マスクとまなざしの性差
マスクは下着と同じ?
対人接触が多い仕事をしているので、男女問わずにマスクを着用することに消極的な人がいることはよく知っているが、しかし、それでも、人が多く集まる場でマスクをきちんと着用していないひとは、圧倒的に男性に多いというのが実感である。特に、2022年の夏頃から、なんとなく「そろそろコロナも終わりでしょ」みたいな気分が高まったようで、マスクを外したままのひとを見かける機会が増えた。また、なぜか、ノーマスクのひとに限って、大あくびをしたり、咳払いをしたり、なんなら咳をしていたりすることもあって驚くのだが、思い返してみると、コロナ以前から、人前でなんの躊躇もなく大あくびをするのは、やはり圧倒的に男性に多かった。女性はあくびをする際には口元を隠すことが多いように思う。眠くてあくびが出てしまうということに男女差はないと思うのだが、そこであくびをしている(ある種無防備な)顔を他人に晒すことへの忌避感には大きな男女差が見られる。やはり、ここにも「女性は美しくあるべき」「女性が大口を開けているところを他人に見せるべきではない」という規範が関わってきているのだろうと思うが、それは、女は「見られる」ことを意識させられるのに対し、男は「見られる」ことを意識しないで済むということであり、もっと言うならば、男は「見る」存在であって、「見られる」存在ではないということではないか。
毎日新聞(2023年2月11日)に「下着と同じという人も 脱マスク、広がるのはGWごろ? その心理」という記事が出ていた。これといった科学的根拠があるとも思えない「脱マスク」、それがいつごろ広がるのか、などという記事を大手メディアがなんの注釈もなしに載せてしまうことにも吃驚なのだが、それに加えて、またしても「顔パンツ」などという馬鹿ワードを使っているあたりにもゲンナリした(しかも、もともとは「顔パンツ」という単語が入ったタイトルだったらしいが、私が確認した時には差し替えられていた)。以下にリンクを貼る。
まず、下着は他人に見せるものではないので、他人の視界に入りまくるマスクを下着に例えるというのが気持ち悪いと感じるのだが、本当に若者たちの間で「顔パンツ」なる単語は用いられているのだろうか?これまでに「顔パンツ」という単語に出会った場面では、だいたい「若い世代(とくに女性)」がマスク生活に慣れたことで「外すと恥ずかしい」から「下着のような感覚になっている」といったことが言われていたのだが、それは「普段化粧をしている顔を見られているから、すっぴんを見られることには抵抗がある」とかそういった類いのものであって、「下着を脱ぐのは恥ずかしい〜」とはまるで別物だと思う。そもそも、人前で下着を脱ぐというシチュエーションはかなり限定的であり、わざわざマスクを外すことを「"下着と同じで"恥ずかしい」なんて考えるだろうか?という疑問もある。なんというか、むしろ、マスクを外したくないという若い女性たちの姿を「下着を脱がされそうになって恥じらう乙女」に男性たちが勝手に脳内変換してるだけなんでは?と疑いたくなる。
さすがに男性を疑い過ぎだと言われるかもしれないが、女性に関わるものは、生理用品も婦人科の内診台も防寒衣料であるタイツもショルダーバッグの斜め掛けも、全て「エロ」として消費しようとする男性が残念ながら決して少数派ではない日本である。3年間も女性たちがマスクを着けている姿を見慣れる生活してきたのだから、次はマスクをどうにかエロと接続させてやろうと、創意工夫をこらさないはずがない(女性の使用済みマスクを買いたがる男はすでにいるらしいし)。そのくらい、日本社会は女性を「エロい肉塊」として消費することへの執着だけはずば抜けているということを、そろそろ「良心的な男性」にも気付いて欲しいものだし、それをきちんと男性の立場から批判してもらいたいものである。「俺は違う!」とかこっちに牙剥いてんじゃないよ、役立たずが。
さて、毎日新聞の記事に戻ろう。記事に登場する桜美林大学の山口創教授は、コロナ禍前に調査した「女子学生がコンプレックスを感じる顔の部位」の結果なども踏まえて指摘する。
「女性は男性よりも『見られる』ことを意識します。恥ずかしいと感じている場所を、ちょうどマスクが覆い隠しているんですね」
この発言からも、おそらく「顔パンツ」は主として女子学生(女子生徒)と結びつけられているように見える。まぁ、男子だって、コンプレックスを感じる顔の部位に関してはけっこう似たような結果が出るような気もするので、男子学生にも同じ調査してみたら良いと思うのだが、その辺りの不均衡はこの教授も毎日新聞も特に気にならないらしい。「女性は男性よりも『見られる』ことを意識」するというのは、裏返せば「男性は女性ほど『見られる』ことを意識しない」ということだ。この差はどこからくるのか。紙面の都合上、この記事ではそういったことはとりあえず脇に置かざるを得ないにしても、「コンプレックスを覆う顔パンツ」などと小見出しをつける毎日新聞のセンスとデリカシーの無さにも呆れる。その無神経っぷりにコンプレックスを感じて欲しいくらいなのだが、毎日新聞的には、むしろ、堅苦しくないカジュアルな表現くらいに思っていそうな気もして心配だ。
