたいなことを言い出すひとが出てくるのだが、女性の方が平均的に身長が低く、筋肉が付きにくいことはただの事実だ。骨格も違う。臓器にも男女差はある。だからこそ、男性の方が罹患率が高い病気も低い病気もあるし、同じ病気でも男女で症状に違いがあるものもある。その事実を認めた上で、それが女性の人生の足枷にならないように調整することが大事なのであって、「女性も強い!」とか呪文を唱えたところで、筋肉は増えないし、背も伸びないのだ。

 岸田もポジティブな意味(のつもり)で使ったのであろう「女性ならではの感性と共感力」というものは、生まれながらに女性に備わっているものではない、と多くの人たちが指摘している。女性たちみんなに共通する「女性の感性」というものがあるわけでもない。しかし、それでも、みんな経験的に「女性ならではの感性や共感力」というものが「ある」ことも知っているように思う。もちろん、それは生活の中で培われたものであって、生まれつきではない。逆に言うと、男性は日々の経験から習得できるはずの感性や共感力を獲得し損ねたままでふんぞり返っているのである。そのことに自覚がないから、「女性ならではの」などと言ってしまう。むしろ、問題は男性側にある。男性は、「男性ならではの鈍感力」で、自分が怠惰なだけである事実に蓋をしているのだ。しかし、彼らはそのことにさえ気付かない。男性ならではの鈍感力があるから。

 男性たちの鈍感力のおかげで、女性たちは「女性ならではの感性や共感力」を発揮しなければならない立場に追いやられがちだ。女性は、男性は求められない「愛想の良さ」を要求されるし、ある分野で専門的な仕事をしていても下手に出ないと「態度が悪い」など言われたりする。男性は、無愛想であっても「寡黙」「不器用」などとむしろプラス評価されることさえあることと対比させると、だいぶ理不尽である。
 コミュニケーションを円滑にするためにも、お互いに気持ちよく会話するためにも、ある程度は「愛想が良い」方がいいことも多いとは思うが、それなら男性ももう少し愛想よくしたらいいのに、と思う。

共感力とセルフケア

 未だに「女は共感脳、男は解決脳」などと信じて疑わない男性はけっこう多いように見える。確かに、女性同士の会話の方が共感的な反応が多く、女性が男性に物事を相談すると「○○すればいいじゃない」と解決策だけ示されるということも大いにある。しかし、男性が見落としていることは、共感と解決は両立するし、共感があって始めて解決へ向けて進めることもたくさんあるというシンプルなことだ。そして、男性も、男性同士ではそれなりに共感し合っているし、「合コンさしすせそ」のような女性からの共感の相づちを求めてさえいる。ネット上にいる「弱者男性インフルエンサー」に至っては、男性たちからの共感を養分にして肥え太っている存在だ(実際に有料noteなどでけっこう稼いでいるひともいるようだし)。
 男性が「解決脳」を発揮するのは、多くの場合、女性相手のときで、彼らは「女は感情的で共感しか求めていない」と見下しているからこそ、「さっさと解決策を示せる俺」に満足して、相手女性の不満の理由を「女は感情的だから」と決めつける。もしかすると、「解決脳の俺に共感を求めてくるんだから、やっぱり女は感情的でしょーもない」と思うところまで含めて、男性性の確認プロセスなのかもしれない。「女と違って無駄な共感などに時間を使わない俺」をカッコいい〜とか思っているからこそ、「解決策を示して不機嫌になられた」エピソードを嬉々としてSNSに投稿したりするのかな、と。

 しかし、解決策を示すのは、共感や同情を示した後でもできることだし、まずは相手の気持ちに寄り添って励ましたりすることは、コミュニケーションの大事な手順でもある。人生は一問一答クイズではないので、仮に明確な解決策(答え)があったとしても、その前に感情を共有すること、理解できないにしても相手の気持ちを想像すること、思いやることは人間同士ならではだろう。それを無駄だと思ってしまうのは、相手のことを自分と同じくらいに感情のある大事な存在として扱えていない証拠であると同時に、自分自身のことも感情のある人間として大事にできてないのではないだろうか。感情的であることを、過度に「女性性」と結びつけてしまうがゆえに、自分の感情と向き合うことが苦手な男性が多いように、私には見える。そして、彼らは自分の感情と向き合えないから、当然、相手に共感を示したりすることも苦手だし、特に女性が相手となると、「感情的な女」に共感するなど男性性の危機なので絶対に無理!になっちゃうのではないか、と。そんなに必死にならなくても、別に男性性の危機じゃないし、まぁ、男性性なんて適度に手放してしまった方が楽だと思うよ、と言いたい。

