イケメンは暴力的なのか

非モテ自認男性からすると「女性を独り占めする」イケメンってのはそれだけで暴力的なのかもしれないけどさ…
珈音(ケロル・ダンヴァース) 2021.10.22
誰でも

 よく自称「非モテ」男性が「女は暴力的なイケメンが好き」と言うが、個人的に「暴力的なイケメン」を好んだことがなく、周囲にも「暴力的なイケメン」に冷たくあしらわれた系の女性がいないので、あのイメージは一体どこからくるのか?という大変どうでも良いことを考えてみる。

非モテ女子のミソジニー

 社会の構造や性差による傾向について語る際に、私個人の経験というのを大きく見積もっても意味がないのだが、まずは個人的な話から始めたい。
 私は小学生の頃から「話していて面白いと思う相手」を好きだと思う傾向が強かったので、顔面で誰かを好きになったということがほぼない。とはいえ、割と明確に「好きな顔面」はあるので、「ああ、この人の顔が好きだなー」というひとも過去に数名はいた。ただ、それはあくまで「顔が好きだなー」という感じで、「今日の空の色はいいなぁ〜」と大差ないので、それをもってその相手のことを何も知らずに恋心を抱くということはなかった。また、自分が比較的「単純でわかりやすい性格」と評されることが多かったせいか、ちょっと捻くれていると言うか、むしろ「拗らせている」感じの男子を愛でてしまう傾向も強かった。子どもの頃に、自分のおでこが狭いことが嫌だった(おでこが広い方が頭が良さそうに見えると思っていた)ので、おでこが広くて頭が良さそう(あくまで見た目なので別に頭よくなかったりするんだが)なひとがいいなぁ〜と思ってた時期もあり、これはアニメや漫画のキャラで比較的「眼鏡キャラ推し」してしまいがちな背景だろうと思う。

 また、私はものすごく自己愛が強い割には自己評価が低いところもあったので、「私のことを理解できるヤツがこの世に少ない」という思いと「私なんかを好きになる人間はダメなんではないか」みたいな気持ちがごちゃごちゃしながら20歳前後までを過ごしていた。好きな人ができても「私を好きになるわけない」「きっと別に彼女がいるはず」と思ったり、それなりに親しくなっても「せっかく友だちになったのにこの関係を壊したくない」と思ったりの繰り返し。さらに言えば、別に「恋人」にならなくても、友だちでいられたらそれはそれでいいかな、という気持ちもあった。実際のところ、仮に気持ちを伝えたところでダメだった可能性もかなりあるので、うじうじして何も行動しないままでいたことにあまり後悔はないのだが、まぁ、振り返ってみると、私は私である種の非モテ拗らせではあったように思う。しかし、「私のことを理解できるヤツが少ない(いない)」と思っても、そこで男性全体を憎んだり恨んだり、ましてや「ぶりっ子してモテている女子を嫉んだ」りはしなかった、ので…この辺りが非モテ男性と非モテ女性の違いなのかもしれない。
 いわゆる「ぶりっ子」を素直に「かわいい」と思っている男性のことは、「馬鹿だな…」と思っていたけれど、ぶりっ子に騙されるような人間に好かれてもつまらなそうだし、自分も同様にモテを求めてぶりっ子をする気にも当然なれなかった。なんせ、それで好かれても「ぶりっ子をしている私」は私ではないのだから、私じゃない何かを好きになられても困るからである。だから、ぶりっ子している女性に対しては嫉む気持ちよりも「なんであんなことを?」という思いが強かった。本当の自分を隠して(?)男性の気を惹いて、結果何が残るのか?私自身は「貢ぎ物」だとか「よい条件の結婚」だとかに興味があった試しがないので、「世の女性というのはよくわからんな」と思っていた。これはある種のミソジニー(女性蔑視)でもあったと思う。

 こうして振り返ってみると、見事に過去に好きになった中に「暴力的なイケメン」はいない。むしろ、非モテ拗らせ系で、つき合う前はマメに連絡してくるし、何かにつけてこちらの意向を聞こうとするのに、「じゃあ、付き合おうか」となった途端に態度豹変というひともいて、「こ、これが噂に聞きし《彼女には塩対応する男》か!」と感嘆してしまったこともある(感嘆してないでさっさと別れろよ!)。

