女の敵はミソジニー

コロナ後遺症の話、本の話、妊娠・出産と「働きやすさ」巡る話、そして、女性が言論で勝負することの難しさについての4本立てです。ペンよりも剣の方が強いかもしれないけれど、それでもペンを取らざるを得ない側の決意を書きました。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2022.09.14
誰でも

コロナ後遺症のはなし

 結局、ほとんど体調不良のままで8月は終わり、9月も引き続き体調不良だ。いろいろと考えてみると、おそらくは新型コロナウィルスの後遺症であろうと思われる。7月20日過ぎに体調が悪くなったのが、後遺症発症の最初で、その後、やや快復したところで無理をして再度悪化したという感じだ。新型コロナウィルスの怖さの1つは、感染しても無症状のことがあり、無症状だったにもかかわらず、後遺症は出る人間もいることではないだろうか。後遺症が出る人は多くが罹患中から症状が継続するパターンらしいし、確証はない。しかし、他に上咽頭炎になる理由が思い当たらないので、消去法でいくと、6月末〜7月はじめ頃に新型コロナに罹り、7月半ばに仕事の繁忙期をなんとか切り抜けたタイミングで数年ぶりに大まじめな筋トレをしたことが体に過度な負荷となり、結果として後遺症が発症した、と考えるのが妥当ではないかと思う。しかも、最初の後遺症症状を「後遺症である」と認識できていなかったために、体調がいくらか快復したところで、筋トレを再開してしまったことが8月半ばから続く2度目の体調不良の原因であろう。

 運良く、比較的通い易い場所に上咽頭炎の治療をしてくれる耳鼻科があったので、週一回、鼻の穴から綿棒を突っ込まれて上咽頭にごりごり薬を塗り付けられてきている。下にコロナ後遺症に関する記事のリンクを貼っておくが、このBスポット療法という治療は炎症がひどいひとはものすごく痛いらしい。私はこれまでのところはそこまでは痛くなく、症状も比較的軽い方ではあるので、これ以上悪化させないように気をつけながら生活していきたいのだが、なんせ職場がリモートワークをあまり認めてくれないので、いろいろ心配である。

 現在の私の症状は、胃のもたれ、下痢、喉の痛み、軽い倦怠感という感じだが、日によっては熱があるわけでもないのに熱があるときのような強めの倦怠感が出たり、微熱があったり、痰が絡んだりもする。胃酸逆流を起こすと症状が悪化するらしいので(二回目の体調不良は食後に酸っぱいげっぷが出た後だった)、食事は油ものを避け、甘いものもかなり減らし(完全ゼロにできてない…)、カフェインも控えている。もともと炭酸やアルコールはそれほど摂取しないので、もっとも我慢が必要なのは、紅茶とコーヒーだ。ありがたいことに、ニュースレターの読者の中にカフェインレスのお茶を贈ってくださった方々があり、毎日、様々な種類のハーブティーやデカフェ紅茶を楽しむことができている。本当にありがたい。

引き続き読書の夏〜秋

 前回のニュースレターでは、現代思想系の本は読みにくい、というような話をしたのだが、引き続きあれこれ読んでいて、やっぱり現代思想系は難解だなぁと確信した。しかし、それでも現代思想系のジェンダー関連書籍も読みたいという人には、まずはインタビュー集である『ジェンダー研究を継承する』(人文書院)をおすすめしたい。

 ジェンダーにまつわる研究の「パイオニア」と呼べる研究者21名へのインタビューをまとめたもので、理論書ではないが、ある分野においてパイオニアとならざるを得なかった人たちの人生や研究への動機などが語られていて非常に興味深い。インタビューなので、ほとんどはいわゆる「話し言葉」で書かれており、読みやすいし、戦中〜戦後の日本社会については高校まででほとんど習っていない私にとっては、ちょっとした現代史おさらい的な面白さもあった。ウーマン・リブに対するスタンスもひとそれぞれで、いつだって女性たちは一枚岩ではなかったし、「家父長制」という言葉ですべてを断罪できるものなのか?ということを考えさせられる。少しずつ個人の自由の方を広げつつ、その都度、それなりの落とし所を探っていくしかないのだろうけど、別姓婚さえ実現しない日本社会なので、道のりが険しい…。
 なんだかんだでジェンダー研究の歴史もそれなりに長くなっているので、何を読めばいいかな?となる場合、とりあえずはインタビューを読んで興味を持った研究者の書いたものに当たってみる、というのはよいのではないかと。
 今はジェンダー関連の翻訳書もどんどん出ていて、話題になる新しい本がたくさんあるので、そちらに目が向いてしまうのは当然なのだが、ジェンダーが社会構造や他者との関係性と関わるものである以上、日本社会には日本社会独自の問題があることは間違いない。地域を超えて普遍的に言えることも少なくはないけれど、地域固有のジェンダー問題というは間違いなくある。日本の研究者による日本の研究や、日本という外からの視点による他の地域の研究というのは、そういう意味でも大事だし、発展していってほしいので、私ももう少し意識的に読むようにしていきたい。

