性と生殖は分けて語りたい〜リプロダクティブ・ヘルス&ライツの重要性〜

国際女性デーも近いので、女性にとっての大切な権利の1つであるリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(生殖に関する健康と権利)について、とある訴訟のニュースをきっかけに考えたことを書いてみました。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2024.03.06
誰でも

「わたしの体は"母体"じゃない訴訟」と女性の体

 日本の法律では、基本的に女性が自分だけの意思で不妊手術を受けることはできないようになっている。それは母体保護法の規定によるもので、医療目的(妊娠・出産が健康や生命に危険をもたらす可能性がある場合)であっても、配偶者の同意が必要と定められている。
 私は、女性を「母体」として扱い、「母体」としてのみ保護しようという国の姿勢には問題があると前から思っているのだが、「わたしの体は“母体“ではない」という主張と共に不妊手術の権利を求めて裁判を起こしている方々のニュースを見て、いくつか気になったことがあるので、書いておきたいと思う。(訴訟については、以下のクラファンサイトを参照してもらうと良いと思う。)

 まず、原告団の方々の主張には頷くところもたくさんある。私も、もう10年以上前に「産まない」決意をしているので、子宮は要らないし、生理も鬱陶しい。不要な臓器を取ってしまえたらよいのに、と思ったことはないわけではない。ただ、昨年秋に自分が手術を受けた経験から、できる限り手術はしないに越したことはないな…という実感がある。手術前の時点で、全身麻酔をするので、万一のことがあれば命に関わるという覚悟も必要だったし、腹を切るのだから麻酔が切れれば当然痛い。さらに、私の場合は、謎の排尿障害が残ってしまっている。手術個所が膀胱に近いわけではないのになぜ?と執刀医も困惑していて原因は不明のままだ。泌尿器科でも具体的な問題は発見されていないが、手術前にはもう戻れない。

 術後に、ネットなどで「腹腔鏡手術 排尿障害」などで調べると、子宮周りの手術後には比較的起こりやすいらしいことが窺い知れた。そんなタイミングだったので、真っ先に思ったのは、「子宮周りにメスを入れる際のリスクとして排尿障害のことは周知されるのか」ということだった。別に「親にもらった大切な身体にメスを入れるなんて!」とかそういうことではない。ただ、不便な生活を送ることになる女性が増えたら嫌だなと感じただけだ。もちろん、全員が排尿障害になるわけでも、排尿障害になったら全員が一生治らないわけでもないし、多少の不便があっても不妊手術を受けられることのメリットの方が大きいと判断する人もいて当然だと思う。それでも、「こんなはずじゃなかった」にならないように、注意喚起はしても良いのではないかと考えたのである。

 それから、「母体として扱われたくないから不妊手術を受ける」女性が出てくると、結果として、「不妊手術を受けていない(受けることができない)女性は母体として扱われても仕方がない」という分断が生まれる可能性について考えた。私自身は40代半ばで、閉経までそろそろカウントダウンが始まったんではないかと思うし、すでに述べた手術の後遺症もあるので、今さら不妊手術を受けたいという気持ちはない。世間もそろそろ私を「母体」とは見なさなくなるだろうとも思う。しかし、今、まだ10代や20代の女性で、妊娠・出産するつもりがなくて、それでも不妊手術を受けることには抵抗があるという場合、世間はその女性をどう扱うだろうか?「いつかは気が変わって子どもを産むのだろう」と思う人も多そうだし、「子ども欲しくないと言っても不妊手術を受けるほどの覚悟はないんでしょ?」と思う人もいるだろう。そして、手術を受けて「生理もないし、妊娠・出産で仕事に穴をあけることはありません!」という女性と妊娠・出産の可能性がある女性を、日本社会は同じように扱うだろうか?

 もちろん外見でわかる手術ではないので、黙っていれば誰にもわからないことではある。しかし、不妊手術が選択肢のひとつと認められた場合、手術を受けたいのは「妊娠する機能があることが苦痛である」女性だけではないと思うのだ。自身のキャリアを考えて「妊娠・出産で仕事を休む必要がない身体」を手に入れたい女性もいるだろう。その場合、手術をした女性は「自分は不妊手術をしている」とアピールする方が得策になる。そうすると、アピールしない女性は「子宮があって、生理があって、妊娠・出産の可能性がある」と会社に把握されることになる。そこで女性間の扱いに差が生まれるのであれば、それは女性差別の解消ではなく、女性の中に新たな「男並に扱える女性」と「就職・就労差別していい女性」という階層を作る行為になってしまうように思う。 