 次に周囲の友人たちのことを考えてみる。私は残念ながらあまり友だちが多い方ではないが、「好きになる」条件に顔面を挙げているひとは多分ひとりだけである。彼女に聞くと、まずは見た目の好みをクリアしないと「恋人候補」には絶対にならないそうである。で、その彼女が長くパートナーとしている男性は別に暴力的ではない。というか、むしろ非常に非暴力的というか、いわゆる「男らしさ」の暴力的な面を一切持っていないし、なかなかにラディカルなフェミニストである彼女の考えに共感している頭の中が柔軟なタイプである。
 その他の友人たちを思い起こしても、だいたいが「趣味などで気が合う」「一緒にいて気を張らなくて良い」などが恋人に求める条件の場合がほとんどで、「イケメン」だの「収入」だのを条件にしているひとはいない。
 結婚した友人たちの場合も、顔面で選びました!というのは聞いたことがない。趣味で知り合ったり、困ったときに助けてくれる優しいひとだったから好きになったり…。きっかけが"一目ぼれ"という友人もいるのだが、その夫さんもとても優しい。
 もちろん、他人の家庭、他人同士の関係については、ある程度は想像でしかないけれど、女性でさえない非モテ男性が断言できてしまうほどサンプルがあるなら、私の友人・知人の中から「暴力的なイケメンと付き合ってひどい目に遭った」という証言がひとつくらい出てきても良さそうなもんだと思うのだ。一体、非モテ男性はどこで統計をとっているのだろうか。

暴力的なイケメンとは誰なのか

 暴力的なイケメンがモテている図と言われて、私が思い浮かべるのは『ジョジョの奇妙な冒険/スターダスト・クルセイダース』の空条承太郎である。
 承太郎は母親や同級生の女子に「うるせーぞ、このアマ!」などと抜かす高校生で、謎の改造学ランで登校して、場合によっては適当に授業をサボったりもしている不良(でも勉強はできるっぽい)である。が、なぜか登校中にクラスメイトの女子がわらわらと寄ってきて「一緒に学校にいきましょう」「私と手をつないで行きましょう」などと言うのである。それに対して承太郎が言うのが「うるせー、このアマ」なのだが、それを言われた女子高校生たちはきゃーきゃー言って喜ぶという設定である。
 ジョジョは面白いし、基本的には好きな漫画ではあるんだが、荒木飛呂彦(ジョジョの作者)…何を考えているんだ?と思う。あんな風に無愛想で近寄りがたい雰囲気の(しかもやたら背がデカイ)同級生男子に女子が纏わりつくというのはちょっと想像できない。
 確かに不良で女子からモテるタイプもいるけれど、そういう男子は「不良だけど意外に女子には優しい」とか「不良だけど意外にみんなに優しい」とかそういうタイプだし、近寄りがたい系でモテるタイプのことはみんな「あ、○○君だ…カッコいい」とか言いながら遠巻きに眺めたりする程度では???面と向かって、「このアマ!」とか怒鳴ってくる男子にきゃあきゃあ女子が群がるというのは、「女は馬鹿できゃあきゃあ中身のない話を喧しくしている」という女性蔑視と「女はイケメンになら怒鳴られても喜ぶんだろ!」という非モテの僻みの悪魔合体みたいな感じで、なかなかに香ばしいものがある。
 そして、非モテ自認男が脳内に思い浮かべている「暴力的なイケメンが好きなオンナども」というの、実はこういうフィクションのイメージなんじゃないかなぁと思うのである。
 他にもフィクションの「モテる男」を頑張って思い出してみると…『銀河英雄伝説』のロイエンタールとか、ガンダムだったらシャアとか?承太郎ほど極端ではないけれど、女性に取り立てて親切にしているとも言いがたいのにモテる男性キャラはいる。
 とはいえ、承太郎は母親のために命を懸けて旅に出る男であり、パターナリズムという批判はできるだろうが、別に女子どもに暴力を奮うわけでも手当たり次第に乱交するわけでもない。最終的には正義のために自分を犠牲にすることを厭わない人間である。漫画の中では承太郎に纏わりつく女子たちは彼のルックスできゃあきゃあ言っているように描写されているが、承太郎の人間性をきちんと考えると、そこらの非モテ男性よりも断然マシである。ロイエンタールもシャアも軍人で、自分の理想や矜持のために多くの命を犠牲にするような人間だが、基本的に女性に対して暴力的であるという描写はないと思う。ロイエンタールの女性に対する関心の無さもシャアの女性(もう少し正確には母性)に対する執着も、ミソジニーの一形態だとは思うが、ミソジニーなら別に非モテ拗らせ男も全然負けてないからなぁ…。(しかも、今挙げたような「モテるイケメン」って、全部男が考えた架空のキャラじゃん…。マジで現実とフィクションの区別をつけてくれ。)

 私は親から漫画を禁止されていた時期が長いので、同年代のひとたちが読んでいる漫画をあまり知らないし、今でも一般的に「みんなが読んでいる」と思われていそうな漫画を読んでいない(たとえばワンピースとか)ので、他にどんな「モテる男性キャラ」の描写があるのか、よく知らないので断言はできないのだが、青少年漫画などではまあまあ「いつものあれ」という感じだったりするのだろうか?むしろ平々凡々な「ぼく」が理由もなくモテる村上春樹小説みたいなものの方が多くないの???