 簡単にまとめると、要は、男性は「ケア」が苦手なのだろう。特に、日本の男性はケアされる専門で、自分をケアすることも他者をケアすることも学ばずに大人になってしまうように見える。男性たちは、意識的に自分から能動的に学ぼうとしない限り、学ぶ機会がないまま、いずれは「嫁」というケア要員を手に入れればいいと無意識に思っているし、女性には「女性ならではの感性や共感力」があるから、ケアに向いているのだと、うっすら信じている。30年前はそれでよかったのだろうが、今はもうそんな男性のケアをするために結婚するなんてまっぴらごめんと考える女性も増えた。そして、なによりも、男性ももっとセルフケアをしたり、男性同士で弱音を吐いて共感し合ったりした方が、人生が楽しくなると思う。とりあえずは、セルフケアとして料理をすることとゆっくり湯船につかってリラックスすることあたりから始めるといいんじゃないかな。
 料理は面倒なところもあるけれど、きちんと手順を踏んで作れば必ず手間の分美味しくなるし、自分で料理をするようになると他人が作ってくれたものを食べる時にもありがたみが増すし、自分の料理の参考にできそうなところを観察したり、より楽しめるようになるのでオススメ。自炊すると、洗い物も面倒くさいけれど、洗う順番や水切りカゴにどう置いたら効率的に乾燥させられるか?など、意外とゲーム感覚でやると楽しめる要素もある。
 風呂に関しては、私が書くまでもなく、湯船につかることが心身に良いことは様々な媒体で言われていると思うが、たまには少し良いトリートメント剤でも使って髪の毛のケアもしながら湯船でのんびりするとセルフケアとしては、まあまあお手軽じゃないかな。

生物学的に全てが決まるわけではないけれど

 私は、「生物学的に全てが決定される」という考え方には否定的だが、逆に「全ては社会的に構築されたものだ」という考え方も少し極端なのではないかと思っている。生物としての身体の差やホルモンの分泌量などの影響も間違いなくあると思うからだ。

 この話が厄介なのは、「全てが社会的構築物なわけではない」という部分否定の文が「全ては社会的構築物ではない」という全文否定と曲解されて、ジェンダーロールの強化に与しているかのように誤解されやすいところだ。実際のところ、「社会からの影響」を軽視し、「生物としての本能」こそが重要であると主張している人たちは、たいてい「だから、男は男らしく、女は女らしく」と考えているし、「女性には母性本能がある」「男性には多くの子孫を残したい本能がある」などと述べているため、部分否定であることを正しく理解されないと、保守的な主張をしているかのように見えてしまうのだろう。しかし、私の考えは、あくまで「全てが生物学的に決定されるわけでもないし、全てが社会的に構築されるわけでもない」であって、どちらの要素も絡み合っているのではないか、ということだ。

 人間も動物である以上は、ある程度は本能的なものがあってもおかしくはない。しかし、同時に、我々は社会的動物でもあるので、理性によって言動をコントロールすることを学べるし、さまざまな道具や社会的環境によって「らしさ」の形を変えたり、境界をなくしたり、他者とより良い関係を築くための工夫をすることができる。「本能だから」仕方がないわけではないし、全てが社会化の結果であるのかと言えばそうでもないだろう、と思うという話だ。

 私には子どもを産みたいという気持ちがないが、自分より小さく弱い者を庇護しなければいけないという責任は感じる。それは、自分もまだ子どもだった頃よりも、大人になって歳を重ねた今の方が強く感じる。これはいわゆる「母性本能」と呼ばれてきたものであるかもしれないし、自分が社会問題や権力勾配について真面目に考えるようになった結果、身に付いた社会正義への希求かもしれない。正直なところ、自分でもよくわからない。ただ、どちらであるか白黒はっきりさせることよりも、小さく弱い者を守ろうという責任を感じていること自体を大事にする方が、世の中は暮らしやすくなるように思う。

