何が性奴隷の需要を産みだすのか

性売買をめぐる問題についてはこれまでにも何度も書いているが、今回はシドハース・カーラの『性的人身取引』を読んで考えたことを中心に、女性差別と性売買の結びつきなどについて書きました。
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2024.08.17
誰でも

 とにかく毎日暑い…。エアコン嫌いで冷え性の私でもエアコンなしだと命の危険を感じるレベルの暑さ。そんな中、自宅からの一番の最寄りではないけど、駅からは近くて蔵書数が多い地元自治体の中央図書館を愛用している。やはり暑い時は、室内で読書するに限る。まぁ、寒かったら寒かったで部屋で読書したいし、良い気候のときも窓を開けて風を入れながら読書したいから、一年中、読書日和なのだが、今年は3月に誕生日プレゼントとして本をたくさん贈っていただいたこともあって、あれこれ読んでいる。小説に関しては、また、「おすすめ」の方で取り上げることとして、今回は性売買や人身取引について、本を読んで考えていることなどをまとめてみたい。

性売買とセックスワーク論

 いま、ちょうど読み始めた本は2024年5月に翻訳が出たキャスリン・バリーの『セクシュアリティの性売買―世界に広がる女性搾取』(井上太一訳・人文書院)なのだが、現在「北欧モデル」と呼ばれている「買春客」のみを取り締まり、「性売買当事者女性」のことは保護と支援の対象とするような性売買廃絶のための新しいモデルの原形を提唱している古典的著書(原著は1995年刊行)だということだ。「ということだ」と伝聞形で書いている通り、私は原著を読んでいないし、こうした著書があることも知らないできた。しかし、訳者によるあとがきを読むと、なんとなく私がこれまでに、このニュースレターやSNSなどで言ってきたことを裏付けてくれそうな予感がするので、少々取っつきにくい文体の本だが、頑張って読んでいこうと思う。

 私がこうしたテーマについて、これまでにも、ちょっとしつこいくらいに何度も取り上げてきている理由はいくつかある。まず、訳者の井上氏が書いている通り、日本においては「セックスワーク論」(注)が左翼やリベラル界隈でも主流である。それが、アカデミックな世界だけでなく、一般の市民運動層において、特に顕著になったのは(というか、私の観測範囲ではっきりと主流化したのは)、おそらく2015年の「おっぱい募金」騒動以降ではないかと思う。
 かく言う私も、一応、アカデミックな世界でのフェミニズム言説に触れる機会があったり、留学していたのが(性売買が合法である)ドイツであったり、色んな条件が重なって、セックスワーク論に傾いていた時期はある。2015年末の時点でも、私はセックスワーク論絶対否定派とまでは言えない立場だった。しかし、Twitterでたくさんの元当事者の女性たちの投稿を見たり、構造的な差別の問題をよくよく考えていけば、やはり「女に生まれること」と「性的搾取をされること」は地続きであることに思えるし、仮に「やりたくてやっている人」がいたところで、搾取の構造を温存していたら、「やりたくなくてもやらざるを得ない人」が被害に遭うことも間違いないと言えるし、そのような被害をある種の「自己責任」にしてしまいかねない言説が主流のままではいけないと強く思うようになった。
 また、SNSで様々な意見を見ていると、自分が思っていた以上に、男性と女性では「見えている世界が違う」ということがわかってきた。性交同意年齢に関する議論でも、女性が「性的自衛」の問題として捉えている一方で、比較的リベラルで良心的な男性たちでさえ、「性的自制」についての議論だと思っている様子だったことも衝撃だった。つまり、右派や保守と言われる人々とは別の方向で、左翼・リベラルの男性たちとも、女性は議論の前提を共有できてないということがよくわかった。そうなると、できるだけ色んな立場の女性たちが自分の言葉で「男性と女性では“性的なこと“に対するイメージも違うし、人生で最初の性的な接触にも大きな差があるし、そもそもセックスという行為についても全く別の現実を生きている」ことを語っていくしかないんじゃないか、と思うわけだ。

 その一方で、女性が性的な経験や性的なファンタジーを語ることには、常に一定のリスクが付き纏う。真剣に語っていても、その語り自体が「エロ」として消費されたり茶化されたりするし、性的なことをオープンに語る女性だからエロい話に耐性がある=セクハラOKと勘違いされたりもする。さらに、セックスに関して無闇矢鱈とオープンに語ることは、行為の相手のプライバシーの侵害になる可能性もある。どこで、誰に対して、どの程度話すのかの線引きは、他人からとやかく言われることではないはずだ。そういったことについても、「リベラル(左翼・フェミニスト)であるなら、性にもオープンであるべき」と思い込んでいそうな男性たちに理解してもらいたいと思っている。

