カエルのおすすめ:『マッドマックス:フュリオサ』Furiosa: A Mad Max Saga
簡単におさらいしておくと、マッドマックスは1970~1980年代に制作されたメル・ギブソン主演の3部作が、ある種のカルト的な人気を誇るシリーズである。様々な経緯で、シリーズ4作目である『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Mad Max: Fury Road)は2015年の公開となり、マックス役はトム・ハーディーに交替、マックスはタイトルロールではあるものの、物語の中心(実質的な主役)は女性戦士のフュリオサであったと言ってよいと思う。この作品はシリーズ最大のヒット作となった。
『フュリオサ』は、その『怒りのデス・ロード』の前日譚である。そのため、アクションの派手さなどは前作よりも控えめになっているが(前作のラスボスであるイモータン・ジョーの支配が完成する前の話なので)、それでもなかなか斬新な戦闘シーンもあり、さすがだなと思わされる。
しかし、何よりも、この映画では、前作以上にマッドマックス・シリーズが絵空事ではなく、現実社会を映す鏡であることが明確に示されており、ジョージ・ミラー監督のフェミニズムへの深い理解と強い意志が感じられるので、多くの女性たちに観てもらいたいと思う。
〈毎回、この位置に作品情報のリンクを載せているのですが、今回はなぜかワーナーの公式サイトへのリンクが貼れないので、以下のURLをコピペしてください。ただ、ワーナーのサイトや「チャプター予告」動画はかなりネタバレ感があるので要注意です!〉
https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/index.html
空虚な多弁 ディメンタス
今回の敵役であるディメンタスは、“神話の英雄風“とでもいうべきか、三頭立ての馬車に見立ててバイクを3つ繋げた「三台立てのバイク車」に乗っている。ビジュアルが死ぬほどアホっぽいのに、大まじめに完璧に嫌なヤツを演じたクリス・ヘムズワースはやはりスゴい(彼は、2016年の女性版『ゴーストバスターズ』でも、「見た目がいいだけの馬鹿」という役を見事に演じている)。ディメンタスは、何かにつけてマイクで演説をしたがるのだが、このキャラクターは多分マッドマックス史上、最も台詞が多い。これまでのマッドマックスシリーズは全体的に台詞の少ない映画なので、ディメンタスのおしゃべりっぷりが際立つ。
現実社会では、「寡黙な男性とおしゃべりな女性」のようなステレオタイプは未だに根強いし、「女はおしゃべり」だと思い込んでいる男性は少なくないが(近い例だと森喜朗元総理の発言など)、実際、男性の方がおしゃべりであるという研究があるそうだ。それを体現するかのように多弁なのがディメンタスだ。しかし、彼の多弁は中身の空虚さの裏返しでしかないことは観ればわかると思う。
ちなみに、『怒りのデス・ロード』のラスボスであるイモータン・ジョーは、ディメンタスと違って口数は多くないが、冷静に物事を判断する力はあるし、無言で相手を圧倒するある種のカリスマ性もあるように描かれていたと思う(というか、ディメンタスが喋り過ぎ)。
希望と絶望 ジャックとフュリオサ
ジャックは、この作品のほぼ唯一の「まとも男」キャラである。彼は、「生き延びる」ために、イモータン・ジョーのもとで大隊長にまで昇り詰め、彼自身の部下のことは最大限守ろうとしていたように見える。しかし、彼が「生き延びる」ことで「妥協」し、逃げ出すことや刃向かうことを考えずに済んだのは彼が男だからだと思う。
女であるフュリオサは、最初は「妻=子産み女」としてイモータン・ジョーに引き取られ、「将来、子を孕む女体」として「大事に」されていた。水と緑があり、清潔な衣服も食糧もある妻たち(ワイブス)の居住空間は、見た目はフュリオサの故郷である緑の土地と似ていなくもない。そこで暮らしていれば「安全」かもしれない。しかし、そこで「生き延びた」としても、先輩のワイブスを見ていれば、妊娠も出産も命がけなことはわかるし、健康な子どもを産めなければ、さらに過酷な運命が待ち受けていることは間違いない(そもそも無理やり子を産まされるのが過酷であることは言うまでもない)。フュリオサは女であるがゆえに、「生き延びる」ためにも脱出して、「故郷に帰る」という母との約束を決して諦めるわけにはいかないのだ。
『フュリオサ』は、一人の少女の成長を描く復讐譚だ。しかし、彼女の元々の目的は「故郷に帰る」というものであり、復讐ではない。彼女は目的のために、イモータン・ジョーのもとで這い上がり、砂漠を旅するのに必要なものを手に入れられるポジションを得ていく。そして、脱出の過程で母の命を奪った男、ディメンタスと対峙することとなるのだ。
目を開いているだけで見ていない
面白いのは、イモータン・ジョーもディメンタスも、成長して大人になったフュリオサを、あの「幼い頃に自分の元から逃げた少女」だと見抜けないことだ。これは、実際に「男あるある」だと思う。確かに、イモータン・ジョーに見初められた時のフュリオサは、ディメンタスに捕らえられてはいたが、身ぎれいにしていた。メカニックや戦士たちの間で薄汚れた格好をしているフュリオサと同一人物だと見抜くのは難しいかもしれない。しかし、それ以上に、「男性は女性の容姿を記号的にしか見ていない」「男性は女性をモノとして見ている」という問題があると思う。特にディメンタスは、一時は「自分の娘」としてフュリオサを手元に置いていたにもかかわらず、髪を切り、戦士となった彼女に全く気付かない。イモータン・ジョーも、フュリオサが(かつては自分の妻にしようとしていたくらいに)美しくて健康な女性だと気付いていないようなのだ。むしろ、幼い頃のフュリオサを自分の玩具(性的な意味ではなく、人形やぬいぐるみのような玩具)として欲していたらしきイモータン・ジョーの息子リクタスが気付きかけるのだが、特定の玩具に執着する子どものようなある種の邪気の無さがなせることか。