多様化する女性身体の資源化

 また、現在、世界的にマーケットが大きくなっている代理母出産についても考えた。生殖補助医療が未発達であった100年前であれば、不妊手術を受けるということは、その後の人生において「自分の遺伝子を受け継ぐ子ども」をもつことは不可能になるということでもあった。しかし、卵子凍結などの手段がある現在、不妊手術は「自分では産まない」ことを決定的にできる一方で、代理母に子どもを産ませて親になるという選択を除外しない。
 私が代理母出産に反対する理由についてはすでに過去のニュースレターで詳しく書いたので、そちらも読んでもらいたいのだが、基本的に、裕福な女性が代理母を引き受けることはなく、多くの場合、貧しい女性たちが健康と命を犠牲にして、お金のために代理母を引き受けているという現実がある。

 不妊手術が権利として認められたとして、病気の治療ではないので、おそらく保険適用にならない。そうなると、同じように「母体として扱われたくない」「子宮も卵巣も要らない」と思っていたとしても、手術が受けられるのは比較的裕福な女性に限られるだろう。それにもかかわらず、現代のマリー・アントワネットたちは、自分たちとは違う現実を生きている女性の存在が目に入らないので、「そんなに母体扱いが嫌なら私たちみたいに不妊手術すればいいのにね」とニコニコ悪気なく話しながら、代理母出産で手にいれた我が子を膝に乗せたりするのではないか。そんなグロテスクな図が思い浮かんでしまう。飛躍し過ぎだと思われるかもしれないが、選択肢がある人たちには、選択肢が無い(理論上はあっても現実的に選択できない)人たちの現実はなかなか見えないものだ。

 女性たちが「主体」と「母体」に分断され、それがすべて「自己決定」と「自己責任」にされる社会が待ち受けているのだとすれば、なかなかにディストピア小説感がある。

 また、他の女性たちの指摘を見て、私も気付かされたことだが、発達障害や知的ボーダーラインの女性たちが「自分で選んだ」と思わされて、不妊手術を受けさせられた上で「妊娠する心配がない風俗嬢」として働かされるというのも充分に考えられるシナリオだ。現に、性売買に関わる知的障碍を持つ女性たちの経験を肯定的に捉える学術論文があり、それを「面白い」と評する学者がいるのが日本だ。

 前回の『哀れなるものたち』についてのニュースレターでも書いたが、本人が自分で選んだと思っていても、実際には巧みに誘導されて選ばされていることというのはあるし、特に、自立が難しくて大人(他人)からあれやこれやと口出しをされることが多かった女性の場合、「自分で稼いでいる」「自分の選択を肯定してくれる人がいる」ことがどんな意味を持つのか、を想像するべきだろう。
 女性本人にとっても、仕事で妊娠してしまう事態はむしろ避けたいであろうから、「不妊手術を受ければもっと稼げるよ」と言われれば、手術を選択する可能性は高い。それは、確かに「本人の選択」ではあるし、妊娠してしまって産んだ子どもを遺棄して逮捕されるよりはずっとマシなのかもしれない。しかし、ここで重視されているのは、本当に「女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツ」なんだろうか?とよく考えてみてほしい。私には、「男性が無責任に射精する権利」が拡大されているだけにしか思えない。妊娠を希望していない女性を性欲処理の道具として利用することが批判されない状態で、男性はどうやって女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの尊重を学べるというのだろうか。
 やはり性売買産業の縮小と廃止を目指すことも同時進行で勧めなければ、「望まない妊娠」の代わりに「望まない不妊手術」が施される可能性に道を開くように思う。

自分らしく生きるために

「わたしの体は“母体“じゃない」訴訟のクラファンのサイトの1番最初にはこう書かれている。

生殖能力に違和感を覚えたり、子どもをもたない生き方を確信をもって選択した者にとって、不妊手術は自分が自分らしく生きるために不可欠な手段です。

 私は「子どもをもたない生き方を確信をもって選択した者」ではあるが、「自分らしく生きるために不妊手術が不可欠な手段」だとは思わない。しかし、そう感じているひとの切実さが伝わってくる文言だと言えるし、私自身の感覚と違うからといって「そう感じている」当事者の気持ちを蔑ろにして良いとは思わない。ただ、私が思うことは、生理の前や生理中でもなければ、正直なところ卵巣や子宮の存在が意識されることはほとんどないので、海外では一般的になっているとされる、インプラントなどによる生理をとめる手段が日本でも普及すれば、手術までしなくても、自分の体と折り合っていけるひとはぐんと増えるのではないか、ということだ。そういった手段が日本ではとても少ないので、一足飛びに「不妊手術」になってしまうということはないだろうか。
 ピルの低価格化や他の避妊手段の普及のない現状のままで、不妊手術を「自分らしく生きるために不可欠な手段」と言ってしまうことは、本来は手術までしなくても自身の体と折り合っていける女性たちまでも手術希望者にしてしまう効果を持つように思う。また、すでに懸念を表明してきたように、手術となると健康上の理由や経済的制約によってアクセスができない女性は決して少数派ではないだろう。そういった女性たちが「“母体“扱いされても平気な人たち」として固定化されてしまった場合、それは「女性を母体扱いする社会」そのものの解体には繋がらなくなってしまう。その点も注意が必要であると感じる。