女性が働きやすい職場

 さて、私は「子どもを産まないことを選択した女性」である。しかし、私のことをよく知らないひとやそこまで踏み込んだ話をしたことがないひとは、私のことを「子どもを産む方の性」だと認識してくる。「結婚する」と言えば、「子どもは早い方がいい」などと子どもを産むことを前提のアドバイスをしてくるひとがいたり、「次はお母さんに孫の顔を見せてあげなきゃ」と完全に善意で言われたりする。しかし、そんな風に結婚や出産が身近な話題になる遥か以前の、中学生くらいの頃から、社会は「いつかは子どもを産むのだから」という前提でアレコレ言ってきたように思う。無理なダイエットや冬の薄着などの健康への害は、「将来赤ちゃんを産むために」という視点で注意されることがある。まるで、女の子の生活は「赤ちゃんを産むための準備期間」であるかのように。その女の子自身の将来の健康(健康は日常生活にとって非常に大事なことだ)よりも、まだ存在しない赤ちゃんの健康をこそ考慮すべきであると世間は考えているらしい。「母体」としては重宝されるが、「ひとりの女性」としては取るに足らない存在扱いされる私たち。

 そして、実際に産むか産まないかにかかわらず、「女は妊娠・出産で仕事に穴を開けるから」と入試で差別されたり、就職で差別されたり、給与で差別されたりする。これについて、「産む女性」と「産まない女性」で待遇を分けて欲しい、という意見が出ていたのを見かけた。そう言いたくもなる気持ちは、産まない選択をしたのに「(産むかもしれない)女」と見なされてきた立場なので、少し分かる。しかし、それは結局「男並になれる女」を名誉男性として扱う一方で、「男並になれない女=ただの女」は差別されても仕方がない、という現状の追認になってしまう。産まない個人の享受する利益のことを考えると、即効性があるのは「産まない女性は男性と同じ扱い」の方ではある。いま、この瞬間、生きづらさを抱えている多くのひとにとって、即効性のある解決策は魅力的に見えると思う。企業が掲げる「女性が働きやすい職場」が妊娠・出産・育児を前提としたものばかりで、シングル女性にとっての「働きやすさ」についてはほとんど考慮されていないことも(少なくとも私の観測範囲内では)以前よりも指摘されるようになっている。

 ただ、私が思うのは、女性が「出産や家事育児で仕事に穴を開ける可能性がある」と見なされても、それが仕事の上で不利にならないような社会であれば、女性が一律差別されることはなくなるのでは?ということだ。
 現在、出産だけはどう頑張っても女性がするしかないので、妊娠・出産で仕事を休む女性は出てくる。しかし、会社がその人が休んでも充分に仕事が回せるように人員を確保したり補充したりすることで、「仕事に穴」が開かないようにすることはできるはずだ。自分がコロナ後遺症になっていることもあって、余計に実感するのだが、誰もが図らずして仕事を休まざるを得ない事態に陥る可能性はある。それが妊娠だろうと、怪我だろうと、病気だろうと、誰かが休んでも「仕事に穴が開かない」体制こそが大事なのではないかと思う。妊娠・出産・育児へのサポートは、「仕事に穴が開かない」体制づくりの一環として行なうのであれば、意味があると思うし、同時にそれは「これから父親になる男性社員」「子どものいる男性社員」にも同じように休みを取らせることで、女性だけの問題にさせないことも重要だろう。男も育児で休むようになれば、「女は休む(可能性がある)から」という言い訳は通用しなくなる。

 妊娠・出産は身体と関わるために、男性には経験ができないことだが、妊婦と生活する上で自分にどんなことができるのかを学び、生まれてくる子どものために妻の出産前から準備をすることは男性にもできるはずだ。というか、むしろ身体には何の変化もない男親こそが率先してやるべきではないだろうか。母親は自分の身体の変化とも折り合いをつけていかなければいけないのだから。

 この話題に少し関連して、2021年の春にTwitterでシェアしたニュースが最近RTされていた。毎日新聞の有料記事なのだが、韓国では、出産を奨励する「少子化対策」をやめて、《女性が性差別を受けず、働きやすい社会をつくることが少子化問題の解決につながる》という方向に転換したということが書かれていた。

 結局は「少子化対策」なのかよ!と思われるかもしれないが、この記事によると、男女差をなくすために、女性のワーク・ライフ・バランスの充実をはかることが目指されているということなので、結果的に「産みたいけれど産めない」というひとが減ることが期待されているという感じで、《女性が子どもを持つ持たないは個々人の選択であって、周りが促すことではない》という前提があるようだ。
 この記事の中でも、男性の育休の充実についても触れられており、やはり女性の働き方「だけ」をいじったところで、男性が変わらなければどうにもならないよな、と思った。男性が家事・育児を全くしないままでは、家事・育児は「女の問題」になってしまうからだ。しかし、人間が生きて生活している以上、家事は発生するし、社会の存続には育児がついて回る。そろそろ男もこの「必要不可欠で重要な仕事」に取り組んでくれよ、と思う。実際のところ、家事育児が「重要な仕事」と認識されないのは、「女の仕事」だからであって不必要でもなければ重要性が低いわけでもないことを男たちは知らないはずがない。