女性の方が「見られる」ことを気にさせられるのは事実である。その上で、こういう言説がはびこると、単に感染症対策や花粉症対策でマスクをし続けている女性が、コンプレックスがあって顔を覆っておきたいと思っていると見なされることに繋がるし、「お前の顔なんか誰も気にしてねーよ」と逆に馬鹿にされるかもしれない…などということまで気にする女性が出てきてもおかしくないのだ。
そもそも問題として、この山口教授だけでなく、"マスクを外すことに抵抗を覚える心理"をあれこれと分析している人たちが、マスクを外したくない理由に「感染症が怖い」があるかもしれない点をガン無視していることにいつも驚く。私個人は、マスクがない方がコミュニケーションの上で便利なこともあるのを知っているが、コロナは空気感染が主な感染ルートであるとされているので、別に顔を隠したい理由がなかろうとマスクをする。私がマスクを外すのは、感染のリスクがかなり下ってからだ。
もちろん、若者と中年ではコロナ禍の長さが人生に占める割合が大きく異なるので、脱マスクする際の心理にも差が出てくるだろうという気はする。たとえ感染のリスクが低くなったとしても、周囲がマスクを続けていたら、「ひとりだけマスクを外していると顔を見せたがっている(自分のルックスがいいと思っている)と思われるかもしれないから恥ずかしい」と感じたりもするのかなぁと思うし、コロナ以前にも(おそらくアレルギーかなにかで)一年中マスクをしているひともいたので、マスクを着用しているひとに対する変な圧力がかからないような配慮も欠かせない。そういう意味で、コロナ禍が本当に過ぎ去る頃にはある種の脱マスクセラピー的なものも必要なのかもしれないが、現時点で「マスク無しで生活することが良きことである」という前提で話を進めているのは非科学的なので、むしろ科学的根拠もないのにやたらとマスクを外したがる(他人にも外させたがる)人々の心理の方を研究した方がよいのではないだろうか。2023年の1月は、この3年間でもっともコロナ関連死者数が多かったのである。コロナは終息していないし、検査体制は相変わらず脆弱で、陽性でも入院できなければ抗ウィルス剤の処方も受けられないのが現状である。この状況下で、マスクを外したくない人の心理は分析するのに、マスクを外したい人の心理は分析する必要がないと思うのは何故なのか?不思議で仕方がない。
マスク生活とコミュニケーションの質
さらに、記事には次のような記述もある。
山口教授はマスク生活が続いたことで、「感情をあまり見せない浅いコミュニケーションでやってきた。それが普通になりました」と指摘する。
マスクは確かに「表情」を覆ってしまうというデメリットがある。特に音声言語でコミュニケーションをすることが難しいハンデのあるひとたちにとって、口元や表情が隠されてしまうことは意思疎通を非常に困難にしていることは間違いないだろう。しかし、マスクで顔が覆われていることは、そのまま「感情をあまり見せない」「浅いコミュニケーション」になるのだろうか?そして、マスクをする前の日本社会では「感情を見せる」「深いコミュニケーション」が一般的であっただろうか?むしろ、表情が見えない(見えにくい)ことで、言語として表現する必要性が高まったことは、なんとなく曖昧に済ませがちな日本社会におけるコミュニケーションに新風を吹き入れた可能性だってあるのではないか。
私はもともと比較的ジェスチャーが大きい方ではあるが、マスク生活になったことで、より身振り手振りを使うようになった気もするし、別にコミュニケーションが浅くなったという感覚はない。特に、コロナ禍が始まった2020年は、誰もが初めての状況に困惑しつつも、だからこそ、丁寧にコミュニケーションを取ろうという双方向の努力もあって、それ以前よりも仕事の上での連絡は密になった感覚さえあった。もしかすると、「飲み会」「親睦会」という場を設けて、アルコールの力を借りて普段はそれなりに押さえているパワハラセクハラ欲を発散してなんとなくコミュニケーションを取った気分になって、それが「感情を見せる」ことであり、「深いコミュニケーション」だと勘違いしている中年男性がそこそこ存在するのかもしれない。あるいは、多くの女性がトラブルを避けるために、男性に対して愛想よく笑顔で接しているのを見慣れてきた男性たちからすると、マスクで女性の口元が見えない=笑顔が見えないことで、愛想よくされている実感が湧かないことに無意識のうちに不満(物足りなさ、と言ってもいいかも)を覚えているという可能性もあるように思う。実際のところ、マスクをつけてのコミュニケーションに否定的なのは、女性よりも男性に偏っているように見えるが、どうだろうか?
