10代に必要なのは「豊かなセックス」なのか
性交同意年齢は引き上げるべき
性交同意年齢の引き上げについて議論がなされている。現行法では性交同意年齢は13歳になっているのだが、これはとても奇妙なことだ。というのも、性交は「妊娠」という結果を伴う可能性がある行為だからである。日本において、婚姻が可能な年齢は現時点では女性が16歳で男性が18歳だが、これは2022年4月(つまり来年の4月)から男女ともに18歳となる。そして、就労可能年齢は15歳(正確には満15歳に達した後に最初の3月31日を経過した後)である。
つまり13歳の少女が、"本人の意志で"同意してセックスをして妊娠した場合であっても、本人の力で生活費を稼ぐこともできなければ、婚姻制度を利用して扶養されることもできないということになる。自活することもできなければ、婚姻も許されないほどの「子ども」にセックスへの同意の責任だけは押しつけていいというのはだいぶ狂った発想ではなかろうか?
性交同意年齢に関しては小川たまかさんのこちらの記事にとてもよくまとめられているので、詳しくはこちらを参照してもらいたい。
このことが話題になった際、ツイッター上では、多くの女性たちが「13歳ではダメだと思う」という意見を表明していたわけなのだが、そこには様々なレベルでの被害や被害未遂の記憶がある。自分は「同意して」いたけれど実はあれはうまく言いくるめられて搾取されていただけだった、と振り返るひともいれば、あの時は危なかった…自分も被害者になっていたかもしれない、という経験を語るひともいた。それは本当にひとによって様々だったけれど、ひとつ言えることは「いま、少女として生きてる子たち、これから少女として生きることになる子たちを守りたい。被害者にしたくない」という気持ちはみんなに共通していたと思う。
性教育はお粗末で、男性向けのエロコンテンツ(や準エロコンテンツ)はやたらと豊富にある日本社会で、女性として生きること、特に女児として生きることは、常に危険を伴う。多くの女性にとって、人生で「最初の性的接触」は自分で選んだ相手との幸せなものではなく、身近な、本来は信頼に足るはずの大人からの性加害であったり、公共交通機関などにおける痴漢である、ということは強調しておきたい。女性たちの発想がプロテクティブになるのにはそれなりの根拠があるのだ。
「ティーンの女性が豊かなセックスをする権利を奪うな」
それに対して、弁護士の男性のひとりからはこんな発言が飛び出してきた。
性交同意年齢の引き上げは、その反射として「女性がセックスする自由」への制約になります。
私は、ティーンの女性が自分の意思で、好きな相手と豊かなセックスをすることを否定してはいけないと思っています。
念のために追記しておくと、岸本さんは性交同意年齢は15歳程度に引き上げるべきであるとした上で、上記のような話をしている。女性の権利などについても考えた上での発言であり、女児をだまくらかして搾取してやるぞーということは微塵も考えていないことは確かだと思う。
しかし、15歳はかろうじて就労可能年齢に達するか否かという年齢であって、セックスの結果(妊娠)に責任を負うのにはまだあまりにも幼いと私は思う。この「セックスには妊娠という結果があり得る」という視点が、なぜか男性には欠けているように思うのだが、どうしてそこを無視できるんだろうか。
そして、自分が13歳〜15歳だった頃を思い返してみると、自分自身にもそういった意識は欠けていたと思う。漫画や映画なんかだと高校生のカップルがセックスをしていたりするので、「そっか、高校生くらいになるとそうなんだ」と思って読んでいたし、フィクションの世界で大人は簡単にセックスをして別にいちいち妊娠しない。そして、セックスというものがいかに素晴らしいものかということを語る言葉はちょこちょこと耳に入ってくる。興味を持つなと言われても興味を持つのも子どもだと思う。
だからこそ、そういう子どもの興味につけ込む大人から守るためにも性交同意年齢の引き上げが必要だと思うし、就労や婚姻、選挙権といった他の制度と照らし合わせてみても18歳が妥当ではないのかと、個人的には思う。
「女の意見は聞く必要がない」
さて、こうした議論が盛り上がって来た頃、別の弁護士男性が次のようなツイートをして、当然、かなりの批判を受けることとなった。
性交同意年齢が今の13歳のままでよいのか,大人だけで議論していないで,当の10代の子どもたちと,きちんと話をしましょうよ。