 もちろん、この裁判は1つの契機であって、彼女たちの訴えは単に「自分たちが不妊手術を受けたい」ということではなく、生殖に関する女性の自己決定に国家が介入することへの異議申し立てであり、そのような国家のあり方をなんとなく肯定している社会を変えていくための1つの手段だと言ってよいと思う。この裁判に賛同したり応援したりしている方々の中には、緊急避妊薬の市販化などのリプロダクティブ・ヘルス/ライツ関連でよく見かけてきた女性たちも少なくなかった。様々な方向からのアプローチがあった方が問題を多角的に捉えていけることもあるので、訴訟の意義を否定はしないが、私が述べてきたような「不妊手術という選択肢」をなんの憂いもなく支持できない理由もまた問題を多角的に捉えて、解決策を見つけていく上で無視できないと思う。

女性の身体と「生殖に関する健康と権利」

 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、この言葉をちょっと調べてみると、日本語訳としては「性と生殖に関する健康と権利」が定訳となっていることがわかるのだが、最初の「性と」は以前からついていたか、ちょっと記憶にないし、reproductiveには「生殖の、複写の、多産の」などの意味があるが、「性の」という意味はない。そして、ここ数年は、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(略してSRHR)と表記されることが圧倒的に多い。こちらには「セクシュアル」が付いているので、その訳語としては「性と生殖に関する健康と権利」でいいのだと思うのだが、セクシュアル・ヘルス、セクシュアル・ライツ、リプロダクティブ・ヘルス、リプロダクティブ・ライツをそれぞれ解説しているようなサイトでも、リプロダクティブ・ヘルスに「性と生殖に関する健康」という訳語が採用されていて、なんでそうなるのかよくわからない。

 「性に関する健康・権利」と「生殖に関する健康・権利」は、部分的に重なるところもないとは言えないものの、根本的に別物であると私は考えるのだが、「個人の権利について世界的にも遅れている日本社会を啓蒙していこう」というタイプの人たちが、このような曖昧な表現を用いることに違和感を覚えないのがとても不思議で仕方がない。
 生殖に関する権利は「女性の身体と健康」に関する問題だが、性に関する健康・権利は女性だけの問題ではない。ジェンダーギャップ指数で自己ワースト記録を更新している日本社会においては特に、「女性固有の問題」をきちんと別個に扱わないと、女性の権利は簡単に蔑ろにされてしまう傾向がある。誤解されたくないので、一応言っておくが、どちらの方が重要かという話ではなく、別の課題として扱った方が問題の解決にプラスになる、と私は言っている。また、「性に関する」ことは「生殖に関する」こととは意識的に分けて議論した方がよいと思うのだ。

 男性の中には、生理でさえも「女性の性的快楽と関わりのあるもの」と認識しているひとがいることをSNSを通して知ったのだが、そうなると当然「妊娠・出産」も彼らの中では「女性の性的快楽と関わりのあるもの」扱いなんだろうと容易に想像が付く。しかし、射精している(=性的快楽を感じている)男性と異なり、女性は性的快楽と全く無関係なままに妊娠する可能性がゼロではない。女性にとって、妊娠は性的快楽の結果とは限らない、身体機能のひとつだ。だからこそ、セクシュアル・ヘルス/ライツとは切り離して、卵巣や子宮といった臓器の機能・役割とそれとどう付き合っていくのか、という問題に特化して考えた方が具体的で実効性が高いように思う。
 たとえば、近年大きく取り上げられている「生理の貧困」という問題についても、「性に関する~」とは無関係な「生殖に関する~」として扱うことで、「性的なことではなく、人体の機能である」ことを社会が理解するよう促していくべきだろう。その際に、「性と生殖に関する健康と権利」という言葉を用いるよりも、「生殖に関する健康・権利」として扱う方が余計な誤解の余地を減らせると思うのだが。