注)「セックスワーク論」とは、手短に言うと、「売春」を「セックスワーク」と呼び、その他の職業と変わらない普通の「仕事」の一つであると再定義することで、当事者女性(セックスワーカー)に対する偏見や差別をなくしていくべき、という考え方。日本のセックスワーク論推進派の要求は、売春防止法の改正ないし撤廃と性売買の「非犯罪化」である、と言って差し支えないと思う。なお、性売買廃絶を訴えるフェミニストやその活動を「セックスフォビア(性嫌悪)」「セックスワーカーへの偏見を助長している」と批判することにも熱心である(「性的同意はお金で買えるのか」で取り上げたフラワーデモへのカウンターもそれに当たる)。

『性的人身取引』の現実

 8月になって最初に読んだ本は、シドハース・カーラ『性的人身取引―現代奴隷制というビジネスの内側』(山岡万里子訳・明石書店)だった。少し前から気になっていたのだが、読んだら落ち込みそう…という躊躇もあったし、実際に読んで見て、大いに凹んだのだが、一方でこうした本を書こうと思う男性がいることに希望も感じた。

 カーラの著書は、性的人身取引(性奴隷の売買とその搾取)の現場のルポと、この性的人身取引を「ビジネス」として経済学的に分析し、どうしたら性奴隷にされるという被害を減らしていくことができるかの具体的な提言から成っている。原著は2009年に刊行されているが、翻訳が出たのは2022年だ。こちらも訳者によるあとがきも含めて、非常に意義深い一冊だと思う。訳者あとがきでは、この十数年の世界情勢や日本における状況をまとめ、貧困問題と人身取引問題は切っても切れないことが再度確認されている。

 カーラは買春客になりすますことで、性奴隷が搾取されている現場に潜入しての取材を行い、また各地のシェルターで莫大な数の被害者たちに話を聞いているのだが、想像を絶する貧困と暴力、そして何よりも女性差別が、多くの被害者を生みだしていることがわかる。正直なところ、どんなことが書かれているのか薄々はわかっていたものの、読んでいて辛かった。特に、個人的なことで言うと、アルバニアの事例がキツかった。というのも、私にはゆる~くSNSで繋がっているアルバニア人(コソボ在住)の知人男性がいるからだ。彼とは、ドイツの語学学校で3週間ほど同じクラスで学んでいたことがあるだけで、それ以降は会ったことはないし、互いの近況もSNSを通じて多少知っている程度なのだが、なんというか…あの穏やかで優しかった人の周囲(というほどは近くないかもしれないけど)で、こんな女性差別が存在していたということが信じられない気持ちだった(カーラによると、アルバニアの慣習法において、女性とは「耐えるためにできた袋」だそうだ)。しかも、カーラの潜入取材は、私が彼と毎朝カフェテリアでサンドイッチを食べながら宿題の答え合わせをしたり、ココアを飲みながら好きなハードロックバンドの話をしたりしていた時期とかなり近いのだ。彼は、法律家としてすでに働いていたので、裕福な層に含まれるのだろうし、アルバニア共和国の出身ではないので、文化的な違いもあるかもしれない(アルバニアと異なり、コソボはユーゴスラビアの一員だったこともある。ちなみに、コソボ共和国は、2008年に独立を宣言しているが、当時はまだセルビア国内の「自治区」だった)。
 また、「セルビア人の言う“民主主義“なんてまやかしだ。」「自分は他の男性と比べると小柄で力もないから戦闘には参加してないけれど、そのことに後悔がある」といったことは話してくれたことがあったのも思い出す。「世界はどんどん悪くなっているように思えるし、私は神を信じてないよ」と悲観的な私に、それでも彼は「そんなことはないよ。世界は良くなるという希望を持つべきだ」と言ったのだ。うぅーん、マジで、やっぱり私は神を信じられないし、希望を持っていいのかわからなくなるよ…と思うし、戦闘行為が行われる場所では、必ずといっていいほど、女性に対する性的暴力が行使される。その時、彼はどうしていたのか、なんとも暗い気持ちになってしまう。さて、話を戻そう。

 シェルターでの取材は女性研究者でも可能だが、潜入取材は男性でなければ難しい。しかも、多くの場合、性売買には犯罪組織が関わっているため、取材であることがバレれば身の危険もある。そうしたリスクを背負いながら、突撃取材を繰り返す様子はスリリングでもあるし、カーラを応援しながら読んでしまう。しかし、結局、奴隷にされている当人が「逃げ出したい」と思わなければ、外側からできることがあまりに少ないという現実、そして、多くの性奴隷当事者は積極的に逃げようという気力を奪われているという現実が非常に重い。たいていの場合、性奴隷化された女性たちは最初に壮絶な強姦を繰り返し受けている。その上で、借金や故郷の家族の安全を持ち出され、暴力に晒され、酒と麻薬で感覚を鈍らされている上に、当該地域の警察は頼りにできない(警察が顧客であったり、買収されていたりする)という状況で、希望を持つことは可能だろうか?