個人的には、「ティーンの女性の豊かなセックス」より、こちらの発言の方が堪えた。山下さんのツイートは以前からちょくちょく目にしていて、子どもの権利のために様々な活動をしていることは知っていたし、「子どもの意見を聞くこと」を大人の責任として行うべきだと考えていることも私は疑っていないので、「子どもに責任を負わせる気だ」と責めるのもちょっと違うと思ってはいるのだけど、このクソ男だらけの日本で男性がこういう発言したら、「このひとも児童を食い物にしようとしてる!」と思われるのはある程度考慮に入れるべきなのではないか、とも思った。
では、何がショックだったのかというと、「子どもたちときちんと話しましょう」の前に「女性の話を聞きましょう」とは思わないのだな、というところだ。
2021年6月現在、日本の国会議員の女性比率は衆院10.1%、参院20.7%である。女性議員が増えた今でさえそれなわけだし、性交同意年齢が13歳となった当時(明治時代)には女性には参政権がなかった。つまり、男が男の都合で男だけで決めた法律なわけだ。そこには、女性の意見は一ミリも反映されていないし、それについて一般女性の意見に専門家たちが真摯に耳を傾けたことなど一度もないままなのだ。SNSのおかげでライターでも専門家でもない女性たちも自分たちの意見を発信できるようになって、やっと市井の女性たちが自分たちの過去の経験に基づいて、性交同意年齢について男性の考える基準では心配であると率直な意見を出し始めたところなのだ。それなのに、その女性たちの意見をシャットアウトして「まずは子どもと話し合いましょう」なんだ…と思った。そのくらい、私たち一般女性(法律の専門家でも政治家でもない女性)の意見はとるに足らない雑音だと思われているのだな、と感じた。
私はもう40代で「子ども」ではないし、性交同意年齢については加害者側にならない限り当事者性は確かに薄いかもしれない。しかし、私は「子どもの権利条約」がまだなかった時代も含めて子ども時代を経験してきたし、かつての13歳の少女・15歳の少女でもある。
小学生の頃からショートカットで「男女!」などとからかわれながら、子ども時代を過ごした私だったので、13歳〜15歳当時(つまり中学生の頃)「クラスのみんなは子どもだからわからないだけで、君はホントはとてもかわいい女の子なんだよ」と優しく言ってくる大人の男がいたら、私なんか簡単に落とせただろうな、と思う。別に「女の子として認められたい」と強く思っていたわけではなかったのだが、髪が短いだけで「性格も"男みたい"なんでしょ?」「恋愛とか興味ないんでしょ?」と扱われることには嫌気が差してもいたから。
運良く、私はそのような男にターゲットにされることなく済んだわけだが、「自分のことを大人だと思っている子ども」だった私は、学校の先生や塾の先生に恋心を抱いたりしていたので、向こうにその気がなかったことが救いだった。
存在しないことにされる女たち
特に最近になってよくわかったのだが、男性は《男にとってのセックス》と女性にとってのセックスがどれほど違うものなのか、多分大人になってもイマイチわかっていない。だから、「ティーンの女性の豊かなセックス」なんて素っとぼけた発言ができるのだろうし、この議論を受けて「自分が13歳だった頃のセックスへの思い」を延々とツイートしている男性もいて、正直、そんな話はしてねーわ、という気持ちになった。
性交同意年齢と聞いて「きもちいーことができる権利」の話だと勘違いできるくらい男性にとって、セックスは楽しいことばっかりなんだな、と呆れる。それなら、なおさら、女性たちの危惧を一蹴するのではなく、なぜ多くの女性たちが自分たち男と違ってこんなに警戒するのかということをよく考えてみればいいのに。
繰り返すが、日本の法律のほとんどは「女性が不在のまま」制定されてきた。成人女性たちは「子どものうちからセックスだなんて汚らわしい!」みたいな思いで性交同意年齢について議論しているわけではない。まだセックスの意味も、《男にとってのセックスの意味》もはっきりわかっていない少女をどうしたら守れるのか、ということを考えている。ひとによっては、それは「あの頃の自分を守れたかもしれない」という思いだったりもする。かつて女児であった女性たちの、そうした声にまずはきちんと向き合うべきではないのだろうか。女性たちの身を切るような訴えを聞く必要がないと判断する理由は一体何なのか?それが女性蔑視ではなくてなんだと言うのか?