 過去にも言ってきたことの繰り返しになってしまうが、リベラルな人たちは、生物学的決定論を忌避するあまり、すべてを社会的な構築物であると言ってしまう傾向が強い。そう言いたくなる気持ちもわかるし、そう言って良い部分もあるとは思うが、人体についても脳のメカニズムにしても、まだ未知の領域も存在する。そう簡単に、何でも白黒はっきりさせようと焦らずに、丁寧に問題を腑分けしていかないと、根本的な解決からは遠退いてしまうんじゃないか、と思う。

岸田は何も考えてなかった

 「女性ならではの…」という表現は、男性にはない何かを女性が持っているということを示唆してもいるが、本当に「女性ならではの」何かを政策に反映したいのであれば、たったひとりの(ごく少数の)女性を女性代表として扱うのではなく、幅広く多くの女性たちの声を聞くことが必要だと思う。
 女性だって、男性と同じく多様なのだ。女性たちの様々な声を聞くことで、その幅広さを知ることが大事だし、その多様な意見の中に「男性にはない共通項」があるのであれば、それは多くの女性にとって重要な問題だとわかるだろう。「女性ならでは」の困り事の解決のためにも、そのようなアプローチを積極的に行なってほしいものだ。そして、閣内の女性たちには、そうした多くの女性たちの声を聞く姿勢を持ってほしいし、それらの声を「利用して」、本当に女性のためになる政策を実現してほしい。

 私が、あえて「利用して」という言い方をしたのには理由がある。圧倒的多数が男性である場で、「女性ならではの」何かを求められる女性は難しい立場に置かれる。その女性の個人としての意見も「女性ならではの」意見として扱われるし、その女性は「個人」ではなく「女性」の総体として扱われる。それは、その女性が自分の意見を自由に述べる機会を逆に奪うことにさえなりかねない。同じ立場のひとが極端に少ない場で、忖度なしに意見を言えるひとは少ない。「それは女性を意志が弱いものだと決めつける行為で、その女性に対して失礼だ」などと、女性差別に反対する立場から言うひともいるが、差別というのは個々人の意志で跳ね返せるものではない「権力勾配」によるものだということを無視して女性の味方ぶるのはやめてほしい。男性が言えば、傾聴に値することと見なされることでも、「女性ならでは」の視点・意見・発言は「女性ならではの」扱いしか受けない、ということも少なくないのだ。だからこそ、多くの一般女性たちの声を聞いて届けることは、「圧倒的多数の男性の中の女性」という状況を「圧倒的多数の女性たちの声を聞く男性」にひっくり返す方法になると思うのだ。

 などと書いているところに、副大臣・政務官には女性の起用がゼロというニュースが入ってきた。2001年に副大臣・政務官が導入されて以来初めてのことらしく、岸田文雄が、いかに何も考えずに「女性ならではの…」と言っていたのかが浮き彫りになった印象だ(最初の方で最大限好意的に解釈してあげたのに…)。
 閣僚というまあまあ目立つポジションには、5人の女性を起用して「適材適所ですよ」という顔をしているが、結局のところ、昔ながらの自民党の派閥人事の結果、たまたま女性が5人になったのであって、ジェンダーバランスや「女性ならではの」視点を活かすことなどには興味がないんだろう。そもそもがあまり期待してないのだが、次々とワーストを更新してくるので、毎回新鮮な驚きがある(もちろん悪い意味で)。

 それでも、なんとか倦まずに、少しでも社会が良くなるように、選挙にも行くし、身近な人や知り合いともできるだけ政治の話をしたり続けていくしかないよね。

***

 今回は、本編(?)はやや短めで、アナウンスとちょっとした近況報告をしておきたい。

今後のホルガ村カエル通信について

 これまでは(特にここ1年ほどは)1万文字近い長文のニュースレターが基本だったのですが、今後は映画や書籍などのオススメのコンテンツを(基本的には毎回1つ)紹介する短めのニュースレターを中心にしていくことにします。といっても、長文のニュースレターを完全にやめるわけではなく、できれば月に1本は配信するペースを維持したいと思っています。