ジョーとディメンタスの「見えていなさ」と対比させられるのが、フュリオサの「何も見逃すまい」という意志を感じさせる目だ。アニャ・テイラー=ジョイを配役した必然性を感じる。これに反論するひとは誰もいないだろう。
暴力が支配する男社会と分かち合い助け合う女性たちの社会
メインの舞台となるウェイストランドは、少ない資源を奪い合う暴力の世界だ。ただでも資源が少ないというのに、無駄にどかんどかんと火を放ち、爆薬を大量に使い、力を誇示する。人命と資源の無駄遣いだ。一見して、圧倒的に男性が多く、女性や(ウォーボーイズと呼ばれる少年兵以外の)子どもの姿は少ない。女性は性暴力の被害に遭う可能性が高く、その後、命を奪われる可能性も高いため、身を隠しているか、女性と分かりにくくしていることもあるだろうが、暴力が支配する世界で真っ先に犠牲になるのは女性と子どもである。女性が少なくても驚くことではない。さらに、ウジ虫が貴重なタンパク源だったりもする、かなり無理味が強めの世界であるが、昆虫食が注目される昨今の現実と照らし合わせて見ると、そう非現実的でもないところがますます嫌…。
一方、フュリオサの生まれ育った社会は、女性が多く、戦士は女性が中心のようだった(『怒りのデス・ロード』でも、彼女が再会する「鉄馬の女たち」はその名の通り「女たち」だ)。土地が豊かで実りが多いから、というだけでなく、それをみんなで分かち合う社会で、だからこそ、資源が枯渇することがないのだろうということが短時間で示されていたと思う。その均衡を守る為にも、暴力で奪い合うことしか知らない男たちに、自分たちの土地の存在を知られてはならないため、外敵との戦闘に備えているのだが、その際も活躍するのはスナイパーであり、弾薬の無駄遣いをしない。見事な対比だと思う。
マッドマックスの世界は我々の世界である
マッドマックスを「MADな世界観のヒャッハー映画」だと思っているひとがそこそこいるような気配があるので、未見の方々のためにも強調しておきたいのだが、そもそもMad MaxシリーズでMADなのは世界観の方ではなく、Maxの方である。そのMADは「狂気の」という意味でもあり、「怒り狂っている」という意味でもある。
『フュリオサ』の冒頭でも明確に描かれていたが、あの世界は今の世界の延長線上にある。資源が枯渇し、気候変動が激しくなる中、我々がこのまま多弁なだけの政治家や暴力支配を認め続ければ、きっと訪れるであろう未来だ。もちろん映画なので、ビジュアル的には実際以上に強烈なものがあると言っていい。しかし、我々の世界とはまったく別の世界線の、異世界の物語だと思って消費していいものではない。これは、「仮定法」の非現実世界ではなく、前提条件が整えばそうなるという意味でのifの物語だ。そして、規模こそ違うものの、すでに、もう現実に存在している物語だ。
暴力で奪い合う男たちの世界では、女性差別が完成してしまっているために、女性差別についてわかりやすく明言するような言葉は出てこない。しかし、女性が中心となるフュリオサの故郷との対比にしても、説明的には語られない中に、フェミニズムが訴え続けてきた女性搾取の問題や性暴力の問題が描かれているし、児童売買(人身売買)や少年兵の問題も描かれている。これは、今現在、この地球上で起こっている問題だ。
2時間半のエンタメ作品の中で、これだけのことを描いている大傑作なので、全員、劇場に駆けつけて観るべし!おすすめです。そして、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も観よう!
今回のニュースレターは以上です。
もっと書きたいことがたくさんあるのですが、できるだけ多くのひとに映画館で観てもらいこともあり、ネタバレを極力回避して短めに(え?)まとめました。8月くらいになったら、『怒りのデス・ロード』も見返した上で、ネタバレ全開でフェミニズム映画としてのマッドマックスについて、長文の方のニュースレターで扱いたいと思っています。前作については、すでに様々な評論が出ているので、私が改めて言うまでもないこともあるとは思いますが、どうも日本でのマッドマックス人気は、そういったフェミニズム的メッセージ性よりも、「ヒャッハー映画」的な消費に傾いているような気がしなくもないので、地道に宣伝活動をしていこう、という感じです。
なお、『フュリオサ』は、もともとは前作と同時公開のアニメ作品として構想されていたということを、以下の前田真宏氏のインタビューで知りました。ネタバレにならない記事なので、映画未見のひとが読んでも大丈夫だとは思います。映画を観た後で、家でひとしきり(このレターで書いたような)感想などを語りあった後で読んだら、私が思っていた通りのことを前田氏が言っていたので、答え合わせできたような気持ちです。自分の映画を見る力もだいぶ上がってきたんではないか?と嬉しくなりました。
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