カエルのおすすめ:『バービー』

主にフェミニズム周辺の話題をひろってお届けしてきた「ホルガ村カエル通信」ですが、もう少し軽めの「おすすめコンテンツ」紹介も始めてみることにしました!第2回の今回は『バービー』評における男性のバグり方についてちょっと。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2023.10.07
誰でも

第2回となる今回のおすすめは、男をバグらせる映画『バービー』です。

 もう様々なところで様々な専門家による論評がなされているので、私から付け加えられることは少ないのだが、バービーランドの町並みや衣装のポップな可愛さという視覚的な楽しさもあれば、物語に巧みに埋め込まれた現実世界(の反転)に笑う楽しさもあるし、世代を超えて女性たちが協力し、助け合う様子には励まされもする最高の映画なので、おすすめだ。ということで、この先は完全ネタバレありで、この映画を観た男性たちの反応について、ちょっと思ったことを書いてみたい。

キラキラピンクの『バービー』でバグる男たち

 『バービー』を観た男性たちの反応で、拒絶的なものや否定的なものは、まぁ、全然賛同できないけれども、思考回路は分かる気がする。バービーランドで、バービー達とは異なり、なんの役割も与えられず、気にもかけてもらえないケンたちの姿が、「現実世界における女性の置かれた立場」の反転であることが理解できずに、「そうそう!フェミニズムのせいで男たちは迫害されているんだ!」と思っちゃったりしてんだろうな~と。その上で、映画内の現実世界が過度に男性中心に描かれているのを「なんでも男性のせいにしている」と受け止めて、「行き過ぎたフェミニズム」映画だと思ってしまう。落ち着いて、現実の何がバービーランドに反映されているのか、映画内の「現実」は何を現しているのかを、もう少し丁寧に観てくれ、と思う。

 では、肯定的な男性たちの反応はどうかと言うと、これがまた絶妙にズレたことを言っているケースがままあるように見える。まずは「これは男性にこそ観て欲しい、男性の解放を描いている」みたいなタイプ。確かに、そういう側面はあるし、男性にこそ観て欲しいというのには反対しない。しかし、やはり、「有害な男性性」の滑稽さや「抑圧者としての男性という立場」と向き合うことをせずに、そこだけを掬っていくのはちょっと楽し過ぎじゃないの?と思う。それから、「あれは、むしろ(行き過ぎた)フェミニズムを批判する映画だ」というタイプ。それも、まぁ、部分的にはそういうところもあるのだが、フェミニズム的なメッセージもたくさん含まれているので、それを無視して「フェミニズム批判」だと捉えてしまうのは短略的だと感じる。

嬰児殺しと出産の肯定?

 そして、個人的にかなり謎だったのは、最初の場面を「嬰児殺し」と見立て、バービーランドは反出生主義的なものを暗喩している…というような論評。確かに、ちょっと退屈そうに赤ちゃん人形を抱き上げて「お母さんごっこ」をしていた女の子たちが、バービーの登場でその赤ちゃん人形を叩き割るという場面は、私も「おぅ!そこまでやる?」と思った程度には衝撃的だった。しかし、BGMからも分かる通り、あのシーンは『2001年宇宙の旅』の、猿が初めて「道具」を手にする(=猿から人間になる)場面からの引用である。つまり、それまでは、女の子向けの人形というと、「お母さん」という役割の真似事をするための赤ちゃん人形と相場が決まっていたところに、バービーという成人女性の人形が登場したことで、自分の分身である個性を持った「人間」としての人形遊びができるようになった、そのことが視覚的にも『2001年宇宙の旅』を引用する形で表現されている、と解釈した方がしっくり来ない?
 あと、バービーランドに「妊婦」はひとりだけで、そこが基本的には生殖がない世界になっているのって、「お母さんごっこ」の延長をしたいわけではなかった女児たちのニーズに応えた結果、バービー人形のラインナップに妊婦や赤ちゃんが増えていかなかったことがそのまま反映されているだけで、別に妊娠・出産の否定とかそんな大仰な思想が背景にあるわけではないだろう。ただ、現実問題として、女性のキャリアを阻むものの一つに妊娠・出産があるわけで、大統領から道路工事まで全て女性が担うバービーランドに「生殖」がないのは、現実世界の生殖における男女の身体的負担の違いなどが歪な形で反映されたものと捉えることは可能だと思う。
 そして、最後に、人間になったバービーが婦人科を受診するのは、「妊娠・出産の肯定」とかそんな話ではなくて(そもそも産婦人科でも産科でもないので)、人形だった時には現実世界にやってきても「お股はつるぺた」だったはずバービーが、女性の身体を持ったこと=人間になったことを現している、と素直に受け取ればいいのではないだろうか。

