カエルのおすすめ:『燕は戻ってこない』『夏物語』
少し前に『燕は戻ってこない』のドラマが完結し、SNSなどで話題になっていた。私はテレビを持っていないこともあって、このドラマをまだ観られていない。原作を読んだ上で観たひとにも好評のようだし、機会があれば是非観てみたいと思っているのだが、今回はドラマの原作である桐野夏生の小説と「生殖補助医療」を別の観点から扱っている川上未映子の『夏物語』を合わせておすすめしたい。
『燕は戻ってこない』
桐野夏生『燕は戻ってこない』は、経済的な理由から裕福な夫婦(草桶夫妻)の代理母を引き受けることになる29歳の女性(リキ)の物語だ。非正規雇用ゆえの「将来の見えなさ」やダブルワークなどの貧困問題や生殖補助医療の危うさ、性と生殖における女性の(女性だけが背負わされる)リスクについて、様々な立場の(主に)女性キャラクターたちによって語られていく。
もちろん全てのキャラクターがそれを自覚的に語っているわけではない。現実社会でも、誰もが全ての物事にいちいち見解を持っているわけではないものの、ふとした言動にその人の思考は反映される。当人にその気がなくとも、「女性のことを見下しているんだな」とわかる発言とか態度とか、まぁ、女性に生まれたらそういう男性と遭遇する機会には事欠かないし、それを近しい男性に話して「気にし過ぎず」扱いされた経験がゼロという人はかなり稀なんではないかと思う。と、少し脱線したが、『日没』でも思ったが、桐野夏生は「人間を描く」ことがやはりうまい。
「子無しの夫婦として生きていこう」と納得したはずなのに、代理母出産という可能性が見えてきたことで妻そっちのけで“自分の遺伝子を持つ子ども“に拘る夫(基)、明らかに対等ではない関係に違和感を覚えつつも代理母を引き受けるリキ、そしてその2人に対する妻(悠子)の複雑な心情(とその変化)、悠子の友だちで男嫌いの春画家(りりこ)の言動の極端さと人懐こさのバランスなどがとても良い。
そして、やはりどう頑張っても「妊娠・出産」が自分事には成りえない男性との間の埋められない溝の描き方も見事だ。男性には、「どう逆立ちしても自分たちにはわからないことがあるのだ」ということを噛みしめながら読んでもらいたい(念のために言うが、「わからない」から「わからなくていい」ということではなく、「わからないことを自覚した上で女性の話を聞け」ということである)。悠子が経済的にも文化的にも全く異質な存在であるリキに見せる「共感」は、まったく別の方向からとはいえ、「妊娠・出産」の当事者になった者だからこそ湧いてくる感情だろう。「自分も当事者だ」と思っている基の言動には、赤の他人である女性の身体を利用することへの躊躇がない。不妊治療の当事者ではあっても、女性と男性で「当事者」としてのあり方には大きな不均衡がある。そもそも「性や生殖」に関して、両者の当事者性は異なる。そのことについても、草桶夫妻の会話、夫妻とリキのやりとり、"セラピスト"(女性向け風俗の男性従事者)のダイキとリキの関係など、様々な形で提示されている。
およそ10年前に(正確には、連載開始が2011年、書籍化されたのは2016年)、桐野夏生は『バラカ』という小説にドバイの「赤ん坊市場」で子どもを買う女性を登場させ、人身売買の問題に触れている。『バラカ』はそれをメインテーマとした物語ではないし、ここで引きあいに出すのは適切ではないかもしれないが、子どもが欲しくて買う女性を描いた桐野が、子どもが欲しくて代理母を買う夫婦を描いたこと、そして、その人身売買の現場がドバイという遠い異国ではなく日本国内であるということは、貧富の差が広がる今の日本社会を考えると必然であるかもしれない。
『夏物語』
川上未映子『夏物語』は、小説家を目指して大阪から上京した夏子の物語だ。38歳で「自分の子どもに会いたい」と思うものの、相手がいない夏子は精子提供を検討し始めるのだが、精子提供で生まれた当事者たちと知りあい、様々に思いを巡らせる。
『夏物語』は、夏子が語り手となる一人称の小説なのだが、最初の方では姪っ子の書いた日記のようなものが挿入されていたり、語りがいつの間にか夏子の脳内での想像(妄想?夢?)になっていたりもするところが面白い。夏子が小説家だという設定も、こういう彼女の想像力や観察力があってこそ、文筆活動で収入が得られているのだろうな、と感じさせるし、「何かを生みだす」という意味において創作と出産の類似というものも意識されていると思う。
夏子の姉である舞子と姪の緑子、編集者の女性、売れっ子作家の女性、精子提供で生まれた当事者女性…と様々な女性たちが登場するが、みんなそれぞれに女性であることの痛みを抱えて生きている。その痛みを誰となら分かち合えるのか、分かち合うことに意味があるのか、そもそも命とはなんなのか?そういったことが、時には軽やかに、時にはずしんと響く言葉で綴られている。100%の共感はできないにしても、「女性であれば知っている痛み」との向き合い方、突き放し方に、「わかる」と深く頷きたくなる瞬間がきっとあるだろうと思う。
私には、夏子の気持ちは感覚としてわからない部分が多い(私は子どもを産みたいと思ったことがないので)。でも、そう感じる女性がいることは理解できるし、また、それとは正反対の考え方を持つ女性がいることも理解はできる。また、「頭ではわかっているつもりでも、別の行動を取ってしまうこともある」というどうしようもない人間の現実についても、川上の視線は優しいように思う。