小学校などの「黙食」にしても、別に特別仲がよくて話がしたいわけでもない、たまたま席が近いだけの同級生と「班」を組まされて、一緒に給食を食べなければいけないというのが、「子どもたちから奪われてしまった大切な時間」のように扱われるのが気持ち悪いのだが、マスク生活におけるコミュニケーションをやたらネガティブに見ようとする言説にも似たような違和感を覚える。ひとりで給食を食べるのが「当たり前」になれば、それだけで気持ちが楽になる子どもだって間違いなく存在している。わいわいしたい子どもは、給食が終わってから友達とわいわいすればよいのだから、黙食の習慣はむしろ続けたらいいとさえ思ってしまう。
2010年代に入った頃、「大学でひとりで昼ご飯を食べているのが恥ずかしいから、トイレの個室で食べる学生がいる」という話を聞いたことがある。実際に、トイレで食べていたという人を直接には知らないので、単なる噂話に過ぎないのだが、もし、それほどまでに「おひとりさま」が恥ずかしいことだと思ってしまう学生がいたのなら、それはやはり子どもの頃からの「班で、みんなで、食べましょう」の弊害ではないかと思う。
「はやくマスクを外させてあげたい」とか「机をつけて一緒に給食を食べる経験をさせてあげたい」とかコロナ前に戻すことばかりを焦るのではなく、コロナ禍を機にこれまで当たり前とされてきたことのデメリットにも目を向けてみた方がよいのではないだろうか。
まなざし村から
私が毎日新聞の記事を読んで、「なんだろうか、この引っ掛かりは…」とあれこれ考えている時に、ふと「まなざし村」という単語のことを思い出したので、そのことについて少し書いておこうと思う。
Twitterにおいては、私の観測範囲に限っても7年か8年くらいは「女性を性的にまなざすこと」を巡る議論というのは続いている。「まなざし」という名詞はともかく、「まなざす」という動詞が用いられるようになったのは、おそらく比較的最近のことで、すでに述べたように「男性が女性を本人の意志とは無関係に性的な対象としてモノ化して見る」ことを指して使われることが多かった。そのため、2016年〜2017年頃には(当時はまだそれほど数が多くはなかった)アンチフェミ勢が「まなざし村」というタグを作って、フェミニストたちを小馬鹿にしていたのである。(この「まなざす」という言葉は、仏語のregarderの英訳gazeをさらに和訳したものだとどこかで読んだのだが、出典が思い出せないので、誰が知っていたら教えて欲しい…。)
ここ数年、「まなざし村」というタグは見かけなくなったものの、萌え絵広告炎上案件なども結局のところはこの「まなざし」問題に関わることなので、女性たちの指摘は理解されないままなことがわかる。その原因としては、日本社会においては「女性を性的にまなざすこと」が当たり前になりすぎていることも挙げられると思う。女性を性的なモノとして扱うことが当たり前のこと過ぎて、「性的なまなざしを向けない」方法がわからなくなっている男性が少なくないようにさえ見える。だからこそ、性的にまなざすなと言うなら恋愛もできないじゃないかー!とか少子化が加速するー!とか頓珍漢なことを言い出すのだろう。
まず、所構わず、手当たり次第に女性を性的にまなざさなくても恋愛はできるのである。それなりの手順を踏んで、女性と親しくなって、相手の合意をとって性的な関係を結ぶことは誰も否定していない(相手が未成年の女性の場合はまた話が別だが、今回は割愛する)。広告炎上案件で問題とされているのは、女性を性的な対象として描いたもの、性的な記号を盛り込んで表現したものを、公共空間に開陳していることである。「特定の女性と恋愛をして、性的な関係になる」ことと「女性を性的に表現したものをゾーニングする」ことは別の話であり、普通に両立が可能だ。ところが、「まなざし村」批判をする男性は、ここをごっちゃにして、「女を性的に見てはいけない」=「女と恋愛できない」と解釈して、その上で「そうなったら困るのは女の方だぞ」などと言い出す。そんなアホが恋愛できなくなったところで、女性は別に困らないよ…と思うが、彼らは「性欲があるから男は女に親切にしているんだ」と言いたがる。うーん…性欲に振り回されてかわいそうだね、と思わなくもないが、自分のことを「性欲でしか親切にできないクズである」と宣言してでも、性的オブジェクトとしての女体をそこら中に開陳する自由を主張したいという熱意は謎である。自らをそこまで貶めてでも、エロを開陳しておきたい!女の意見で社会が変わるのが気に入らない!という男性は、Twitter上ではそれなりにお見かけするので、女性を、個性と意志を持った個人としてではなく、性的なオブジェクトとしてしか認識したくない男性というのは珍しいものではないようだ。そして、彼らの多くは、とりたてて「女性差別的」なつもりもないし、本気で「でも、女体がそこにあったら、ついつい性的にジャッジしちゃうもんじゃん、それが男の性(さが)ってもんでしょ」くらいに思っているので、話が通じないのである。