 他にも、バービーランドは「ポストフェミニズム」の世界だとか、現実世界を反転させるという手法はかえってジェンダーロールを強化する危険性があるとか述べている男性もいたが、結局のところ自分の著書を宣伝したいのかな?という内容で、映画そのものからどんどん話がズレていっていた。

「フェミニズムに理解がある俺」たちは自分たちが男性であることを忘れるな

 鴻巣友季子さんのバービー評(下にリンクあり)を読んで、改めて思ったのだが、男性の肯定的なバービー評って、フェミニズムに当てられて狼狽した結果、その焦りを知識で埋めようと躍起になっているような印象がある。フェミニズムとかジェンダー論以外の視点からの読み解きができなくなって、思考回路がぐだぐだになったまま、「男なのにフェミニズム的なメッセージを受け止めてきちんと理解できていますよ」「フェミニズム的なメッセージを、他のひと(特に女性)には無い角度から読み解いて解説しますよ」というアピールをすることだけは忘れない、というか、それが目的化しているような文章になっている。そうやって、(『バービー』を見て素直に喜んでいる)女性に向かって「教えてあげよう」しちゃうあたりが、ダメダメなKendom(「家父長制」が持ち込まれて男性中心主義に塗り替えられたバービーランド)のケンたちと同じなので、その辺りから反省をしてほしい。

 また、劇場プログラムに、バービー人形の登場によって、「ステレオタイプの完璧な女性像を自分にあてはめ」て「女の子は可愛くあれ」というアイデンティティがつくられた、とよしひろまさみち氏が書いているが、それは映画外におけるバービー批判を過度に作品内に読み込み過ぎであるように思えた。とりあえず映画の冒頭シーンはすでに書いたように、バービーの登場を「お母さん」という役割からの解放として描いているし、バービーランドにはすでに人種も体形も多種多様なバービーが存在しているのだ。そもそも、「女の子は可愛くあれ」という抑圧は、なにもバービー人形に始まったわけではないのでは?

 少なくとも私にとっては、『バービー』は、女の子たちのお人形遊びにおける役割が「お母さん」から「人間(未来の自分)」になるところから始まり、その遊びの世界にいる「完璧なお人形」が「不完全な(いずれは死ぬ)人間」になることを選ぶところで終わる物語で、それは女性たちに「不完全であってもいい」、「何にでもなれる」だけでなく「何者にもならなくてもいい」、それでもあなたは素晴らしいのだ、と伝えてくれる映画なので、おすすめです。

***

 ホルガ村カエル通信は、(主に)フェミニズム周辺の気になる話題を取り上げてるニュースレターとしてスタートしましたが、9月末からは、毎月数回、おすすめの映画や書籍などを紹介する「カエルのおすすめ」シリーズも合わせて配信していくことにしました。
 2023年10月現在、手術後の快復に予期していたよりも時間がかかっているのと、9月の時点では全く予定になかった仕事が入ってしまったこともあり、しばらくは長文のニュースレターの配信が難しいかもしれませんが、今後もできる限り、個人ニュースレターだからこそ書けることを発信していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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