 で、こうした出産や育児の話とは別に、今の日本社会では一人暮らしの女性は安全のためにコストをかけなければならないので、単身女性向けに家賃補助を充実させるくらいはさっさとやってほしいものだ。これは男性の意識改革などを待たずして一瞬でできるわけだし、それによって不利益を被るひともいなし、確実に「女性が働きやすい」企業になれると思う。

ペンは剣より強いのか?

 私は写真を撮るのも好きなのだが、やはり文を書く方が好きなので、SNSでは圧倒的にTwitterの使用頻度が高い方だと自覚しているのだが、それでもこの1年くらいはTwitterをあまり見過ぎないようにしている。その最大の理由は「時間がマジでなくなったから」なのだが(文字情報を追っていると思った以上に時間が経ってしまうので危険なのだ)、「文字情報だからこそ伝えられることがある」と以前ほどは確信が持てないからというのもある。Twitterは140字という制限があるために、部分的に拡散されたり、時には恣意的に切り取られたり、スクショを貼られて知らないところで晒されたりもする。一度、誤解されると、書いたことはすべてその誤解に基づいて解釈されて誤解を強化し、さらなる誤解を呼ぶこともある。
 人間は、現実を自分の偏見・思い込みに寄せて理解してしまうものである。私自身も、そういったバイアスからは自由ではない。過去にも、これからも、私自身が偏見の強化に一役買ってしまう(しまった)可能性はある。そう考えると自分に言えることは何かあるのか?とふと考えてしまい、書きかけたツイートを消したり、とりあえず下書きに入れるのみにしてしまうことも増えた。

 女性は、男性よりも常に厳しく評価される。男性からだけでなく、女性からも。女性は、社会的な能力を疑われ、その発言の信憑性を疑われ、道徳的慎重さを疑われるのがデフォルトである。全く同じ能力を持っている男女がいた場合、多くのひとは男性の方を好意的に評価するという研究結果が、ケイト・マン『ひれふせ、女たち』(慶應義塾大学出版会)にも出てきた。男性は長所を見つけてもらえるが、女性は欠点を探されがち。男性の場合は長所と見なされる積極性や堂々たる態度は、女性の場合は傲慢さや出たがりという短所として認識されることも多い。最初から大きなハンデを負った上で、女性は闘わなければならない。しかも、このハンデは「ないことになっている」のだ。実際には、男性はものすごく有利な条件で言論空間にいるのだが、腕相撲などとは異なり、言論であれば男女は対等なはずだということになっているし、おそらく、多くのひと(特に男性)が対等であると思っているのではないだろうか。(以前のニュースレター「平手打ちの正しくなさを指摘する前に」でも、これに関連したことを書いているので、よろしければ読んでみてほしい。)

 本当は同じ条件ではないのに「同じ条件で闘っている」ことにされているのだから、女性にとってネット空間で何かを書く(言う)ことは、腕を縛られたままボクシングをするようなものなのだ。発言は正しく理解されず、曲解されるし、発言内容ではない部分でいちゃもんをつけられる。こんなアンフェアなことはないよな、と思う。
 そして、残念ながら、いちゃもんは男性からだけではなく、女性からも寄せられる。とりわけフェミニズムに関連する話題については、「フェミニストのくせに」「そんなのはフェミニズムじゃない」「どこでフェミニズムを学んだんだろう」と、肝心の発言内容の何が問題なのかについてはろくに議論されず、《正しいフェミニスト選手権》《真のフェミニズム鑑定》が始まってしまう。実に馬鹿馬鹿しい。

 私は「男性に理解してもらうため」に書くことはしていないので、男性からの反発はある程度は予期できているし、「男性を変えよう!」みたいなモチベーションは基本的にない。いや、もう無理でしょ…みたいなのが多いから。ただ、女性には届いて欲しいことがある。でも、私の書いたことは私の書いた通りには読まれない。もちろん私の書き方に問題がある場合もあるのだろうが、「ええ!?なぜ、そう読まれた?」というような謎の引用RTがついていることもある。そういう時は「もっとこう書けば良かったのか?」などと考えるのだが、そもそも誰からも誤解されない文を書くのはそう簡単ではない。特に日本語は表現が曖昧になりがちなので、難しい。

 とはいえ、剣を振り回すわけにもいかないので、少しずつ言葉をつかってなんとかしていくしかないよね、と思いながら今回のニュースレターを書きました。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 まだ「書くこと」のリハビリ中な感じで、うまく文章がまとまらないのですが、少しずつペースを取り戻してニュースレターを発行できればと思います。

 では、また次回の配信でお会いしましょう🐸

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