女性の身体の所有権

「女性の身体」を様々な意味で女性自身が取り戻すことは、男性中心社会にとってはデメリットが大きいので反発も大きい。しかし、だからこそ、フェミニズムが取り組み続けなければならない重要な課題のひとつなのである、という話。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2022.02.25
誰でも

女性という資産

 「家父長制社会」と言った時、そこには様々な意味合いが含まれるし、人によって微妙に力点が異なっていることもあると思うが、家父長制社会の特徴のひとつに「男のものは男のものだが、女のものも男のものである」というジャイアニズムが挙げられるだろう。かつては法的にも女性には財産の所有権や相続権がなかったこともあるし、参政権のような社会参画の権利もなかったことがある。モノを所有する権利も発言をする権利もないどころか、むしろ女性自身が男性の所有物でさえあった。女性は男性間でやりとりされるモノであり、「男性の」子どもを産むモノであった。

 現在、法的にこれらを「良し」としている国や地域はごく少数になっている。少数とはいえ、まだ存在していることも問題だし、それが「(女性差別ではなく)欧米とは異なる文化・伝統」であるかのように言われるときに大きな違和感を覚えるが、そのことは昨年の夏に一度書いているのでここでは繰り返さない。
 私が今回テーマとしたいことは、法的には「良し」とされていないにもかかわらず、こうした考え方はまだまだ社会の至る所に深く浸透しているために、多くのひとが無意識のうちに女性の身体・労力を社会のもの(男のもの)だと思ってしまっていることである。

「女性の胸」にだけ与えられる意味

 2月の半ば頃から話題になっている「ピンクリボンフェスティバル」のデザイン大賞(乳がんの早期発見と適切な治療の大切さを広く伝える活動を行なっている団体による啓発ポスターなどのデザインコンテスト。2005年以来、毎年実施されているようだ)もこうした社会を映し出す例だ。そもそも乳がんについて意識を高めてもらう活動がなぜ「フェスティバル(festival:祭り、祝祭)」になってしまうのかがそもそも意味不明なんだが、まぁ、暗いトーンにならずに「気楽に」受診してほしいということなのだろうし、ある種祝祭的なイベントにすることで企業からも協賛してもらいやすかったりもするのかな、とは思うので、そこはここではスルーしよう。
 Twitter上では多くの女性たちが、デザイン大賞の受賞作にみられる(場合によっては無意識の)女性蔑視を指摘している。気が進まなかったが、私もサイトを見にいってみた。ざっと流し見した結果、まずは乳がん検診の受診率があがらないのは「女性が怠惰だから」「女性が検診を怖がっているから」「外見などには構うのに健康に無頓着な生活をしているから」と決めつけているような文言やデザインが実に豊富であった。それから、「女性の胸」の造形に執着しているようなデザインが多かった。検診を受ける部位が「胸」なので、ある程度は仕方がないとも思うが、なんというか「胸に関する真面目な啓発」であることをいい訳にしているのでは?と言いたくなる男性によるデザインも多い。夫や恋人らしき男性による「僕のためにも検診を受けて!」的なものもいくつかあったし、子ども目線なのか「僕の健康のためにも健康でいて!」的なものもあった。
 これを読んでも、「そりゃそうだよ!ママは健康でいてくれなきゃ家族がみんな困る」と普通に共感してしまう「善意」の男性(に限らないかもしれない)はいると思う。そして、現実に「ママ」がいなくなると、生活がガタガタになってしまう家庭というのは存在しているとも思う。しかし、そこで考えなければいけないのは、「だから、ママはがん検診を受けて早期発見&早期治療で家族を困らせないでね」ではなく、「ママ抜きで回らない家庭のままでいいのか」ということである。検診の大切さには気付くのに、そっちには気付けないというのがなかなかに深刻な問題である。

 しかし、私がピンクリボンフェスティバルのサイトを見て、まず引っ掛かったことのひとつは「なんでピンク?」ということ(「女」の病気だと思われているからなのか?まさか乳首の色とかキモいこと言うなよ!それはそれとして、ポストペットのモモちゃんはかわいいのでデザイン的にはかわいいとも思う)と「誰もが自分らしくずっと笑顔で暮らせるように」といったことが書かれていることだ。
 早期発見と早期治療が大事なことはその通りだと思うが、実際に闘病中の方やサバイバーの方の話を聞くに、そう話は簡単ではないのだろうと想像する(私の祖父はがんサバイバーとして最期の数年間を生きたが、彼にとってそれは再発や転移への不安との闘いの日々でもあった)し、「自分らしく」の部分がとても奇妙に思えた。胃がんや肺がんの検診を勧めるさいに「あなたらしく笑顔で暮らせるように」とは多分言わないだろう。子宮がんに関してもあまり聞いた記憶がない。この「自分らしく」というのは「女性の胸」だからこそ、出てくる文言なのだろうと思うし、「女性の胸」だからこそ、男性クリエイターたちが謎の張り切り方をしているのではないかと思ってしまう(なお、乳がんは乳腺にできる癌なので男性が罹ることもある)。社会が「女性の胸」をある個人の身体パーツとしてフラットには見ていないこと、女性の身体についてのみ胸の大きさや形などが社会において常にジャッジされてある種の「付加価値」となっていること、女性の身体の所有権はまず第一に家父長(的な存在)にあること、等々。うっすらと気付いてはいたことだが、こうも堂々と開陳されるとさすがに凹むなぁという感想である。