最近読んだ生物学者へのインタビューによると、性欲の多寡にはやはり生得的にも性差があるということらしい。女性を性的にまなざすことを正当化しようとする男性たちが喜びそうな話ではある。「ほら、やっぱり本能なんだから、仕方がないんだ」と。しかし、「生得的にそういう性質がある」ということは、その運命から逃れられないということではないし、理性で自分の行動をコントロールするべきだ、という結論になるだけで、「男の方が性欲が強いんだから、女を性的にまなざしてジャッジするのは本能だから変えられない」わけではない。いくら食欲が旺盛だったとしても、職場の会議中に突然弁当を食べたりしないし、電車内で便意を催したからといって、その場で排泄はしない(うっかり出てしまう事故はあるかもしれないけど)。生物として必要な行動(食べる・排泄する)であっても、人間は自分の行動をコントロールして社会生活を送っているのである。性欲に関わる話でもそれは同じである。
男の方が生まれつき性欲が強いのだから、それを我慢するのは大変なんだ!と被害者ぶる発言も出てくることがあるが、そこまで深刻であるなら、性欲を抑制する薬などがもっと普及していても良さそうなものだ。しかし、男性中心社会には「女を欲望してこそ真の男」という規範もあるので、男の性欲は一向に抑制されないし、男の性欲を満たすためのコンテンツは大量に生産されている。そして、その大量のコンテンツに接していることで、男性の性欲がますます刺激されることになっているようにさえ見える。ポルノや風俗がなければ性犯罪が増加する!と言いたがる男性も多いが、実際には、ポルノが男性の性的な欲求を刺激している面は否めない(ポルノで見たプレイをしたがる男性については性産業従事者の女性たちもよくツイートしている)し、風俗のような「金で性欲処理をさせることができる女性」を供給する産業の存在が、従事者を含む全ての女性たちに「いざとなれば風俗で働けばいいのだから女はイージー」などのイメージを押し付けることになっている。実際には、性産業は「イージー」でもなければ「誰でも稼げる」ものでもないことは、当事者に取材した本などを読んでも明らかであるにもかかわらず、男性たちは「女は楽でいいよなぁ〜」と勘違いをしているのだ。そして、それが勘違いであることを女性たちから指摘されても、なぜか「女の方が間違っている」「自分の方がわかっている」と頑なに言い張る…という光景が、見飽きるほど繰り返されている。彼らの現実を見ないための努力の前に、女性に出来ることがあるのか?と途方に暮れるが、まぁ、それでも少しずつ社会は変わっているようにも思うので、出来るときに出来る範囲で問題を指摘していこうね、と思う。
今回のホルガ村カエル通信は以上です。
前回と今回、続けて新聞記事をネタにしているんですが、いちから文章を書くよりも誰かの文章の粗を探して批判する方がずっと簡単なので、そういう単なるあら探しになってしまっていないか、その点には気をつけたいなと改めて思っているところです。
現在、本も数冊並行して読んでいるのですが、インプットすればするほど「まだまだ勉強不足で言えることが少ない」となるターンに突入しているかんじで、今後もスローペースでの配信になりそうですが、感想ツイートやシェア拡散などもしていただければ嬉しいです。
本文中で触れた進化生物学者へのインタビュー記事は、有料コンテンツなのですが、以下にリンクを貼っておきます。
また、風俗産業の従事者に取材した本というのは、中村淳彦の『日本の風俗嬢』という新書で新潮社から2014年に出ている本です。著者は「風俗は誰でも稼げる業界じゃないんだから、この業界を自ら選んで努力した嬢しか稼げないのだ」と自己決定権の話として記述しているようなのですが、読めば読むほど、「やっぱり"好きで""選んで"やっている」の内実は「稼ぐため」であって、女性が稼げる仕事から閉め出されている、女性の貧困が深刻化している、社会保障が脆弱すぎる証拠の積み上げになっている、という本だったので、関心のある方は目を通してみてもよいかもしれないです。
客体化された女性に関連する「表現物における女性」については過去のニュースレター「女性の身体は記号の集積ではない」や「聞け、我が咆哮を」なんかでも扱っているので、よろしければ合わせて読んでみてください。
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