カエルのおすすめ:『透明人間』(2020)

今回は、リー・ワネルが監督・脚本を手掛けた2020年のホラー映画『透明人間』をおすすめ。「いまさら透明人間?」「ホラーはあんまり興味ないなぁ」と思ってしまったあなたにこそ見てほしい、まさかの(?)フェミニズム映画の傑作だ!
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2024.03.30
誰でも

映画を映像で見る楽しさ

 『哀れなるものたち』に関するニュースレターでも書いた通り、私はホラー映画はあまり好きではない。別に、「ジャンル映画」として見下しているわけではなく、単純に怖いのが苦手だからである。ホラー映画を観た後はシャワーを浴びてても後ろに誰かがいる気がするし、夜中にトイレに起きるのも怖い(それが理由で子どもの頃に友だちの家でおねしょしてしまったことがある、申し訳ない)。大人になっても、ホラーを観た後はシャワーで背後に誰かが立てないように背中を壁に限りなく近づけて身体を洗う(でも、壁をすり抜けて出てこられたら終わりだよねー)。
 まぁ、そんなわけで、『透明人間』も公開時はノーチェックだったし(コロナ禍でもあったしね)、配信が始まって同居人のD氏(←ホラー好き)から勧められても観ないままで、そもそも勧められたことも忘れていた始末なのだが、先日、アマギフで贈っていただいた『映画のタネとシカケ』(御木茂則、玄光社)で照明とカメラワークの秀逸さが紹介されており、「これはちょっと観てみたいな」と思ったわけである。

 ところで、この『映画のタネとシカケ』という本はカメラワークや照明や色彩によって、映画のワクワク感や緊張感、登場人物たちの心の動きなどがどのように画面に表現されているのか、また、観る側が画面の中の重要なものを見落とさないようにどんな工夫がされているのか、などが具体例を挙げて図解入りで丁寧に紹介されていて、「な、な、なるほど!」と大変面白いので、こちらも力いっぱいおすすめしておきたい。この本で扱われている作品で観てないものや忘れているものがあるので、今後少しずつ観ていくのも楽しみである。映画って本当にいいものですねぇ、と思う。
 観る前に読むと多少ネタバレになるけれど、映画ってストーリーで観るものではないので、昨今の「ネタバレ絶対許せない」みたいな傾向は少し変だな~とは思っているのだが、そこは個人の好みもあると思うので、ネタバレ絶対回避派の人は観てから読むのがgood!

被害者の視点で描く意味

 さて、『透明人間』の話に入ろう。透明人間の映画は過去にも何度か作られていて、私が観たことがあるのは、ケヴィン・ベーコン主演の『インビジブル』(2000年)だが、ハーバード・ジョージ・ウェルズの小説『透明人間』を原作とする1933年の映画同様、基本路線は「とある薬物の摂取で透明化して凶暴化することで犯罪を重ねる」という展開になっている。まぁ、それだけだと全然フェミニズムの要素感じられないよね。
 ところが、この2020年の『透明人間』は、天才科学者DV野郎(後に透明人間になる)エイドリアンの元から主人公セシリアが脱出するところから物語がスタートする。つまり、ある種の「クリーチャー枠」である透明人間との戦いとはまた別種類の恐怖と緊張感から始まる。しかも、このDV野郎(映画内では「ソシオパス=反社会的人格障害」という言葉で表現されている)の暴力が分かりやすい身体的なものではなく、精神的な暴力や性的な暴力によるDVで、親密な関係のもとで起こされる男性から女性への暴力として近年注目されているものになっている。単に「家から脱出する」だけのことに信じられないほどの手間がかかり、この最初の「脱出」場面だけで、DV野郎の用意周到さと異常なレベルの執着もわかるようにできている。

 セシリアは、脱出には成功し、友人(娘のいるシングルファーザー)のもとに匿ってもらったものの、エイドリアンはきっと自分を連れ戻しに来るとわかっているので、ビクビクと怯えながら生活をしている。そこに、なんとエイドリアンが自殺したという知らせが舞い込むのだが、その後から、セシリアの周辺で奇妙な現象が起こり始め、セシリアは次第にそれを「透明人間になったエイドリアンが引き起こしている」と確信していくようになる。

 そして、これは『映画のタネとシカケ』にも書かれていることだが、この映画は「画面に存在しないことで透明人間が存在することを示す」演出が本当に素晴らしく、そこはとにかく「見て」もらえればわかると思う。