 最初の頃から購読してくれている方々はご存知の通り、このニュースレターは、もともとは毎週1本配信だったのですが、体調不良が続いていることに加えて、そろそろ基本的に書きたいことはだいたい書いてしまったので、なかなか筆が乗らないことが増えてきています。そして、このスランプはおそらく今後もしばらくは続くように思うので、アウトプットの仕方を少し変えた方がいいかもしれないと思い始めて、「有料版の並行配信」という方法も考えたのですが、やっぱり有料にするとプレッシャーもあってメンタルに良くないかな〜という気もするので、無料版の配信形式(?)の変更をすることにしました。

 今後は、毎月、おすすめコンテンツ紹介の1500〜2000文字くらいのニュースレター「カエルのおすすめ」(仮)が数回&これまでのようなニュースレターも1回配信される、と考えてください。また、今後のニュースレターには「コメント」欄を設ける予定です。コメントは公開範囲を選べるので、私だけが見られる形でのコメントもできます。

 先日、購読登録者向けにアンケートを実施したところ、有料化しても読みたいと答えてくださった方もいて、とてもありがたいなと思っています。好きでやっていることとはいえ、これまで書いてきた文章には、私がお金と時間をかけて情報を手に入れたり、身につけてきたことが詰まっているので。金もうけをしようと思っているわけではないので、無料でアクセスできる情報として、それをweb公開することで誰かの助けになれば、そのことが報酬のようなものだと思ってはいるのですが、私も人間なので、やはりこれまでの労力や経費に対して、「コーヒー一杯くらいおごってあげるよ」と言われたら嬉しいです。ということで、気が向いたらnoteの記事に投げ銭するなり、アマギフ贈ったりしていただけると励みになります。

謎金玉を持つ女(近況報告)

 私には、子どもの頃から「金玉」があった。なんのことかというと、右鼠径部に謎のしこりがずっとあったのだ。痛くもかゆくもないので、子どもの頃は「私は実は男の子なのでは?」とか思ったりもしたのだが、そのまま30年以上を過ごしてきてしまった。で、最近、鼠径部に違和感を感じるなーと思って、「金玉の正体を調べなければいけないかも」とちょっとググったら、すぐに「鼠径ヘルニア」というヤツらしいとわかった。

 鼠径ヘルニアとは、「腹腔内容物(腸管や脂肪)が、腹壁に生じた(または生来有する)欠損部(脆弱となった部分)を通じて飛び出す状態のこと」で、いわゆる「脱腸」である。文字で説明されるとなかなか重大っぽい感じがするのだが、実際には「ほぼ何も感じない」(個人差があると思う)。しかし、これが重症化すると飛び出た腸がそのまま固まって壊死したりすることもあるらしいというので、30年大丈夫だったからと放置し続けるのもよろしくないな、とさっそく医者に行ってみた。

 予約時に「鼠径ヘルニア」であることも知らせてあったので、問診もそこそこに「じゃあ、とりあえず見てみましょう」ということに。で、鼠径ヘルニアは寝ころぶと引っ込むので(重力があるからね…)、立ったままで下着を太もものところまで下ろして、エコー検査をされるのだが、これが死ぬほどマヌケである。予約した日よりも診察日の方が腸が引っ込んでいる感覚があったのだが、エコーで見るとはっきり脱腸してた!しかも、ちょっと押すと「あ、すみませんでした〜」とばかりに腸が引っ込み、押す力を緩めると「こんにちは〜!」と出てくるので、マヌケな格好で立ったまま画面を見て思わず笑ってしまった。そんな感じで、ものの数分で脱腸であることが確定し、自然治癒することはないので手術することになった。腹腔鏡手術なので日帰りでできるということで、手術の説明を受けて、手術日の予約をして帰宅した。

 とりあえず、この30年間重症化せずにいてくれて良かったのだが、日帰りとはいえ手術となるとまあまあな金額で、人生で初めて高額医療費制度のお世話になることになりました。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 すでに書いた通り、今後は短めのニュースレターをもう少し頻繁にお届けする予定です。おすすめコンテンツは必ずしもフェミニズム周辺のものではないこともあると思いますが、購読を続けてもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします🐸
 9月も後半というのに、たいして涼しくもならず、なかなか体力的にキツいですが、まぁ、ぼちぼち頑張りましょう。

 では、また、次の配信で〜✋

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