福音であり呪いでもある技術
今回取り上げたどちらの小説も、女性作家だからこそ書ける視点で描かれていると感じる。文体としては、『燕は戻ってこない』の方が癖が少なめで会話が多いので読みやすい気がするが、『夏物語』の部分的に関西弁の混ざる、ゆらゆらと現実と空想と回想と夢が重なり合うような描写もそれ自体がとても魅力的だ。どちらも是非読んでほしいと思う。
また、両方を読んでみると、「妊娠・出産を選ばされるリキ」と「自分ひとりで子どもを産むかどうか選択する夏子」では、同じ生殖補助医療の持つ意味が全く異なるということについても、考えさせられる。
人工授精という技術は、夏子にとっては福音だが、別の誰かにとっては、ある意味で呪いではないだろうか。貧困ゆえに「母体」として自分を売る決断を迫られるリキにとってだけでなく、「子宝に恵まれなかったのだから諦めるしかない」で終われなかった悠子にとっても。いずれにしても、子どもを産むか産まないかを決めるのは、その身体を使う本人でなければならないと強く思うし、あらゆる技術の進歩には「間違い」もついて回るということは否定できないと思う。生殖補助医療に関しても、女性の権利を守り、心身の安全を守る為にも、きちんとしたガイドラインが作られる必要があるだろう。
と、あれこれ考えてしまうのは、私がもともとこのテーマに強く関心を寄せているからではあるのだが、どちらも小説として面白いので、強くおすすめしたい。
最後に、『燕は戻ってこない』の文庫判の解説者の鈴木涼美さんは「いくら買い主が、あるいは本人までもがセックスの道具になりきることを望んでも、所詮女はモノになれない。痛覚や体温は消えず、思考や嗜好も捨てられない。(集英社文庫版、469ページから引用)」と書いているが、私にはこの物語は全く逆のことを言っているように思える。痛覚や体温があり、思考や嗜好を持つ人間であるにも関わらず、女性は常に「穴と袋」としてモノ化されてきたし、ほんのちょっとした環境の違い、ボタンの掛け違い程度のことで「女性をモノにする業界」に入れる入り口がそこら中で待ちかまえている。
性売買が「援助交際」や「パパ活」のようにカジュアルに表現され、JKやJSのような隠語が一般人にも通じる「普通の日本語」になってしまっているし、リベラル政党の候補者が替え歌を歌えばほとんどの人が元ネタが分かるほどに白昼堂々と風俗求人カーが繁華街を走っているし、AV強要問題が初めて取り上げられて以来、その後も断続的に被害が報じられ続けている。穴として女性を搾取するためのトラップが張り巡らされている社会だと言っていい。そこに、今度は生殖補助医療が加わろうとしているように見える。これまでは家庭内に留められていた「袋としての搾取」が、ついに家庭外に持ち出されてビジネスになろうとしている。いや、すでになっていると言っていいのだろう。
だからこそ、リキの「契約違反行為」は、私には一種の自傷行為に見える。性的に傷ついた女性が自分を性的にさらに傷つける行為に走ってしまうことがあるというのは、最近はだいぶ知られるようになってきたと思う。その行為は鈴木氏の言うような「自分の身体はモノとして取引できないことの確認」には成り得ないのではないだろうか。
私は「穴としての女性搾取」=性産業は無くしていくべきだと考えているし、「袋としての女性搾取」も認めてはいけないと思っている。私のような主張は、いわゆるリベラルとされる人からも批判されがちだ。しかし、「主体的な選択」に見せかける(当人にさえそう錯覚させる)巧妙な罠が幾重にも仕掛けられていることから目を背けたままで、先進的でリベラルなフリをするくらいなら、保守的と言われようと、私は女性搾取に明確に反対する方を選びたい。残念ながら、私はそこまで他人のことも自分のことも騙すのが得意ではないのだ。
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
派手にネタバレせずに書くのはなかなか難しくて苦戦してしまいましたが、どちらの作品にもピンポイントで好きな台詞とか好きな場面がたくさんあります。すでに読んでる人と語り合いたいです。
これまでにも、このニュースレターでは、生殖補助医療や女性にとっての「妊娠・出産」を何度かテーマにしてきています。「代理出産の闇」では、そのものズバリ、代理母出産に明確に反対する理由を書き、「産まない生を生きる選択」では、“女性が自分事として背負わされるもの“としての妊娠(出産)について扱いました。さらに、最近では「性と生殖は分けて語りたい」で、出産を希望しない女性たちによる子宮摘出手術を受ける権利を求める裁判を巡って“母性神話と子宮の有無の関係“などを自分なりに考えてみています。よろしければ、目を通してみてください。
なお、『夏物語』はAmazonのほしいものリストから読者の方に送っていただいた本で、本当はもっとめちゃくちゃネタバレしながら好きな個所とか「あいつキモいよね」とかそういう話をしたいです。遊佐につっこまれる男性作家の発言とか、微妙に自分の職場にいる年輩男性を思い出してしまって「うおぉぉぉぉ私もいつか何か言ってやらなくちゃ」とイメトレに励んでいます。
ここ最近は、小説よりもフェミニズム系の本を読むことが多かったのですが、今は「フェミニズム的な小説」を読みたいフェーズなので、今後もまた読んだ本の感想なども配信していきたいです。
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