 reproductiveの訳語についても、「生殖に関する」と聞いただけで、「生殖=中出しセックス」だと思っている馬鹿がたくさんいるので、別の表現に変えたいところだが、流通している言葉をホイホイ変えることは、必要な人が必要な情報にアクセスすることを困難にする可能性もあるので、生殖=エロという刷込みの方をなんとかする方法が求められると思う。たとえば「孕ませ」みたいなAVを規制するとかね。
 という話をしていると、「性嫌悪フェミがー」「孕ませAVが好きな女性もいるんだぞ」とか引用を付けてくる、ズリネタ至上主義のミソジニストに毛が生えた程度のリベラル自認男がいそうだが、そういう連中は「SRHRは重要だ!」と言いながら、その実、(主に男性に都合の良い方向の)セクシュアル・ライツのことばかり重視していて、セクシュアル・ヘルスについてもリプロダクティヴ・ヘルス/ライツについてもろくに考えてない。そういう馬鹿がのさばらないようにするためにも、リプロダクティブ・ヘルス/ライツとセクシュアル・ヘルス/ライツの分離は大事。
 そもそも、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの尊重無しに、女性のセクシュアル・ヘルス/ライツは尊重できるのだろうか。望もうと望むまいと、妊娠・出産の機能がついてる身体で生まれてしまったら、性的な経験の有無にかかわらず、生理は来るし、それをコントロールするためにはピルを飲むなどの意識的な対応が必要になる。セックスをしなくても、性的快楽を求めなくても生きていけるが、生理に対処せずに生活することはできない。そのくらい、女性が生きる上でリプロダクティブ・ヘルス/ライツは無視できないにもかかわらず、長年、後回しにされ続けてきた。
 セクシュアル・ヘルス/ライツも大切にしなければならないが、生殖に関する健康や権利とひとまとめにして訴えることで、女性特有の健康問題や権利の扱いが小さくなったり、後回しになったり、他の問題と混同されたりする可能性は高いと思う。構造的に女性差別は温存した方が社会が円滑に機能するようにできているからだ。

 せっかく1年に1度の国際女性デーが3月8日なのだから、今月くらい「女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツ」について、もっと様々な媒体で専門家の意見や提言があるとよいのになぁと思っているし、子どもを産まない決意をしているけれど例の訴訟には諸手を挙げて賛同はできないでいる私のような人間の意見も「女性の意見のひとつ」として聞いてもらう権利を主張したい。
 民主主義の意思決定プロセスは遠回りで時間がかかるし面倒くさいものだが、女性たちの意見も多様なのだ。そもそも女性の意見を聞く気がないような男尊女卑どっぷりの男性たちも、自分たちの気に入る意見の女性を支持するあまり、それに反対する女性のことは「保守」「統一教会」などとレッテル貼りするばかりで、女性同士の議論さえも許さないような左翼・リベラルの男性たちにも、さっさと意思決定の場から退場してほしいものである。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 せっかくなので、国はリプロダクティブ・ヘルス/ライツに関してどんなことを発信してるのかなーと、とりあえず男女共同参画局の該当ページを覗いてみたのですが、「正しい知識の普及」や「教育の推進」といった言葉が目に付きました。以前、癌検診啓発に関連した記事でも触れたと思うのですが、あの時も世の中は女性が「怠惰」だから検診を「サボって」いる設定で話を進めていたし、男女共同参画局の施策を見ても「無知なオンナどもをちゃんと啓発して母体として健康を維持してもらわないとな~」みたいな空気で、本当に女に人権が無さ過ぎるね、と再確認しました。「燃やそう、この森はもうダメだ…」みたいな心境になりかけますが、そうも言っていられないので、往生際悪くあれこれ言い続けていこうと思っています。
 今後もずっと無料で続けていきますが、もしよろしければ、もうすぐ誕生日なので、欲しいものリストから何か贈って応援してもらえると大変嬉しいです。

 私のニュースレターを購読してくれている女性の中にも、できるなら不妊手術を受けたいという方もきっといるだろうと思うので、色んな女性の意見を可視化するためにも、SNSでのコメント付きシェアやマシュマロ、コメント欄への書き込みなど、お気軽にご意見・ご感想などをお寄せください。

 では、また次回の配信でお会いしましょう〜🐸

 ホルガ村カエル通信は、フェミニズム周辺の話題を中心にお届けする個人ニュースレターです。オススメの映画や本を紹介する「カエルのおすすめ」という2000文字〜3000文字くらいの軽めのものと今回のような7000文字〜10000文字くらいの長文を不定期で配信しています。配信後のニュースレターは全てweb公開していますが、登録をしていただくと「講読登録者限定パラグラフ」つきのニュースレターがあなたのメールボックスに届きます。登録に必要なのはメールアドレスだけです。よろしければ、登録をお願いします。

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