 そして、20年近くやっているのに全然見かけたことがない啓発ポスターのコンテストなんかよりも、もっとやることがあるだろうと言いたい。例えば、癌検診の受診率の低さの原因になっている「女性の痛みは我慢させる」という方針を転換するように検査する側に呼びかけて欲しい。マンモグラフィだけでなく、子宮頸がんや子宮体がんの検診についても「痛い」という声がたくさん聞かれるが、まるで改善されない。子宮に関しては診察台が嫌だという声も出ている(私個人は最初に平たい診察台で男性医師に鉗子つっこまれた上にすごーーーーく嫌な思いをしているので、開脚型の方がいいので患者が選べるようにしてほしい)。男性も受ける肺がんや胃がんの検診は痛くないし、胃カメラなんて麻酔した上で喉からよりも鼻からの方が楽だから…と改善がどんどん進んでいる。女性だけが受ける子宮がんや乳がんの検診の「痛み」が軽視され、受診者の負担がちっとも軽減されないという問題を放置したままで、「怠惰な女の意識を変えてやろう」と"啓発"してくるとか、まぁ図々しくて吃驚。「女の痛み」はどうでもよく、「女の不調によって社会(家庭)が被るマイナス」にばかり目が行っていることが、残念ながらよくわかってしまう。
 他にも「検診に行く時間をとれない」女性が多い理由も考えて欲しい。非正規雇用の時給労務者は労働時間を減らすことが難しい。限られた「労働していない時間」の中で、誰が家事の負担をしているのか?睡眠時間を削ってまで家庭内でのケア労働を行なっている女性が多いことは統計をみれば明らかである(乳がん検診を推奨されているのは40歳以上の女性なので、そこそこ既婚率が高そう)。意識が低いからでも怠惰だからでもなく、自分自身に構ったりする時間があまりない女性も多い。それでも、社会が女性に求める「最低限の身だしなみ」は男性のそれよりも遥かにハードルが高い。化粧をするためには化粧が浮きにくい肌に整える必要があるし、化粧をすればクレンジングが必要だ。日中、ストッキングにヒールのパンプスという格好で過ごせば、足や脚のメンテナンスも欠かせない。家事育児がなかったとしても、女性の方が「外に出て働く」ために男性よりも多くの準備とメンテナンスを必要とされるのだ。

私の身体は私のもの

 かつてBLが好きな友人が貸してくれた漫画の中に、〈不器用で無口な主人公が「こいつは俺のものだ」的にボーイフレンドに庇ってもらって胸キュンする〉というシーンがあり、強烈な違和感を覚えたことがある。私にとってはBLは、男女の権力勾配のない世界での対等な(精神的な)関係性というある種のファンタジーだったので、単に異性愛の物語を男同士に置きかえたように見えるものや「男役」「女役」的な(性格的な・社会的な)役割分担があまりにはっきりしているものは、今でもあまり好きになれないのだが、リアルには割と保守的な恋愛観を持っている(ように見える)その友人は、「俺のもの」と言われたいのかもしれないし、世間一般には「俺のもの」「俺の女」と言われたい女性もそれなりにいるのかもしれない。
 私が過去に付き合った男性たちは、はっきり言った場合もそうでない場合もあるが、私(の胸)を自分のものだと言ってきたことがあった。当然、私は「違います、私のものです」と言い返していたのだが、どうもピンと来ていなかったようだし、別れた後もそのことを理解してないんじゃないかという気がする。そもそも、なぜ簡単に他人(自分ではない人間という意味で)の身体(パーツ)を「自分のもの」だと口にできるのだろうか?「自分のもの」とは突き詰めるとどういう意味なのか?その辺りから自省してほしいものであるが、やはりそこには家父長制的な価値観が根付いているように思う。
 私はポリアモリー実践者ではないので特定多数と恋愛をすることはないし、当然、不特定多数と性的関係をもつこともない。しかし、monogam(ひとりの特定の相手をパートナーとすること。モノガミーだと婚姻の意味を含んでしまうので)であろうと無かろうと、そのひとの身体はそのひとのものだ。誰かのモノになってしまうことはない。
 一夫一婦制、一夫多妻制、多夫一婦制…それぞれが抱えている問題があり、そもそも婚姻制度というもの問題があることは間違いがないが、ロマンチックラブ・イデオロギー批判や対幻想批判の文脈から派生してなのか、「女性が性的に奔放になること」こそが先進的であると思っていそうな言説があることは前回のニュースレター〈性嫌悪と呼ばれるもの〉でも書いた。しかし、「女性の身体はその本人のものである」という当たり前の前提を共有できているなら、女性が性的に奔放になろうがなるまいが、性的なことをオープンにしようが秘匿しようが、その女性の自由なことも理解できるはずだ。
 My Body, My Choice
 スローガンを掲げるのも結構だが、そのスローガンが何を意味しているのか、もう一度己の胸に手をあてて考えて欲しいものである。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。

 以前から「女性の身体は女性のもの」というテーマのことは書きたいと思っていたところ、ピンクリボンフェスティバルの件があったので、今回はそれを中心に書いてみました。
 私自身が40代になり、30代までと比べて「体調が悪い日」が増えたこともあり、40年以上使っている自分の臓器のことなどを考える機会は増えています。実は、もう少しその辺りについても掘り下げたかったのですが、「女性の身体と加齢」というのは、それはそれで大事なテーマだと思うので、またの機会にゆっくり考えて書くつもりでいます。

 また、ピンクリボンフェスティバルのサイトには、「しこり」のセルフチェックの方法が図解されていたり、気になることがあった場合に相談できるホットラインが載っていたり、有用な情報もありました。基本的には「善意」に基づいているのだろうと感じるので、そこにまた女性蔑視の深さを見てしまうわけですが、40代としては今後はもう少し気にしようかなと思わされるものでした。ピンクリボン大賞のトンデモ受賞作への怒りもシェアしつつ、使える情報は使っていきたいと思います。
 すでに日本対がん協会からの謝罪のコメントも出ていますが、「単なる炎上への対処」で終わらずに今後に繋げてほしいものですね。

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