社会化における性差と「男性からの承認」への欲求

 現実に起きている被害として、女性が結婚を前提に付き合っていた相手が独身だと言っていたのに既婚者だった、といったものはまあまあ見かける。それをもって「暴力的なイケメン」と言っているという可能性も考慮に入れても良いが、私の見聞きした範囲で言うなら…割とそういう「遊び」をするタイプは顔面はさほどよろしくない場合が多い。服装などは突飛ではなく、かといってものすごくお金がかかっているわけでもないけれど清潔感があって、顔は地味だったりする。むしろ、その「イケメンではない」ことが彼らにはアドバンテージになっている。
 いわゆる「適齢期」とされる年齢を過ぎて独身のままだと、まぁ周囲があれこれ言ってくるというのは経験のあるひとも多いだろうと思う。それ自体は余計なお世話でしかないわけなんだが、やはり人間はそういった刷込みから自由ではないので、あまり顔面が良かったり、いわゆる「スペックが高い」男性が独身だと言っても嘘っぽく見えてしまったり、「なにか性格に難ありなんだな」と勘ぐられたりする。また、独身であることを疑われずとも「きっとモテるから私のことは遊びなんだろう」と女性の方が最初から身構える。
 それと比べて、顔面が冴えない男性は「女性と縁がなくて…」と奥手のフリをしやすいし、独身であると言っても疑われにくいし、場合によっては「この人は顔はイマイチだけど、この人の良さをわかってあげられるのは自分だけなんだ」という優越感さえ女性に与えることができてしまうことがある。「騙される女が馬鹿なだけ」と言うひとは多いが、これは、女性が幼いうちから「ケア労働」の提供者であることを求められていることとも関係しており、単純に個人の資質の問題ではなく、社会構造上の落とし穴だと私は思っている。
 男性は、女性を獲得すべきトロフィーとして扱う文化の中に育っている。そのため、女性の容姿や年齢にこだわることが、社会的に非難されにくいのだ。トロフィーなのだから、それは見栄えが良い方いいだろう、と社会が認識する。一方の女性は、誰か愛する人をケアし支えることを称揚される文化の中に育つ。自分が見栄えの良いトロフィーを獲得するのではなく、見栄えの良いトロフィーになることや男性が社会的に認められることを支える存在になることを良きことと思わされて育つ。もし、これが逆であったなら、女性はもっと男性を見た目や年齢で選んでいたのかもしれない。

 結局のところ、自分がモテないのは、「女は暴力的なイケメンが好きだから」と思い込んでいる方が楽なのだろうし、それは「自分は美人と付き合いたい」の裏返しでしかないのではないか、と思う。しかも、捩れているのは、男が「美人と付き合いたい」のは美人が好きだからというよりも「美人と付き合っている(美人を所有している)自分を同じ男から認められない」からであるというところだ。
男性は「男性からの承認」をこそ求めている。そして、彼らは「男性からの承認」こそが全てだと信じているので、自分たち男性だけでなく、女性も「男性からの承認」に飢えていると勝手に信じているのだ。
 男性が、女性がお互いに褒め合ったりしているのを見て「(男性に向けた)あたし可愛いアピール」と言いたがるのも、女性が「女性からの承認」に価値を見いだしているはずがないと無意識に信じているからだろう。頼んでもいないのに、「○○は男受け悪いよ」などと言ってしまう男性も、女性のやることは全て男性向けのアピールだと無意識に思い込んでいる。とりあえず、そのへんの思い込みをなんとかするところから始めてほしいものだが、男性は「男性からの承認」しか求めていないので、女性の言うことなど聞かないわけなのだ。
 やっぱチーズバーガーでも食べてればいいんじゃない?

***

 今回のホルガ村カエル通信は以上です。
 女性たちがいくら「暴力的なイケメンよりも優しい男性の方がモテるよ」と言ったところで耳を貸さずに頑なに「女は暴力的なイケメンには簡単に股を開くんだ!」と言い張っている非モテ自認アカウントの妄言がよく批判されているので、今回はそのあたりのことを再度考えてみました。
 最初に書いたように、私は過去には男性の「拗らせ」を愛でてしまう傾向が強かったので、好きになるひとが拗らせていることが多かったのですが、そういうタイプは付き合ううちに「うわぁ〜めんどくさ…」ということがあったり、「(自分が批判されて反省を求められる)喧嘩を避ける」ばかりで問題解決のための話し合いができなかったりで、「拗らせ男はフィクションのキャラを愛でるので充分、現実に付き合うなら拗らせてない方がいい」という結論に達しました。そして、実際に、いま、非モテを拗らせていない人と暮らしていて、やっぱ拗らせてないのはいいな、と毎日のように再確認してます。

 恋愛至上主義が幅を利かせている社会において、モテないことで多少拗らせてしまうのは、むしろ人間であれば仕方がないという気もするのですが、そこで「モテに過剰な価値を持たせる社会の問題」ではなく、「女の選り好みの問題」だと思ってミソジニーを深めてしまう傾向というのは、ネットの普及で以前よりも深刻になっているのではないか、とさえ思います。
 この「"女が悪い"と思いたい男性」というテーマとかぶる内容のものは過去にもいくつか書いているので、未読の方はよろしければ、どうぞ。

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