性奴隷搾取と性売買産業

 ここまで読んでいて、「性奴隷」の話と「性売買」の話は別物でしょう?それをごっちゃにして語るのはミスリードでは?と思った人もいるかもしれない。しかし、「性売買」が行われる場があることは「性奴隷」の需要を増やし、結果として供給も増やす(被害者が増える)ということは、カーラの本を読んでもらえばわかると思う。そして、「自主的に」「選んで」性売買をしているという女性たちの「選んで」という言葉は、どのくらい文字通りに受取られるべきなのか、という問題についても考えなくてはならない。
 カーラによると、タイでは、「自ら選んで」性売買当事者となっている女性が多くいる。しかし、タイで主流のテーラワーダ派の仏教には、明確な女性差別があり、女性にとっては「現世で徳を積んで男性に生まれ変わること」が最善の道なのだ、という。そして、親の面倒を見るのが娘の務めとなれば、できる限り多く仕送りできる性売買を選ぶ女性(選ぶべきであるというプレッシャーをかけられる女性)たちがいるのも不思議ではない。
 なお、この「現世で徳を積みたい」という女性たちの思いは、タイの貧しい女性が代理母を引き受ける理由にもなっていることは、代理母についてのルポに書かれていた(日比野由利『ルポ 生殖ビジネス~世界で「出産」はどう商品化されているか』)。女性差別は、女性が進んで自らの身体を搾取に差し出すシステムを作り出す。(「代理出産の闇」も合わせて読んでくれると嬉しい)

 こうした「選択肢のない中での選択」は、もちろん、タイなどの外国だけの話ではない。たとえば、沖縄の未成年少女たちの支援活動なども行っている上間陽子さんも言及している(私が読んだのは、信田さよ子さんとの共著『言葉を失ったあとで』)。テーラワーダ仏教のような、明確に女性を劣位に置く記述がないどころか、男女平等を謳った憲法を持っているにもかかわらず、やはり日本は女性差別社会なのだと言わざるを得ない(ただし、上間さんの研究には、本土による沖縄差別の問題も含まれるので、その点については私は加害者側である)。
 他に選択肢がない場合、考え得る選択肢の中で「一番マシ」なものが性売買だった場合、そこに必要なのは「性売買の肯定」ではなく、女性たちが収入を得るための本当の意味での選択肢を増やすこと、女性差別の撤廃に向けて男性たちが変わることではないだろうか。

 カーラは、性的人身取引の撲滅のためには、「性奴隷の獲得・移送」「性奴隷の(所有者同士の)売買」の方ではなく、「性奴隷の搾取」の方にターゲットを絞って、性奴隷を持つことのリスクとコストが高い状況を作ることで性奴隷への需要を減らすことが効果的であると結論する。具体的には、性奴隷を所有すること・搾取をすることの厳罰化と捜査の徹底だ。現状、性奴隷はコストが低く(一度購入すれば、ほぼ無給で働かせることができるため)、莫大な利益を生み出す。さらに、捜査や罰則が甘いために、訴追される心配は低く、万一有罪になっても罰金は性奴隷産業の利益からすれば微々たる金額でしかない。これをひっくり返すという戦略をカーラは提案している。
 リスクが高くなれば、性奴隷の労働の値段(買春客から取る料金)を上げなければならなくなる。買春は、生活必需品ではないので、値段が上がれば、買えない客や買う頻度が下る客も当然出てくる。そうなると回転率が下り、一人の性奴隷から得られる利益も下るため、性奴隷を使うことの旨みは減っていく。客側の需要が減り、奴隷所有者からの需要も減っていけば、奴隷の供給も減っていく、という仕組みだ。これは、買春客の倫理観に全く期待していないからこそ、実現すれば実効性が高い方法だと言える。