 念のために言っておくとWikipediaには結末までの全ストーリーが、なんの注意もなく、かなり事細かに書かれているので、ネタバレ回避派じゃないひとも観る前には読まない方がいいです。

(この先は少しネタバレ含みます)

 過去の透明人間映画は、透明化と凶暴化がリンクする感じがあった気がするのだが、この作品の場合、エイドリアンは「天才科学者」であり、外面は良い(と思われる)が、もともと実はDV野郎なところが現代的だと思う。また、透明人間になる人ではなく、透明人間からストーキングされる女性を主役にしたことで、DV被害者の女性の心理や「女性の訴えが社会からマトモに取り合ってもらえない問題」を描くことにも成功している。

正気を疑われる女性

 怪奇現象が起こり始め、セシリアが「彼は生きている」「彼がそこにいる」と必死に訴えれば訴えるほど、周囲から「かわいそうに、エイドリアンからの束縛のせいで精神を病んでしまったんだ…」と彼女自身に「問題」があるかのように扱われてしまう。「あなたが彼を忘れられないからだ」と気のせいだと断定されてしまう。セシリアほどの壮絶な体験ではないにしても、女性であれば「あるある」と感じるのではないかと思う。

(この先、さらにネタバレします)

 透明人間の行動は、徐々にエスカレートしていくが、セシリア自身には手出しをしない。その代わりに彼女の周囲の人々に次々と危害を加えていくのだが、彼の姿は見えないために、セシリアが加害者と見なされてしまう。彼女にはそれが透明人間によるものだとわかっているが、証明することは難しい。エイドリアンの死亡はニュースにもなっているし、遺言によって彼女は遺産を受取ってもいるのだ。
 しかも、冒頭の逃亡シーンから数々のトラブルに対処する間のセシリアは、基本的に寝不足(不安や嫌がらせで不眠になっている)で、自分の外見にかまう余裕もないため、すっぴんで髪もボサボサのことが多く、「社会的に女性に期待される身なり」になっていない。そのことも、他人が「この女性は見るからにメンタルに問題を抱えているんだな」と判断する根拠になっているように見えるし、なんなら観客も途中まで「え?もしかして、この映画って透明人間が出てくるんじゃなくて、DVで精神を病んだ女性の話だったりするの?」と一瞬疑うような演出をしてるようにも見える。女性は「普通」に見られるためのハードルが高いのである。

 終盤のバトルシーンから結末までは、見えない相手との格闘という、ちょっと間違うと画面が滑稽になってしまいかねないシーンなのだが、テンポもよく、過度に露悪的にはならずに進んでいくので、グロ耐性低めの人でも大丈夫なのではないかと思う。ここまでの話の流れで透明人間の狡猾さと「こんなヤツを相手にどうすりゃいいんだ?」という絶望感を共有していることもあって、観る側は「ぎゃー気をつけて!」「危ない!」「頑張れ!」と手に汗握って応援してしまう。

 映画の最後の最後についてはネタバレしないでおきたいのだが、ある意味で「よし!」という爽快なものでもありつつ、ストーカーDV野郎のような奴に好かれてしまったら最後、女性の側になんの落ち度もないのに、被害者を救済すべき法にも警察にも限界があるよな…と感じさせられる。
 「女性に生まれた時点で詰んでる」という表現を、私もこれまでにSNSなどで何度も使ってきたのだが、本当になんでだよ、という遣る瀬無さも感じる。

 しかし、こういう問題がホラー映画というジャンルで見事に描かれたことこそ、『透明人間』が2020年に新しく撮られた意味だと思うので、超おすすめ!

***

今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 他にも「大事なものはきちんと記憶に残るように画面に写されている」ところとか、当たり前のことなんですけど、そのあたりもしっかりしていて仕事が丁寧な映画だな~と思いました。そして、「当たり前のこと」であっても、それを意識してみると、映画って本当にすごいな~と思わされるし、ファスト映画は「映画」ではないよなーと思います。
 何も起こらないように見える「間」も、それがあることで生まれる情緒があったり、その後の展開との対比として重要な役割を果たしていたりするので、そういうものを落ち着いて楽しめる時間的精神的余裕がほしいものです。どこかの篤志家が5億円くれないかなぁ~と夢想しながら、今日もちまちまと仕事をしております。

では、また次回の配信でお会いしましょう。

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