また、子どもと話し合うのも結構だが、「自らの意見を持つこと」にはある程度の知識と経験、訓練が必要だ。子どもにはまだそれが足りないからこそ、選挙権を持たないのではないのか。「判断する能力がまだ未熟である」と見なされているのに、なぜ、セックスについてだけは子どもに判断できるかのような前提に立つのか?
こうした疑問に、「話をしよう」であって「子どもの言う通りにしよう」ではない!と反論しているひともいた。もちろん、子どもの話も聞いた上で、大人が責任を持って決める必要があること、というのもたくさんあるだろう。山下さんや彼のツイートに賛同するひとは、性交同意年齢についてもそのように考えているのだろう。しかし、大人になって振り返れば、13歳は背伸びをして大人な気になっている子どもでしかなく、「話し合い」の場で周囲の大人や気に入られたい相手の考えに誘導されてしまう可能性もあるし、そうした場での発言を目ざとく(耳ざとく?)見付けて近づいてくるチャイルド・マレスターだっているかもしれない。「話し合いましょう」と場を設けたひと自身にその意図がなくても、だ。そして、性行為について自分ごととして意見するというのは、かなりプライバシーに踏み込むことになるので、意見したくない子どももいるし、思い切って意見したのに、大人の決定にはそれが全く反映されない結果になった場合にその子がどんな気持ちになるのか、ということも考慮に入れる必要があると思う。
こうしたことに慎重になりながら、子どもと話し合うことができる大人が一体この社会にどれほどいると言うのか?だいたいの男は、大人の女性とさえろくに話し合えないというのに。
豊かな知識なしには豊かな性生活もない
豊かなセックスライフは、望めば成人してから充分に実現が可能だが、未成年時代に性的に搾取された経験は取り消しがきかない。それは生涯にわたってそのひとの人生を支配する可能性もある。被害に遭ってからでは手遅れなのだ。
子どもの頃の自分は「自分はもう子どもじゃない」と思えるくらいに子どもだった。大人になって振り返って初めてわかることはたくさんある。だからこそ、大人が大人の責任で子どもを守るために性交同意年齢を定める必要があるし、この議論に子どもを巻き込むべきではない、と私は考える。しかし、その上で、子どもから疑問があがった場合は真摯に答えていくべきだろう。子どもは「納得がいかない」と思うかもしれないが、10代の子どもに必要なことは「豊かなセックス」などではなく、身体を脅かされることなく、安心して豊かな知識を身に着ける期間を得ることではないだろうか。
「豊かな知識」には当然、性教育も含まれる。まずは性行為を拒否する権利、したくない性行為に応じる必要はないということを教えるべきだし、自分の身体を大事にすることを教えるべきだと思う。そして、セルフケアの一貫として、安全なマスターベーションについても充分な情報が提供されたらいいのではないか、と思う。マスターベーションを「セックスの代替」と考えるから、「セックス相手がいない自分はかわいそう」という発想になるヤツが出てくるし、AVのような視覚情報がないと出来ないなどと言い出すヤツが絶えないのではないか、と思うからだ。みんなが「自分の身体を大事にすること」を学べば、他人の身体も「そのひとの大事な身体」であることが認識できるから、セックス相手がいない自分はかわいそうだから女をあてがえ!みたいな相手の身体を大事にしない発想も女性の身体を毀損することに興奮するように作られた暴力的なAVが提供されることを当たり前のように考える男もいなくなるだろう。それは、女性に対する暴力の根を断つ上で大きな意味を持つし、男性を《有害な男性性》から解放することにも繋がるだろう。
とまぁ、このくらいは考えて色々言ってるんだけど、「無知なオンナども」扱いされるんだよね、うん、知ってる。
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
「女性の身体と《女性にとってのセックス》について男性は驚くほど無知である」ということを、実は、私は知らなかったんですよ。ツイッターも最初は脱原発デモとかの情報集めで始めたこともあるし、ここ3年くらいでフェミニズムが流行りだしてアンチフェミも増えたことで、男によるトンデモ「女性(身体)論」も目に入るようになったかんじで、未だに毎回新鮮に驚き、呆れます。ちょっと前にもこんなニュースレターも書いているので、よろしければどうぞ!
しかし、何に一番驚くかというと、そんな無知な男性が「自分は女のことをよく分かっている」と信じて疑わないことです。あの無駄なポジティブ思考はどこからくるのか?その謎を探るべく、われわれはアマゾンの奥地よりも闇が深いネットの海に潜ることに…。
to be continued...
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