 日本の巨大な性風俗産業のバックには、おそらく反社会的集団がいるし、ほんの数千円~で性が買えるという状況は何を意味しているか。そのほんの数千円からピンハネされた額でさえも、喉から手が出るほどほしい女性が存在しているということ、国内外から騙されて連れて来られた性奴隷が存在しているのではないかという疑い、社会福祉に繋がれない女性たちが多いということ…。セックスワーク論を支持している人たちは、そういった被害や社会の不公正をどう考えているのだろうか?そして、「性を売る権利」を訴えていれば、性売買当事者女性に対する偏見も差別もなくなると、本当に心から信じているのだろうか?「立派なお仕事です」と言いながら、安価に性が買えることに異論を唱えるわけでも、「風俗堕ち」「AV堕ち」的な表現を使う男性たちを熱心に批判するわけでもないのも不思議だ。

女性の脆弱性は個人の意志や選択の問題ではない

 私は、たとえ私と違う意見を持っていようと、私のことを心から嫌っていようと、女性として社会化されて生きてきた人たちは、誰であっても女性差別の被害者であり、フェミニズムによって救われるべきだと思っている。たとえ本人がアンチフェミであったとしても、それはまだフェミニズムに出会えていないだけで、アンチになってしまっていることでさえ、女性差別の結果なのだから。女性の間にも様々な階級があり、その経験も考え方も決して一枚岩ではないけれど、環境や社会の変化によって、真っ先に自由を奪われて搾取の対象とされるのは女性であることは、歴史(今現在進行中のものも含めて)が示している通りだ。
 ここ数年、「自分はどんなに貧しくなっても絶対に性産業には入らない。性売買の当事者になるくらいなら飢え死にする。その表明をすることは大事だ」という考えをSNSに投稿する人が出てきた。差別や搾取の問題を考える際には、自分も同じ立場になるかもしれないかどうかは、重要ではない。仮に自分は絶対にその立場になることがないという確信があっても、むしろ、その確信があるからこそ、その問題に対峙すべき側面があることは間違いない。
 しかし、性売買の問題に関しては、「私は売らない」という表明は、ある意味で当事者に「自己責任」を押し付けることになりはしないか、と少し危うさも感じている。カーラのルポを読んでいると、そう言えるのは、「選択肢のある女性」だけな気がするのだ。当の本人が「自分で性売買の世界に入った」と思っていても、それなりに稼げることに満足していたとしても、それが搾取だとは感じられなかったとしても、もし、もっと多くの選択肢があったなら、それでも同じ選択をしただろうか。また、性売買当事者になる女性たちの多くが、それ以前に強姦などの性被害に遭っているケースが多いことも考えると、それは個人の意思や選択として片づけられない社会的な問題として認識されるべきだろう。

 世の中のたいていのことは、無限の選択肢の中から自由に選べるわけではなく、限られた条件の中でベターを選ぶしかないことの方が、おそらく圧倒的に多い。性売買に関してのみ、「選択肢の無さ」をやたらと問題視するのは偏っていると言われるかもしれない。しかし、やはり男女の身体差(身長・体重・骨格・筋肉量など)や性行為におけるリスクの差を考えると、不特定多数の、「金を払えば性が買えるのが当たり前」だと思っている客を相手にすることは、他の選択以上に女性の心身を傷つける可能性が高いように見えるし、セックスには妊娠という結果が起り得る。妊娠した場合、それを継続するにしても中断するにしても、女性だけがその結果を引き受けざるを得ない。費用の問題もあるが、それ以上に、人間は他人と身体を取り換えられないのだから。
 妊娠が絶対に「自分事」にならない男性たちは、そのことの意味を軽く考えがちだ。「女性が性を売る権利」などという世迷い言を、性風俗産業の構造や女衒を批判する女性に向けてしまう左翼・リベラルの男性たちは、女体を消費することしか考えていないアンチフェミ男性のこともたくさん見ていて、それを批判もしてきているはずだ。それなのに、アンチフェミ男性であっても買春客になっている間だけは、「セックスワーカー」女性の主体性を尊重できる人間に変身すると信じているかのように、性売買における男性たちの責任を完全に透明化し、「性売買当事者女性の自己決定権」にだけスポットを当てる言説に平気で乗れてしまうのは、やはり身体的な感覚に大きな差があるからなのではないかと思える。

 「性的同意はお金で買えるのか」というニュースレターを書いた時に、私は、性風俗が当たり前に存在する社会=性的同意がお金で買える社会においては、性売買は当事者女性だけではなく、すべての女性の(性)生活に影響を与えるということにも言及しているのだが、それはさらに確信に近いものになった。すでに、AVやエロ漫画に触発されたらしき性行為を求める男性がいることは、しばしば話題になっている。そして、日本語文化圏においては特に、「エロ」コンテンツとして提示されているものが、かなりの割合で、エロティックな行為ではなく、「暴力」や「恥辱」行為であることも、女性たちから問題視されてきているように思う。そういった女性を貶め辱めることを性的欲求と結びつけるコンテンツが、現実に生きる生身の身体である女性たちにどれほど大きな影響を与えているか、それについても男性たちの認識は甘すぎるように思う。

