カエルのおすすめ:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

主にフェミニズム周辺の話題をお届けしてきたホルガ村カエル通信ですが、いろいろ事情がありまして、しばらく「おすすめコンテンツ」紹介記事をメインに配信を続けています。第4回の今回は、たいていの人は「選ばれし者」ではないからこそ、学ぶことが多いあの映画を。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2023.11.05
誰でも

 何を隠そう、私がアベンジャーズ関連作品で一番好きなのは、ガーディアンズだ。が、1作目は、劇場公開後、もたもたしていてロードショーに間に合わず、名画座で観ている。ヴィン・ディーゼルが「木」の声をやっている!&アライグマがメンバーのひとりである、という情報がわざわざ遠い名画座まで私を駆り立てた。そんな調子なので、アメコミ原作の実写映画化であることもアベンジャーズ関連作品であることも知らないまま観に行ったのだが、とにかく面白かった。

歪な家族の物語

 簡単に言えば、まったくヒーローとはほど遠い連中が、偶然寄り集まって、止むに止まれず銀河の危機に立ち向かって「ガーディアンズ(守護者)」になってしまう、という話。メンバーたちは、それぞれに「孤独」を抱えており、帰れる場所(家族)がない者同士なのだが、最終的に、彼らが「家族」になっていくのだ。とは言っても、アライグマのロケットの口の悪さやグルート(樹木型のヒューマノイド)の語彙の少なさ(“I am Groot“で全てを表現する)に加え、暗殺者ガモーラは感情を言葉にすることに慣れていないし、ドラックスはちょっとお馬鹿で突然妙なことを言い出す。唯一の地球人であるピーターも子どもの頃に宇宙船に誘拐されて以来の宇宙暮らしで泥棒稼業。そんなメンツなので、「俺たちは家族だ」みたいな臭い台詞を吐くわけでもなく、互いに悪態をついたりしつつ、仲間としての絆を深めていく。

 ストーリーの核の部分だけ抜き出すと、それなりに「よくある」物語かもしれないが、この映画のスゴいところは、それを意外なサントラとともにテンポよく、映画ならではの表現で描いているところだと思う。宇宙を舞台にしたヒーローもので70年代~80年代のヒット曲が流れるというのも珍しいのだが、それにはきちんと理由があって、その音楽である必然性もある。また、2作目、3作目になるとサントラに使われる曲も変わっていくのだが、それにもきちんと理由があり、それが不自然ではないので見事だ。こうした点については、すでに多くのファンや評論家が言及しているはずなので、ここでは繰り返さない。

 ただ、「男性キャラの体形は多様なのに、(主要な)女性キャラは若くてスタイルが良い人ばかり」という指摘を見た事があり、それについては残念ながら否定できないと思う。3作目における某女性キャラの扱いについても、さすがに少し雑なんでは?とも思う。しかし、彼女たちのキャラの設定上、ある程度は仕方がない部分もあるし、何でもかんでも一つの映画に求めるのも無理がある。また、映画を視聴する観客側のニーズという問題もあるのではないかとも思う。この辺りは、私自身のことを振り返ってみても、映画には現実を忘れさせてくれるものを求めてしまう感覚もある。自分と同じようなチビで猫背気味のキャラがいたところで嬉しいか?と言われると、正直「別に…」になってしまう。ただ、20世紀にだったら考えられなかったような作品が生まれている2020年代なので、あと10年もすれば、また状況は変わっていって、私のような感覚が「年寄り臭い」「古くさい」ものになっていくのかもしれない。

「選ばれし者」ではないからこそ

 なお、ガーディアンズ(特にVol.3)は、ネット記事やファンの感想ブログなどで、しばしば「落ちこぼれ集団」などと呼ばれているのだが、私はその表現には疑問がある。というのも、彼らは「ヒーローらしくない」し、どちらかと言えば「悪党」側だったりもするけれど、決して単なる「落ちこぼれ」などではないからだ。そもそも何(誰)と比較して「落ちこぼれ」だと言うのかさっぱりわからないし、彼らはそれぞれ得意分野も持っている。ロケットは身の回りの材料で武器を作ったりもできるし、グルートは自分の体を自在に伸ばして盾にも矛にもなるし、ピーターも泥棒としての腕前はかなりのものだ。

 そして、何よりも大事なことは、そういった能力の有無ではなく、彼らがお互いに、その長所も短所も理解した上で、それぞれに足りないところを補い合って、自分の役割を果たしているところだ。ロケットは短気な上に意味のない盗みを働きたがるし、グルートはI am Grootしか喋れないし、ピーターは自惚れ屋でカッコつけでもある。彼らは、キャプテン・アメリカのような「正義」の象徴ではないし、はみ出し者ではあるかもしれないが、そのことに安住しているわけではなく、自分にできることで仲間を助け、正義を為すことを選ぶからこそ、ヒーローなのだ。自虐芸的なものなのか、「俺たちのガーディアンズ」という思いが強い人たちこそが率先して彼らを「負け犬」「落ちこぼれ集団」と言いたがっているようにも見えて、日本社会のそういうところは本当に良くないよ、と思う。言葉を大切に、そして正確に使うことは、現実を把握して対処していくためにも超重要なので。

 選ばれし者が、己の使命を受け入れて成長し、真のヒーローになっていく系のスーパーヒーロー映画も嫌いではないが、『ガーディアンズ』は選ばれし者ではなくとも、自分にできることをしなければいけないタイミングがあることを教えてくれるタイプの映画で、私はそこが気に入っている。たいていの人は「選ばれし者」ではないけれど、それは何もしなくてもいい言い訳にはならないし、自分で考えて自分が正しいと思うことのために、可能な限り力を尽くす人間でありたいな、と。

目黒シネマに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目を観に行ったときに撮影

目黒シネマに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1作目を観に行ったときに撮影

 シリーズ完結作(2023年5月公開)の3作目は、アベンジャーズの『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』(とDisney+で配信しているガーディアンズ番外編『ホリデー・スペシャル』)後の世界なので、少し状況を掴みにくいところもあるかもしれないが、1作目も2作目も他のマーベル映画を観ていなくても充分に楽しめる作品なので是非!
We are Groot!!!

***

 気付けば11月になってしまいました。腹腔鏡手術から一ヶ月以上になり、ようやく謎の排尿障害も治ってきてホッとしているところです。11月4日には、Mötley CrüeとDef Leppardのジョイントライブにも行ってきまして、フェミニストであることとモトリー・クルーのようなバンドを愛していることが、世間的には「整合性がとれない」ように見えるのかもしれないなぁと考えたりしています。以前、『オンナこどもにはわからない』という記事を書いた時に、「そもそもロックという音楽が男尊女卑だと思う」という感想を書いてくれた方がいました。そして、特に、ハードロック/ヘヴィーメタルというジャンルにはマッチョなイメージが強いし、実際にそういう側面もあるのは否めないと思うンですが、一方で「オンナのファンは本物のファンじゃない」みたいなことを言いたがるのって、むしろどちらかというとナードっぽい男性アーティストだったりしない?みたいなことも思うので、その辺りについても、いずれ掘り下げてみたい気もしています。

 あ、あと「選ばれし者ではない者の責任」という話繋がりでいうと、『キック・アス』もその系統の映画でオススメです。『スパイダーマン』の有名な台詞「大いなる力には大いなる責任が伴う(With great power comes great responsibility.)」をもじった台詞に映画館で泣いたの人も多いのではないかと…。

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 では、また次回の配信で〜🐸

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