 個々人は全能ではないのだから、分からないことや理解できないことがあるのは、当然のことだが、「女性の身体に関わること」「女性の性にまつわること」になると、どういうわけか、当の女性よりも訳知り顔でごちゃごちゃ言いだす男性が出てくるので、厚かましいな~と思っている。
 もし、私が「金玉蹴られるのなんてお産に比べたら全然痛くないんだから大袈裟」とか言ったら怒るでしょ?「お前、金玉ないじゃん!」だし、「お産も経験してないじゃん!」って思うでしょ?そう思うのが当然だと思うし、私は金玉の痛みはわからないので、「全然痛くない」とか「大袈裟」とか言わないし、思っていない。ちなみに、女性は金玉がないから股間が急所にならないと思っている男性がいるかもしれないので言っておくが、股間は皮膚が薄くてすぐ骨があるから、女性も股間を蹴られたら相当痛いです(蹴られたわけではなく、湯船をまたぐ時に転けて痛打したことがある)。玉蹴りの痛さとは別種のものだろうけどね。

最後に

 さて、私が次に読む予定の本は、モニーク・ヴィラ『現代の奴隷―身近にひそむ人身取引ビジネスの真実と私たちにできること』(英治出版)。性的搾取以外の搾取労働の問題を扱っている部分が多そうだが、共通する問題を扱っていて、カーラの本と同じく、山岡万里子さんの訳だ。2024年現在、私のような面倒くさがりな人間であっても、ちょっと検索して図書館にリクエストすれば、こうしたテーマの本はいくつも読むことができる。図書館も予算が不足しているからか、以前よりはリクエストしても購入ではなく、他の自治体からの「協力」によっての貸し出しということも増えたように思うが、それでもまずは無料で情報にアクセスできるというのはありがたい。

 「性売買」については、今は意見にグラデーションがあっても仕方がないだろうと思う。性売買の当事者による肯定的な発信などもあることから、立場を明確にしがたい人もいるだろう。今すぐに態度表明をしなければならないとも思わない。しかし、「性奴隷」に関しては、おおっぴらに肯定できるひとは少ないだろうと思う。内心では、「オンナなんか性奴隷で充分」と思っている男性もいるだろうが、表明すればかなりの批判を受けることは確実だ(でも、「批判を受ける」だけで、別に職を失ったりはしなそう…。女性が「男性も体臭ケアをしてほしい」と言ったら契約解除になるのにね)。であるなら、まずは性的人身取引、性奴隷ビジネスについて、少しでも知ろうとしていこうよ、と言いたい。私もまだまだ知らないことの方が多い。世界の様々な場所で、貧困の中で「女性に生まれた」というただそれだけの理由で、性奴隷として売られる少女たちがいる。そして、その少女たちを買う男たちがいるということ。性奴隷の存在が性売買ビジネスには欠かせなくなっている現状を知って、その上で、それでもなお「セックスワーク イズ ワーク」と言えるかどうか、もう一度考えてもらいたい。

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 予定では「お盆休みは図書館を活用していこう!」的なノリのニュースレターを書くつもりだったのですが、『性的人身取引』が衝撃的すぎて、結果的にこんな感じになりました。しかも、お盆休みに間に合わなかった…。で、「衝撃的」と書きましたが、その一方で、どこかで「そうじゃないかと思っていた」「知っていた」という感覚もありました。断片的な情報や身近な経験(駅前で男性にだけビラを渡す「エステ」の存在とか)、そして、元当事者の女性たちの発信から推察できる範囲で考えていたことが、膨大な数の被害者女性の証言によって裏付けられてしまった、というか。しかし、悄気てばかりもいられないので、とりあえずはアウトプットすることにしました。
 世の中には、取り組まなければならない問題が山積みで、何を優先するかは個々人に委ねられてはいるものの、そうやって「後回し」にされ続ける問題のひとつが、性的人身取引なのだろうと思います。そして、女性差別という古くから続く問題と新自由主義という比較的新しい経済システムが最悪の形で結託していることで、この問題は今後もよほどのことがない限り、後回しにされ続ける可能性が高いので、「よほどのこと」を起こすためにも、多くの人が現状を知る必要があるのではないかと思います。

では、また次回の配信でお会いしましょう。

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